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【ショートショート】遺品は手帳だけだったから 風まかせ文芸部

葬式が終わった翌日、しのぶは父の部屋を片づけていた。
畳の色がまだらに変色した狭い4畳半。キッチンのシンクには大量のビールの缶と、ソースの残った冷凍食品の袋が積み重なっている。そういえば母との離婚前から生活力のない人だったなとしのぶは笑う。

持ち物は驚くほど少なかった。スーツは二着、くたびれた革靴が一足、段ボールに入った衣類、3ダースの缶ビール、半分読みかけの週刊誌、あとは机の上にあったくたびれた黒い手帳。

しのぶは手に取って、すぐに思い出した。
「あ、中学生のときに誕生日プレゼントであげたやつだ」
40年前、近所のダイエーのワゴンセールで見つけた安物。母には「こんな人が手帳なんて使いこなせるわけない」と笑われたが、父は「お、カッコいいな」と嬉しそうに受け取ってくれた。

ぱらりと開くと、中身はツヤのある光沢紙が入っている。どうやら中の用紙を差し替えながら、同じ表紙をずっと使い続けてきたらしい。

思いがけない父も几帳面さに、胸がちくりとした。
父は浮気性で、飲み屋で知り合った女の話を平気でしのぶの前でしていた。そんな男が、手帳なんて三日坊主で終わるに決まっている。母に言われて、私もそう思っていた。

けれど、ページはぎっしりと予定やメモで埋まっていた。
日付の横には、きちんと細い字で場所と時間、時には相手の名前まで。ボールペンの色が年ごとに変わっているのは、飽きっぽい彼なりの工夫だったのかもしれない。

しのぶは床に腰を下ろし、黙ってページをめくった。
予定は、ほとんどが人と会う約束だった。
昼間は仕事らしき予定がぽつぽつ。会社をたたんでからも、同業の相談などに乗っていたようだ。夜は飲み屋や喫茶店の名前がぎっしり並ぶ。その横には、女の名前やあだ名が小さく添えられている。
「由美ちゃん」「あつこ」「シャンシャン」
いちいち書くほどのことでもないだろうに、父はまじめに記録していた。

ときどき、しのぶの名前もあった。誕生日の近くには「しのぶと寿司」と走り書きがある。思い返せば、その日父は珍しく予約をしてくれていた。

亡くなる一週間前の欄には、「喫茶アポロ 19:00 由美ちゃん♡」とある。
ベッドで咳き込みながらも、きっと頭のどこかでその約束を覚えていたのだろう。
呆れるしかない。けれど、不思議と腹は立たなかった。

ふと最初のページに小さな数字が書いてあるのに気づく。「40」。
たぶん、この手帳の冊数だ。つまり、これは最後の一冊。

押し入れを開けると、白い紙がぎっしり詰まった段ボールが出てきた。
四十年分の、父の毎日。

しのぶは段ボールの前に正座した。
何日かかってもいい。全部読んでやろう。
父のくだらなさも、律儀さも、ぜんぶ。

愛すべきクソ野郎、なのかなあ

#風まかせ文芸部 
初めて参加させていただきました!楽しいお題ありがとうございます!

父親を描いた3シリーズでした

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