ウサギの校舎 5話
静は大人しい生徒の一人として生きる。定期考査の結果に一喜一憂し、恋愛にうつつを抜かし、与えられた進路の中から、どれがいちばんマシかを考える。
そうして彼女は昨日カモメの死体を見付けたところへ目を向けた。人影があった。近づくと、モスグリーンのつなぎと同系色の帽子をかぶり、マスクをした清掃員。今まさにカモメの死体を掴みゴミ袋へ放り込むところだった。
この場合、どうしよう・・・。
また、宙ぶらりんだ。
静は呆然とその光景を眺めた。
視線を察知したのか清掃員が静の方を振り向いた。
「こんにちは」
「こんにちは」
反射的に返事をしたが、本来清掃員が生徒に声をかけるなど失礼極まりない事だ。静が清掃員の手元をぼんやりと眺めていたからか。それにしたって失礼だ。目を逸らした。
すると、カモメの死体をつかんだ後にも関わらず、ビニール手袋を外さぬまま口元のマスクを外し、帽子をあげた。
清掃員は笑顔である。
静はゾッとした。
ゾッとするほど端麗だった。
逆光で赤か青か、判別が付かない。帽子から覗く頭髪はウェーブのかかった白。
虹彩は桃色だったが、服から覗く肌の色は皆透き通るような白だった。色素欠乏である。
清掃員の顔など、いちいち見ない。
もちろん個の区別など付かない。こんなに綺麗な人がいるなんて、知らなかった。
けれども、眼前にいる静に対して満面の笑顔である。それがとても魅惑的で、静は目が離せない。芸術品さながらだ。
「こんにちは。〇年〇組の静さん。お話できて光栄です」
「な、なんですって」
ビニール手袋のまま握手を求めてくる清掃員。魅了されたのは事実だが、さすがにその手を握り返すつもりは、毛頭ない。
「ああ失礼」
手袋を取ったが、それでも、その手を握り返すつもりはない。
「ああ、趣味なんですよ。生徒の特徴で名前を付けるのが。気に入りませんでしたか?どんなのが好きです?」
しつこく握手を求めてくるが、静は後ずさった。応えるつもりはない。
「つれないなあ」
清掃員は諦めた。
「なんなの?アナタ」
「なんなのって・・・。昨日カウンセリングルームを利用したでしょ。あなたの悩みが深刻そうなので、僕が聞き手に召喚されたというわけですよ。さあ、胸中のなんでもぶちまけなさい。君たち生徒らに遥かに劣る劣等民族になら、なんだって話せるでしょう」
「あ、アナタに話すことじゃ無いわ・・・」
「そう」
途端に清掃員から笑顔が消えた。
なまじ整った顔立ちなだけに、笑顔が無くなると幽鬼のようである。背筋に冷や汗が滑るのを感じた。
「では、帰ります」
「ま、待って」
「なんです」
「アナタは、その、コード:〇〇〇が死んでいないことを知っていた?」
「コード:〇〇〇?・・・ああ、花のこと?なるほど」
花。
本当に、生徒一人ひとりにあだ名なんか付けているんだろうか。
それが許されているのなら、この清掃員はある意味、生徒よりも優遇されていると言うことだ。
清掃員は無表情だとこぶりな口なのに、笑うと驚くほど大きく広がる。その笑顔で、静は狐を連想した。
「そんなことを聞いてどうするんです?僕が本当の事を答えると思うんですか?静にそれが分かるんですか」
持って回った言い方だが、何か知っているのは間違いないようだ。静は歯噛みした。カウンセリングルームで牽制しながら、今更こんな不愉快な人間に(しかも清掃員に)ヒントを託して寄越そうとする、教師陣の思惑が分からない。
いや、何か感じるものはあったのだ。
これは罠である。
学校の後ろ暗い真実を暴こうとする静が、引き際を間違えないかを試しているのだ。「清掃員」への心理的嫌悪感に、静は必死に抗っていた。
恐怖も何も感じず、飄々と佇んでいられる清掃員が憎らしい。
これが呪いなのか。
呪いってなんだ。
「では、こうしましょうか?今から僕は、あなたが聞くことに、なんでも正直に答えてあげましょう。あなたがその場から微動だにしない限りは」
「なんですって?」
「ことばの通りですよ。あなたは知りたいんでしょう。けれど、先にご忠告して差し上げますが、大体お察しの通りでしょう。つまり、『私が貴女に話しかけている』という事態が、貴女にとって既に甚だよろしくない。あなたが私に何を聞くかによるが・・・知りたいことを知ると、あなたが生きていられる可能性はそのぶんだけ下がる。知っていること、それ自体が脅威なんです。ですからよく考えた方が良いです。知ったことを忘れるなんて、なかなかできないものですから」
「・・・なんて偉そうなの」
「はい?」
「黙って聞いていれば、その態度は何?清掃員風情が。私はこの学校の生徒よ。私が苦情を入れるだけで、アナタは」
言い終わる前に、清掃員は高らかに笑った。急に距離を詰めて静の顔を愛でた。
逃げようにも、静の二の腕には爪先の歪んだ清掃員の指が食い込んでいる。
痩身から想像できない力だった。
緊張と恐怖で体を強張らせながら、静は清掃員を睨みつけた。
「良いですね、あなた。静さん。とても可愛い。必死で。こんなにヤワなのに。初めて見たときも、そう思いましたよ」
彼、彼女だろうか?舌なめずりをする。
なんで?生臭い。生肉でも食べて、生きているのか。『初めて見たとき』って、いつよ?
