友達になろうよ



ユーチューブを見ながら素朴なクリスマスリース作りました☺

友達になろうよ
私ね、友達がいない、または少ないという人は、割りと好きになるかも知れないけど、友達は要らないっていう人はあんまり好きじゃないです。
似て非なる者だと思うからです。
たとえば誰かに優しくしようというとき、目の前の誰かによく思われようという感情とは別だと区別しようとするとき、
もし、相手の望みが自分と友達になることだったら、それに応じて友達になることが、優しさだと思うからです。
それは上から目線で優しくしてあげよう、と思っているわけではなく
賢くて思い遣りがある人に、こちらも優しくしたいと思うのは当然だし、
反対に、意地悪で嫌がらせをしてくる人に優しくしたいとは思わない(友達になりたいとは思わない)
優しくしたいかどうか?は、私としては友達になりたいかどうか?とほぼ同義です。
つまりどういうことかと言うと、友達は要らないと宣言されると、「他人の話を聞いて優しくしようとは思わないです。それで私に何のメリットがあるんですか?」と宣言しているように聞こえるからです。
友達は要らないと宣言される人は、大体過去の被害経験をセットで語られますけど、人を裏切るのも人なら、人を救うのも人なので
平たくいうと、どういうふうに生きようが、大体全ての人が「裏切られた」経験があると思う。
社会学的なことばを使うと、
生活は、自助、共助、公助のバランスで成り立っている。自助と公助でなんとかなっている「その時」は、友達など不必要、と宣言できても、
自分が生きている間永遠に友達に頼らなくて生きていけるか保証は無いし、今、助けが必要なくて自分がギブばかりで損しているように思うから、もう助けない!と思っていても、誰かに助けて欲しいとき、自分が他人に優しくしてこなかったせいで、または選り好みのしすぎなどで、老後など頭痛の種を1つ増やす…よりは、
人に優しくした方が良いと思う。
筋金入りの陰キャが主張することではないかもしれないけど、生きていくために必要な知識はネットでいくらでも仕入れることができても、他者との繋がりをスキップして「生活」を実践するのは不可能だ。
だから、まあSNSに限り、友達は要らないスタンスは良しと思うのですが、実生活でも「友達は要らない」と宣言するのは、それこそ本人になんのメリットがあるのかとか考えてしまい、不気味な印象です。
友達ということばが、胡散臭かったりある種の押し付けがましさを感じるから使いたくない、というのは、めちゃくちゃよく分かります。
