【徒然】アファンタジアとハイパーファンタジア
アファンタジアの傾向があると自覚するMちゃんのお話から、
アファンタジアとハイパーファンタジアという概念に先週生まれて初めて触れた。
AIに尋ねたファンタジアとアファンタジアをコピペする。
アファンタジア(Aphantasia)とハイパーファンタジア(Hyperphantasia)は、心の視覚能力に関する二つの対照的な状態です。
アファンタジア(Aphantasia)
アファンタジアは、心の中で視覚的なイメージを思い浮かべることができない状態を指します。
目の前にない物や場所、人物などを想像しようとしても、まるで真っ暗なスクリーンのように何も見えない、またはぼんやりとしたイメージしか浮かばないといった状態です。
人口の約2~5%がアファンタジアであると言われています。
アファンタジアの原因はまだ完全には解明されていませんが、脳の視覚処理に関わる領域の機能的な違いが関係していると考えられています。
アファンタジアを持つ人は、視覚的な記憶や想像力、創造性に影響を受ける可能性があります。
ハイパーファンタジア(Hyperphantasia)
ハイパーファンタジアは、心の中で非常に鮮明な視覚的なイメージを思い浮かべることができる状態を指します。想像したイメージがまるで現実に見えているかのように感じられ、細部まで鮮明に思い出すことができます。
人口の約2~3%がハイパーファンタジアであると言われています。
ハイパーファンタジアの原因もまだ解明されていませんが、脳の視覚処理に関わる領域が過剰に活動していることが考えられます。
ハイパーファンタジアを持つ人は、豊かな想像力や創造性を持ち、芸術やデザインなどの分野で才能を発揮する可能性があります。
アファンタジアとハイパーファンタジアの比較
| 特徴 | アファンタジア | ハイパーファンタジア |
|---|---|---|
| 心の視覚能力 | イメージを思い浮かべられない | 鮮明なイメージを思い浮かべられる |
| イメージの鮮明さ | まったく見えない、またはぼんやりとしたイメージ | 現実に見えているかのように鮮明 |
| 人口割合 | 約2~5% | 約2~3% |
| 影響 | 視覚的な記憶、想像力、創造性に影響を受ける可能性 | 豊かな想像力、創造性を持ち、芸術分野で才能を発揮する可能性 |
補足アファンタジアやハイパーファンタジアは、病気ではありません。
これらの状態を持つことは、個性の一つとして捉えられています。
⬆実際に簡易やテストが出きるサイトを貼っておく。
こちらがわたしの結果だ。

私は自閉症スペクトラムなどグレーなところの診断が、学生時代に差別的な言葉の使われかたをしているのを目の当たりにしたせいか、あまり好きではない。スティグマとなりうる診断に嫌悪感を持っている。
そのため、テスト、分析の対象としてのアファンタジア、ハイパーファンタジアとなるとちょっと敬遠したくなるなあと思って先週は思いきり記憶からシャットアウトしていた。その部分の記憶は「難しかった」のみで終了している。
今日は、「個人の傾向」として「例えばどんな風に見える(見えない)」のか、とか「ある言葉に対してどう表現するかの違い」や、「そこで起きている情報処理工程の違い」を言葉として聞いた時、
「こんなに他人が見えている世界は自分が見えている世界と違うんだ!」という、距離?性質のそもそもの違いのようなものが判り、
言葉では言い表し難い、近日体験したことがないような感動を覚えた。
知らない誰かではなくて身近な人だからこそ、