頬を撫でられる。
静は顔をしかめた。
けれど、何か疼くものがあった。俊郎と一緒にいた時には感じなかった、恐ろしいけれど、甘美な気持ち。
清掃員は美しく、なぞめいていた。
大きな瞳の真ん中から真っ直ぐ伸びる鼻梁。引き締まった手首や足先から想像される肢体は、不格好なつなぎに隠されているからか、妙に扇情である。
おかしい。
私は清掃員に挑発されている。誘惑されている。
「あなたに何かできると思いますか?ここはウサギの校舎だ。あなたは罠が気になって仕方ないウサギなんですよ」
「どういうこと?」
「くくり罠から見える景色が気になって仕方ないウサギです。たとえ絞め殺されても、それはあなたの本能なのでしょう。僕はあなたみたいなのが、愛おしくて仕方ない。残念なことに、この学校はアナタのようなのが大嫌いみたいですが。・・・ねえ、キスしても良いですか?」
「だ、め」
気持ち悪い。
「ちぇ」
清掃員は、やっと静を解放した。
「動かなかったですね。なかなかの胆力」
「・・・・・・」
心臓が口から飛び出そうだ。
「・・・すごい、力、ね」
「ああ、よく言われます。僕は腕っぷし自慢なんです。飛び道具の扱いも上手いんですよ」
「アナタ、何者なの」
「多くは無いですか、僕のような清掃員も要るんですよ。学校の秩序を守るために」
「どういうことよ?」
「焦らないで。一つずついきましょう。花の死が気になるのではないですか?」
気になるが、気に入らない。
けれど、情報を引き出す為には、清掃員の気持ちを逆撫でしたり、逆に、気持ちを削いでしまうような事を言わないほうが良い。静は努めて冷静であろうとした。
時間も惜しい。
「まず、名前を付けていただきましょうか」
「名前?誰の?」
「僕のですよ。僕があなたにしたように。これは必要な儀式です」
鬱陶しい。けれど、これは貴重な機会だ。悋気で潰してしまうには惜しい。
静は、しぶしぶ第一印象を思い起こした。狐。静は先程自分の腕に食い込んだ、清掃員の白く掠れた爪先を見た。獣の性分を隠そうとして、隠しきれていない、狐。
「・・・ソウ(爪)」
「良いですね。呼びやすくて今この瞬間、気に入りました。あなたの真心が入ってるんでしょうね?」
ニヤリ。
ゾワッ。
笑顔はキレイだ。心が粟立つ。なんて気持ち悪いんだろう?
