【応募エッセイ】灰色の世界から金木犀の祝福へ 伊藤洋子さん (虹色創作部)
秋風が金木犀の香りをそっと運んでくるたび、彼女の心は優しく満たされていた。
あの甘く、芳しい匂いは、季節の訪れを告げるだけでなく、幼き日の記憶と温かな母の笑顔を呼び覚ます魔法のようなものだった。
しかし、二年前のある日、その宝物の嗅覚は副鼻腔炎という無情な影に奪われた。
世界は一瞬にして色彩を失い、香りのない風景は灰色に沈んだ。
食べ物の味も、窓辺の風も、やわらかな陽だまりでさえ無味無臭の空洞に変わった。

心はぽっかりと空いて、どこか遠くへと漂っていった
だが、彼女は諦めなかった。
喪失の寂しさを抱きしめながら、光を求め続けた。
やがて出会った画期的な治療が、かすかな希望の芽を育てる。
香りの世界への扉が、静かに開かれた瞬間、彼女は涙をこぼした。
その最初に訪れたのは、昔日の金木犀の香りだった。
甘くて優しい、その香りは一瞬で世界を鮮やかな色で満たした。

花のそばで微笑む母の姿が、鮮やかに浮かび上がる。
息を吸い込むたびに、生きる歓びが胸を満たし、彼女の内なる世界は灯りに包まれた。
嗅覚が戻ったことで、彼女の人生は豊かに彩られた。
香りが織り成す物語が食卓を華やかにし、風や土の匂いが魂を震わせる。
失われた時間があったからこそ、今の一瞬一瞬がどれほど輝かしいかを彼女は知っている。
金木犀の香りはもはや単なる花の匂いではない。
それは彼女の生きる力であり、未来への希望そのものだ。

深く息を吸い込みながら、彼女は静かに誓う。
もう二度と、あの灰色の世界へは戻らないと。
生命の尊さを紡ぐ香りに抱かれて、彼女の心は穏やかに満たされるのだった。
作者紹介
編集部から一言コメント
香りもまた、日常の中に当たり前のようにあるからこそ、その尊さに気づきにくいのかもしれません。金木犀の香りが消えた世界を思うと、秋の色彩さえもどこか色褪せてしまいそうで、改めて「匂いは季節そのものなのだ」と感じました。(馨)
おまけ

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