「そんな風に考えるんだすごい!」と純粋に感動した。
なんだろ、「人間ってこんなに違うんだよ~!!」と世界に向かって叫びたいような気持ち。
「雪は白いんだよ」くらいの当たり前のことなのかもしれないが、生まれて初めて雪を見た人はそれにエクスクラメーションマークがつくのと同じように。(あと、関係ないけど雪は白いけど青っぽいのと黄色っぽいのがある)
別に見えてはいないんだけど見たことない世界の扉がギギーっと開いたような感覚を覚えた。
フルオープンではない。
重たい扉がちょっぴり開いた感じ。
いや、もしかしたら開かなかったジャムの蓋が湯煎したらちょっぴり動いた程度の話なのかもしれないけど。(なんの話だ)
この大したことのない感情の例えに引用して大変申し訳ないが、ヘレンケラーが、この冷たい何かをウォーターと認識した瞬間のような、分からなかった何かが形や意味を持った瞬間のような、何か掴めそうな…そんな感覚を覚えた。
実際恐らくまだなにも掴んでないんだけど。
感動した、驚いたことを伝えたくて変なところがしつこくなったが、
私は、傾向としてはハイパーファンタジア寄りで、情報はビジュアル化されやすいし、情景も浮かぶ。
ただ克明に思い出せるものと苦手分野もある。
克明に思い出せるのは、恐らく一度描いたことがあるものと強烈に印象付いたもの、反復して見てるものだ。描いたことかあるものは時間をかけて観察して、特徴を洗い出しているので再生がしやすい。
才能というよりは反復学習の結果だと思われる。
興味がない例えば車種などは、のっぺりしている。
興味を持ったことのあるMARCHのキウイというカラーの車と、我が家の茶色のシエンタ、父が長くのっていたサファリだけは、中程度の鮮明さで思い出せる。サファリは父の帰宅の音として、エンジンの音の方が記憶として強い。
このZoomでの会話のスピードが私には
早く難しく感じて、
そのアファンタジア↔ハイパーファンタジアという
尺度以前に語彙や情報が、ノンタンと村上春樹くらいに違う中で会話していた感は否めない。
単純に知識量や経験値が低く恥ずかしくなってしまったが、知らないというのは知った時の嬉しさが倍増してなんだかお得だ。
話題に出た「村上春樹の『1q84』」も遠い過去に読んでるはずだが、ヤナーチェクのシンフォニエッタしか思い出せない上に脳内で流れてるのは多分ベートーベン第5の2楽章くらいの曲だ。情報の解像度が低くてしょんぼりする。随所にクラシックの香りがしてて、本というよりはマニアックな名鑑アルバム扱いだ。しかも後半はまだ読んでいなかった気がする。たまには本でも読んでみよう。
会話が概念的で訳が判らん!と思いながら最初は聞いていて、何故この話題で会話が成り立つんだ??のレベルで、全くついて行けず、知らない言語のリスニングでもしているような感じだったのだけれど、
例えば「夕日が沈んでいる」というと
アファンタジアの人は、「夕日が沈んでいる」という文字情報などで捉えたりして、映像化はされないという事実に驚いた。
「逢魔が刻」などの関連単語の連想が始まるひともいた。まず私には起こらない反応だ。
そんな話をBGMに、
私の脳内はその文ひとつで潮騒、波の揺れ、波打ち際の砂と水の温い温度、ヤシが揺れる音。空の赤とオレンジ、夜の帳が降りてくるのがタイムラプスのように再生され、今まさに水平線すれすれに夕日が沈み、今まさに夜が訪れようとしていて、シリウスが輝きだしてて、オリオン座どこかなあくらいの世界でウフフアハハしちゃっていて、ヒャダ綺麗!とか思ってしまって、もう人の話は聞こえていない。