静と清掃員は初対面だ。
およそ人間関係に必要な距離感というものを理解できていない。
一瞬でも、彼、彼女?爪にときめいた自分を殴りたかった。
「花が死んでいないことを、知っていたの?」
「知っていましたよ」
やはり。では
「なぜ、ここの生徒に嘘を吐いたの?」
「もちろん、そうしろと言われたからですよ。言われた、というより、これが僕の仕事なんです」
ニヤニヤと感じが悪い。
妙な感じだ。清掃員は皆、学がない劣等民族なのに。こんな風に、生徒を、静を、小馬鹿にしたような態度で話せるのだろうか。
「花は今、病院にいるのよね?学校から運び出すとき、どんな感じだった?」
「なるほどね。そうきたか。良い質問です。答えにはつながらないけど、確信に迫る。ある種の中毒症状です。かなり危険な状態でした」
静は思った。
この清掃員は、多くのことを知っている。静の知りたいこと、全てを知っている、ということすらあり得る。
「い」
「言え」、と言いそうになる、はやる心を抑えるために、深呼吸しなければならなかった。
つまり、花が死にかかった原因は水ではない。煉炭でもない。あのビニールプールはガス室になったのだ。気化しやすく空気よりも重たい何か。
「ハロゲン系有機溶剤。クロロホルム。四塩化炭素。ジクロロメタン」
「大正解」
清掃員は懐を弄り、静の足元へ、殻の瓶を投げて寄越した。
そうか。
やっと合点がいく。
静は後ずさり、瓶を拾おうとした。
「ストップ」
ハッとして、顔をあげた。
「動かないで。静が動くなら、私は帰ります。これ以上、何も聞けなくなりますが、それで良いですか?」
手を握りしめ、自分の胸の前に持ってゆく。言いなりになるのは腹立たしい。しかし、何も聞けなくなるのは、嫌だった。
「ふふふ。仕事柄、厳正な管理下に置かれたあなた達よりも、こういうモノにアクセスしやすいんです。僕は」
「あなたが花を殺そうとしたの?」
「まさか。なぜ僕が」
「それを言うなら、ミス研の誰かが花を殺してもメリットなんかない。殺害方法を知っているのだから、アナタがいちばん怪しいわよ」
「確かにね・・・静には、今この場で嘘はつかない約束です。ですから正直に言おう。僕が嘘を言った方が、あなたにとって都合が良い事なのだ、と。『僕』というイレギュラーな存在が犯人である。そう、ミス研で演説することが、最も平和的な解決法です。
けど、僕は犯人じゃない。僕はこの学校で、いくらか『勝手』が許されてるんです。許されていないのは、生徒を勝手に殺すこと。許されているのは、自殺や殺しを教唆すること・・・」
「なんでアナタにそんな事が許されるの?!」
「なんで・・・と言われても。そこは言えないワケでは無いですか、長くなりますね。闘争と交渉の結果でしょうか?僕は世界線第一の人間ですし、ここで生きていくしかない。仕事が必要。そして、なるべく楽しく生きたい。この学校という組織のあり方には反吐が出るほどだが、必要悪と認めざるを得ないところもある。実際大多数が、事実を知って死ぬことよりも、保身と安寧を選ぶ。勇猛な学生が危険だからと圧倒的に不利なルールを強いられ、ただ殺されるのは見るに忍びない・・・。だから、生き延びるチャンスを与えてほしいと、交渉したわけです。汚れ仕事ができる事を、買われていましてね。それであなたの前に、お助けマンとして居られるワケです。静?伝わりましたか?」
「・・・ワケが分からない」
爪は微笑んだ。
まるで女神のような微笑みだった。
「あなた達は、それほど不利な立場にいるという事です。ここはウサギの校舎。あなた達はウサギです」
「アナタは・・・」
「あの日記はね、僕が、お友だちに書くよう勧めたものです」
「・・・?!日記?どうして日記の事まで知ってるの」
あれは私の部屋にあったモノだ。
「どうしても何も、あれは僕が昔この学校にいたお友達に書くよう、勧めたモノだからですよ。そして、この学校の哀れな生徒たちに継承させることが、僕に許されている事のひとつなのです。僕の友だちはね、世界線第ニに帰ることを望みました。もう二度と会えない」
そこで爪は泣きそうな顔をした。
「嘘ばっかり言わないで。あの日記は明らかに五年以上前に書かれた、古いものだわ。アナタにそんな過去があるわけない。私と同じ年ぐらいだもの」
