あの日の「怖い」が「喜び」に変わった子どもの心に涙する
夏が来る前から水遊びをしていた我が家の子ども達。
園から帰るなり小さなプールに水を入れる間に
ポッキンするアイスを食べて、
1時間くらい遊んで、そのままお風呂。
そんな日々も梅雨を挟んでおやすみしていたけれど
ついに梅雨明けなのか?比べものにならないくらい暑い!
今年もプール三昧。水遊び三昧の夏がやってきた〜!と
どこかウキウキするのは
夏休みを毎年楽しみにしていた子ども時代からの名残かな。
そんな我が家は夏と言わず
「プール!プール!」と一年中騒いでいる5歳の子がいる。
赤ちゃんの頃から水遊びが大好きで、
ベビースイミングも一緒に行っていたこともあるのか
毎年夏になるとプールや水場で遊ぶのが大好きで
「この日とこの日はプール行ける」とカレンダーに書いて指折り数えて待つほど。
1歳ごろ公園に行った時、
ベンチに荷物を置きに少しだけ目を離した隙に水道の水を出して
頭を洗っていた時には驚きもあったのだけれど
一周回って感動した。
ただ一回やると楽しさを知ってしまって
公園につくなり水道を捻る生活が始まって白目をむく日もあったなぁ。
今振り返ると懐かしい思い出。
娘が年少の頃、プールに行きたいと冬でもいつでも言うものだから
お友達も数人通っているスイミングに体験に行くことを提案。
「いくいく〜」と楽しみに行った。
楽しんで行ってくると思いきや、おかしいぞ。
泣きながら、先生に抱かれている。
慣れたら大丈夫かと思いながら見ているが、一向に泣き止まない。
結局何が嫌だったのか見ているだけでは全く分からないくらい
先生も優しいし、みんな楽しそうだった。
お着替えを手伝って、「よく頑張ったよ」って手を繋いで車に向かう間
ずっと娘は口を開かなかったが、車に乗ってすぐに「やらない」と言った。
「どうしてあんなに大人がこっちを見ているの?」
「恥ずかしいし、怖い」
「ママとプールに行って遊ぶほうがいい」
そんなことを話す娘にどんな言葉をかけたらいいのか正直分からなくて
「そっか」「無理に行かなくてもいいね」と私も娘を頑張らせることから逃げるようにして、家に帰った。
冷静に子どもの目線になってみると、確かにたくさんの大人がこちらを見ている状況に違和感を感じるのも無理はないかもしれない。
子どもなりに感じること、思うことがあっただろうと思い、それ以降スイミングが話に上がることはなかった。
それから1年半。
年長になった娘が急に
「前スイミング行ったけど、やらなかったじゃん?」
「やっぱりスイミング行きたいんだけど」と言ってきた。
大人が見ている環境は変わらないけれど大丈夫かと確認を取ると
「もう年長になったし、心もお姉ちゃんになったから大丈夫」
「あんなに人が見ているけど、ママも見てるんでしょ?嬉しいやん!」
こんな言葉を娘が言う日が来るなんて想像もしていなかった。
それと同時にあの時、「無理に背中を押さなくてよかった」と過去の自分に感謝した。
どこか子どもを育てるのは親の役目だと感じて、
どうにか子どもの心を強くしてあげようと思うこともあったが、
子どもの心は育つものなのだと感じた。
子どもが何かに挑戦するとき、安心のパワーが必要だと思っている。
安心のパワーが意欲になり、意欲が挑戦する勇気になると思っているから。
意欲という原動力があるからこそ行動する力になるのだと思う。
お掃除ロボットがお掃除をして、充電スポットに帰ってくるような感じで
安心を充電する場所が子どもにも大人にも必要。
だから私は子どもが安心できる場所であることに徹している。
時に、「これは甘えか?」「もっと厳しさが必要か?」と迷うこともあったのだけれど、子どもを信じると決めてなんとか自分を励ましながら過ごしてきた。
なんだか、ただ「スイミングに行きたい」と言われただけなのに
「ママ、それでいいよ」「ママはそのままでいいよ」と言われているような気にさえなった。
その後すぐに体験に行き、今では週に2回楽しくスイミングに通っている。
とっても楽しいみたい。毎回笑顔で手を振ってくる。
疲れて夕方は下の子たちにケンカをふっかけたり、イライラしたりしているが、それでも「スイミング楽しい」「次はいつ?」と楽しく通っている。
「大人が見ていること」が怖かった1年半前の娘は、
「ママが見てくれている」という喜びに焦点を当てられるようになった。
環境は何も変わらないのに、こんなにも子どもの姿は変わるのかと驚くほど。
楽しそうにビート板を持ってバタバタしている娘を見てなんだか涙が出た。
たくさんの保護者が見ていることが怖くて泣いていた娘が、
「ママが見てくれている」と笑ってプールを楽しめるようになった。
子どもの心は、頑張らせて育つものではなく、
安心できる場所で少しずつ育っていくものなのかもしれない。
だから、いつだって私は安心できる場所でありたい。
そういうママでいたい。
そんな存在であることでこれから先、子どもたちが安心して育っていってくれると信じて見守り続けていたい。
一緒に過ごしてきた時間は、
子どもを育ててきた時間というより、
安心を積み重ねてきた時間だったのかもしれない。
私にとって子どもたちや夫も安心をくれる大切な存在だということにも改めて気づく。
これからもお互いに安心できる場所でありながら
一緒に育っていけたらいいな。