「逢魔が刻」の言葉をきっかけに百鬼夜行の絵巻物が、安いアニメーションのようにスクロールしていき、傘小僧、小豆洗い、ぬっぺっぽう、化け猫、頭の中で総動員した何らかの異形がコミカルに動いている。白地に筆でだったりしてタッチだけ再現された雑な鳥獣戯画がたまに混ざっている。結構ノイズが多いのだが、ノイズさえも視覚的だ。
アファンタジア的な視点で語られらる言葉の意味が、理解できそうで、理解できない。「難しいことを言っている」止まりで意味が入ってこない。それを無意識に言葉の意味ではなく映像に変換しようとしているのだと思う。
私は普段想像や妄想ばっかりしてるけど、その語られる言葉から想像(ビジュアライズ)ができないのだ。そこに絵や色の手がかりが少ないからだ。
「線と距離」のような、ギリギリ図形のようなものが語られて、ビジュアル化が出来ない情報を私の脳は処理できずフリーズしている。
画像的なもので近似値を探る私にはうまく処理ができない。
その世界を敢えて視覚的に表現してくれたのが、
例えば「うさぎ」を想像すると、「耳がある」までは出てきて次の絵を描いているうちに耳が消えてるみたいな。
「手持ち花火の残像で描く絵」のように、
「波打ち際の砂の上の絵」のように、
不確かだというのだ。
わたしにはない感覚だけど、それなら何となくその世界の一部が見える気がした。
因みにここで想像したのが昔のプレイステーション(初代)のゲーム「ビブリボン」だ。自分の手持ちのCDで出きる音ゲーでシンプルだけど面白かった。
うさぎの形から連想したのもあるけど、こんな風なのでは?と思った。
視覚にならない意味だけのやり取りだと、私は逆に想像ができず緊張、混乱、フリーズが起きる。処理しきれないので虚無になる。
想起のしかたやその表現法方が人それぞれ本当にずいぶんと異なるのだなあという実感があった。
そこがもう「あなや!(古語)」と叫びそうな感動だった。
違うという事実は知ってるつもりだが、どのくらい違うのかを具体的に計れたことなどないので、
違うよねと思ってはいたが…
恐ろしく違うことに驚いた。
色もなく思い出されるって何どういうこと…
違いが本当はわからないというのは、
判るように話せていないということにもなる。
背筋が寒くなる。
自分の傾向も何となく知ることごできてスッキリした。
漠然とした不安だと思っていたものが、面白い尺度に変わったことも面白く、ひとつものを知るというのはこんなに楽しいのだなあという発見があった。
暫く感じていなかった感覚の発見だ。
「学ぶ楽しさ」を久々に心から感じて、頭の良い人との意味のある会話(会話になってたかな…)を楽しんだ。差別も無視もせず置いていかれずに話せるニュートラルなゼミのようだった。
「夕日が沈んでいる」という言葉の処理だけでこんなに違うのだ。
普段人と人の間ではどれだけの違いがあるのだろう!?
トラブルだとかエラーだとか、人間の特性の違いで起きているボタンの掛け違いも、「こんなに違うんだね!(感動)」で歩み寄れたら何て素敵な世界なのだろうなあとか思っている私は、脳の髄までお花畑だと思う。
「脳内お花畑」という言葉からも、「白い花、あれはマーガレットだろうか…が咲き乱れる春先の丘。天気は晴れていて青空に筆で描いたような白い薄い雲(巻層雲)がかかり、風がそよいで花が揺れ、時折吹く強い風に被っていた白いリボンつきの帽子が飛ばされる…くらいの安っぽいPVが流れるくらいには本当にお花畑だ。だいたいウフフアハハしちゃっている。
言語優位属性の人がヒプノセラピーなどを受けたらどうなるのだろう?