「僕は四十五だが」
「嘘」
「あなたの比じゃないほど、僕はいろいろ『改造』されているんです。だから優遇もされるんですよ。こちら側はね、義務も多いが権利も多い。特に僕は、単なる雑務係としてだけでなく、戦力を買われている。でもね、いろいろ失ったものも大きいよ。僕は友人が減る事、何よりの苦痛なんです。しかし、自分が生きる場所に行きたいという気持ちは、誰にも止めることなど出来ないでしょう。そこに、死あるのみだとしても。もちろん、誰だって死にたくはないはずですが、ね。だから僕はその手助けをしたんです。本当は、死ぬほど寂しいけれど・・・だからこうして、彼女の日記に惹きつけられる人を探して、孤独を癒やしているんです」
「・・・待って・・・。世界線第二に『帰る』・・・?」
「できるみたいですよ。技術はあっても恐ろしく金がかかる上に意味も無いから、政府は研究成果そのものを公開しませんが」
「・・・・・・」
せっかく花の事件の、トリックは明らかになったというのに、肝心の犯人は分からない。その上に、このどこまで信じていいのか分からない情報の洪水だ。
静が、次に聞く事を考えあぐねるうちに、爪はぼんやりと湖を眺めていた。
遠くの友人に想いを馳せる。
そんな感じた。
癇に障るとしか言いようがない、悪趣味な清掃員。だが黙っていれば佇んでいるその姿は絵画のようだ。
「さて、そろそろ戻らなくてはいけないのですが。聞きたいことは以上で?」
「そんなわけ無い」
「ふん・・・欲しがり屋さんだね」
ニヤリ。
ゾッとした。
「良いよ。残り3つ。どうぞ」
「は、花を、殺そうとした犯人は?」
「それは言えない。ただし一つ、アドバイスを。静が観察を怠らず、教師がくれたヒントを活かせば、今日の午後までに必ず犯人は分かる。次は?」
「・・・死ぬ生徒の条件を教えて」
「ふうん。なぜそんなことを知りたいんです?貴女がどうか、という話なら、既にしている。知っても、どうしようもないでしょうに」
「アナタが私に質問するの?」
「もし君が、条件を知ることによって、死を回避しようとしているなら、それは愚策。裏目に出ると言わざるを得ない。死ぬのはね、今の君のような生徒、そのままだ。カウンセリングルームで、生徒の死について聞こうとする生徒。はぐらかされても、探求をやめない生徒。異端だ。このまま話し続ければ、死ぬ。僕が君を殺す。命令によって」
「生かしてくれるのではないの?」
「僕にとって、貴女にその価値があると感じれば、の話だ」
「そんな・・・なぜ、私だけ?異端?落伍者ではなく。記憶障害を起こしているからでは、ないの?」
「ははは。もちろんそれも条件のひとつだ。ただし、君はもう致死領域まで数ミリといったところ。これが最後。耳を塞ぐか塞がないか、今、決めなさい」
静は両手をあげ、頬のところで止めた。
「・・・死にたいわけじゃない。学校に殺されたくはない」
「良いよ、静。それでも知りたいんだね。教えてあげましょう。この学校に入学以前の記憶がある人間なんか、実は一人もいない。学校から危険視される人間は、自分に記憶が無いことを、疑問に思う生徒なんだ。君たちは入学前の手術で、大脳皮質に刺激を与えられている。その分、お勉強が捗るようになるし、君たちの優秀な父母が、どんな熱情を持ってどんな風にクーデターを企てたなんてキレイに忘れて、世界線第一に貢献できるように、ムリヤリ『更生』させられているんです。
君は学校に目を付けられている。その上、今この瞬間、帰り道を閉ざした。一度手術は失敗している。もう一度恭順の意を示して手術を望んでも、『記憶が無いことが、気になって仕方ない』。君のその優秀な頭脳は、失われた記憶を求めて、死ぬまで足掻き続けるでしょう。いや、今度はその高い頭脳を活かして、できる限りの安全を求め忘れた『フリ』をするかもしれない。これが手術不適合。君は落語者であり異端だ」
「・・・どうしたら死なずに済むの」
「ダメだよ、静。今ので4つ目」
爪はマスクをつけ始める。
「まだ2つよ!」
「なんだって?どういう数え方・・・。ああ、もういいよ、分かった。だけど、ここまで喋らせておいて死なずに済むのなんて、そう簡単じゃ無いよ」
と、いうことは生き残る術はあるのだ。
そして爪はそれを知っている。世界線第二に亡命する方法だろうか。