私は誘導され想像すると、
宇宙に投げ飛ばされ脱出ポットの中で凍死しそうになり意識が消えていくのを映画の場面のように見ていた。より体感的で、温度をリアルに感じるわけではないが寒いという感覚だけはある。寒くないがガタガタ震えてきた。
現実ではあたたかい部屋の簡易ベッドで薄いブランケットをかけられている状態だ。
次の場面は赤ちゃんの視点で天井から吊るしたくるくる回る赤ちゃん用のおもちゃを下から眺めている映像に切り替わった。実家の天井のテクスチャや実家独特の香りもした。どうやらそこから輪廻後齋藤さんちの娘として生を受けた場面だ。
1個前に胎内、目を閉じて光を見るとうっすら目蓋の赤色が見えるような世界と羊水なのか水中のようなくもった音がするあたたかい場面も見えていた気もする。
視覚で想像できる人にしか出来ないセラピーなのだろうか。
今回話している間たまにペンを走らせていたが、とってるノートにいるノートに有益な情報はほぼなかった。
カフカの「城」と、森博嗣の名前が読んでみたい本としてメモされている他は、
「もけもけ」という言葉から想像できる化物を描いたイラストと、うさぎの絵と、沈む夕日の絵の他、飽きて描いた関係のない落書きのみが残っている。
「ブーバ」と「キキ」という言葉をきいてどちらが攻撃的に感じるか?
という問いには子音の印象か尖って感じる「キキ」に攻撃性を感じるというのも違って面白かった。
私は、多分似た字面の知っているキャラクターを想起して
「サンリオのキキララ」的なものと
「ポケモンのブーバー」を比較して
火を吹いているモンスターを想像した「ブーバ」の方が攻撃性を持っていた。
触れてきた知識によるものだろう。私の人生は全力で現実から逃避している時間の方が長いため、脳内の辞書が貧弱かつ非現実的な方向に偏っている。また、図鑑が好きなので文字情報より視覚的なストックの方が多いのだと思う。
間違い探しの方法にも特性や傾向が現れていた。
「間違い探し」を検索して、出てきたものを幾つかやってみたが、あんまり間違いには気づけない。あからさまなところは気づくが、探すことに楽しさも感じず、二つの絵を寄り目で重ね合わせて違いがチラチラと点滅する部分を見つけられればすぐ分かるという方法で探す。
一昔前に流行った立体視、3D絵本みたいなやり方だが、それがそもそも出来ないというのも、私にはわからなかった。
今日はずいぶんと濃い目の会話をしていたとおもうのだが、まともな文や定義として記憶しているものが何もない。あとから肉付けして反復してやっと人に話せるようになると思う。
基本的に人の話を聞けていないし、想起したするときの引き出しの開け間違いも多い。
音から想像した絵の記憶と記録のみが手元にある。
冷静に思い出した記録はこれらが限界である。
文章にする前に、今日話した内容を思い出そうとした時は、「クラムボンはかぷかぷわらったよ」という文と共に水底からプカプカしているさるなしを見上げているだけの映像が浮かんだ。
会話から私が想起したものがそれなだけで、
その話は主なトピックではない。
そんな私と生きていくのか…(絶望)と思った時間ではあるが、内容は面白かったと思う。
この話を思い出す時、皆は何処を切り取るのだろうどんな表現をするのだろうととてもワクワクする時間だった。
視覚↔言語というスケールもあるが、
伝えたいを表現したとき
個人的視点↔客観的視点
感情的↔状況的
などそういうところにも個々の傾向が出るんだろうなあ。
ステータスが見えちゃう系主人公の漫画のように
人の尺度が見えたら相手に合わせて語りやすいだろうか。自身の能力が試されそうだ。
記録に残さないで記憶のみに頼ると
私が後日今日の話をする場合
「アファンタジアの話をしたんだ!んーとね、何か…、かぷかぷわらってたんだよね。」など、おおよそ42年生きた人間から出てくる言葉とは思えない恐ろしい説明を始めると思う。
そんなわけで私は時間があれば記録をとるようにしている。
小説の題材も、「歳を重ねるごとに忘れていく私」を忘れたくないから選んだんだろうな。こんなに楽しくて感動したことさえなかったことにはしたくない、みたいな。小さなヒントを残して思い出して共有したい、みたいな。
今日もありがとうございました。
文章にすべきはこの話ではないんだけど(笑)
「あの取り留めもなく、有意義な難しいお話で、私は何を拾い、何を感じたのか」を言語化したくてまず記録してみた。