静はその可能性に、賭けた。頭の中は、何度も恐怖と後悔と覚悟を何度も繰り返していた。
ミス研で調べた歴代生徒の死亡者リスト、爽の輝きを失った瞳が記憶に呼び戻される。
「アナタなのよね?日記主の逃亡を手引したのは」
「へえ。鋭いね。どうしてそう思うの?そう書いてあった?よく分からないところも多かったはずだけど」
「飛び道具を使うと言ったわね。アナタと分かる描写は無かったけど、銃器を扱うとあった・・・。学校に銃火器は持ち込んじゃいけないの。生徒にはアクセスする方法だってない。アナタ本人じゃなくても何か関係あると考えるのが自然じゃない」
「そうね、けれど今は持ってない。彼女に協力した時は、いろいろ条件が良かったし、しばらく一緒にいて友達になったから」
「・・・私も、友達に、なってもいいわよ」
「ははは。静はプライドが高い。じゃあね。久しぶりに楽しかったよ」
爪はゴミ袋を担いで踵を返した。
「待ってよ!」
背中で深いため息を吐いて見せる爪。
しかし、振り向いた顔は薄ら笑いだった。
「助けてあげても良いよ。僕は教師が嫌いだから。静は運が悪かったよ。聞き分ける事はできないだろうけど、カウンセリングルームで静に当たったのは、湯子(ゆこ)という女だ。歳のせいか、やたら生徒にキツい。その実、仕事に信念なんかない。ただ私生活の八つ当たりをしているだけの、お局だ。口を開けばあの生徒は失敗だ、この生徒は失敗だと、アイツが理事長になったら、生徒の半分は在学中に死ぬだろうね」
「何よ。これ以上私を脅して、アナタこそ、何が楽しいの?ニヤニヤと不愉快だわ」
「脅してないよ。君にはワケが分からないんだろうけど、この薄ら笑いは許してほしい。手術の後遺症だ。ただ静に会えた事が嬉しいのは本当だ。手術に立ち会った生徒と話せる事なんて、ほぼないからね。これはきっと運命だ。この学校になぜ教師がいないか、知ってる?」
「・・・突然何?知らないわ」
それも。と、静は心の中で付け加えた。
「君たち生徒が怖いからだよ。教師にとって落語者でも、手術不適合で異端の生徒がリーダーとなり徒党を組めば、立場が逆転し教師は真っ先に囮になる。集合有機体として個を殺し、存在と秩序を重んじるのは良いが、みんなつまらない。臆病者のクセに陰で威張るなんて、嫌な連中だよ、本当に」
「・・・・・・」
「逆に言えば、セキュリティシステムと湖さえ越えれば、逃げられない事はない。危険分子だからといって、たかが一生徒を草の根分けてでも探し出すほど教師は暇ではない。逃亡に手を貸してあげることも、できる」
「協力してくれるのね?」
「もちろん条件はある」
静は身構えた。
「今、ここで聞いたことを、すべて、嘘偽りなく、ミス研連中に伝えるんだ」
「・・・・・・」
「分かった?」
「ねえ、そんなことしたら、私以外、みんな死ななくちゃいけなくちゃならないんじゃないの?」
「さぁ、どうかな?みんな信じないかも知れないし」
静は笑顔だ。
「じゃあ、頑張ってね」
「ねえ、待って。最後に一つ。そんなことをして、アナタになんの得があるの?」
「静は一度も名前を読んでくれないね。ま、良いけど。そりゃあ、ムカつくものは、労せずぶっ壊れてほしい。内部分裂が楽なのさ。それに、面白い友だちは多い方が良い。殺される生徒が増えるだけかも知れないけど。僕は、自分ができる限りの足掻きをしているだけだよ。君と同じで」
爪のことばは勇壮でありながら、後ろ姿は孤独だった。
爪が静を無視し、いつもの存在感の薄いタダの「清掃員」に戻ってからも、どこに行くのだろうと気になり後ろに続いた。
会話が終わった後の爪は、もう他人のようで、一度も後ろを振り返らない。
湖畔から学校側、整備された道へ移った。どちらにせよ足音で分かるはずだった。
爪が向かったのは食堂の裏口で、そこには爪以外の清掃員が数人、たむろしていた。
結局その後、静に一瞥もくれることなく、爪たちは厨房へと消えていった。
生徒たちは白地に赤いラインの入ったセーラー服に身を包んでいる。それに比べて清掃員のつなぎは、生地は丈夫だが、作業と洗濯を繰り返し、色が薄くなっていて、野暮ったい。
これが清掃員と生徒の距離だ。普通、学校の中の未来のある生徒は、清掃員になど目もくれない。
