わたすと出逢いのミルフィーユ~愛の重みを添えて
なんでか、さむいなと思ったら、暖房がついていなかった。
湿度44%、うるおいを、ありがとう。
わたすは、わたす。齢40歳。全力でオバチャンをしている。
35歳を越えたら、みんなオバチャンという大きな一括りを勝手にしている、厚かましいオバチャン。35歳になりたてのひとからしたら、なんやこのババァと思うでしょう。当然です。不快にさせてしまって申し訳ございません。潔く謝ります。でも、訂正はしません。
わたすはオバチャンってやさしいと思ってるの。そして、歳を重ねることってわるくない。むしろ価値がある。わたすはオバチャンに最大の敬意を表している。
若いというのは、もちろんそれだけですごい。羨ましい。お金では買えない。でも、女性って、「若い女の子」というだけで足を掬われる、とも思いませんか。なんかこう、舐められるというか、ひとりの人間として、扱ってもらえないというような、くやしい想いしませんか。
もちろん、若くても認められて権威もある、すばらしい女性もたくさんいらっしゃる。歳をくっただけの、意地悪なオバサンも、なかにはいる(ただ、それはオバサンとかババァ。オバチャンとはべつもの、と勝手に持論を展開している、わたす)。
あれ、I=オバチャンということで、このはなし、終わってしまうのではないですか。
あきらかに、選択ミスなのでは。
実はね、もうほんとうに、散々なやんだんです。
#モノカキングダム2025
わたす、はじめての参加となります。
フォローしている方たちから、ちらほらと聞いて、うわ!たのしそう!と思ったんです。
書けるだろうと思っていたんです。
骨格はあったんです。
なんとなく道筋も考えてたんです。
でも、書けないんです。
それはひょっとして、わたすが、「いい文章を書きたい」と欲を出しているからに、ほかならない、と気づいたんです。
そうそれが、現在。締切は23:59。いまは、19:49。
最近とある作家の方のインタビューを読んだの。「自分がつくったものに対して、相手がどう思うか。受け取り手の反応というものは自分で操作できるものではない。だから、そこは考えないようにして創作しています」みたいな、そんなことだった。
そうなの。「ええ記事」かどうかというのは、読んでくださった方が決めることなの。わたすが「ええ記事を書かなきゃ」と意気込んだところで、「ええ記事は書けない」の。
たとえ、わたすが丹精込めて書いた文章も、読み手にとっては、鼻くそほじりながら、「へー」とサッとスクロールされてしまうものかもしれない。そこは受け取り手の自由。
わたすが書けるのはわたすのなかにあるものだけ。そこから逸れて、「ええ記事」を無理やり書こうとしても破綻するだけ。
わたすはオバチャン。
なんでそこに厚かましくいられないの。わたすを、叱責する、19:57。
ひとさまの文章を読んでいると、問答無用で「あぁ、このひとのこと、すきだなぁ」と思わせてくれるものがある。文章そのものよりも、書き手に対するモーレツな敬意を感じるときが。
うまく言語化できないなにかであるのだけど、文章で伝わってくる人間性、誠実さみたいなものを感じるのかもしれない。
それは自分の考え方と似ていても、似ていなくても。
こう、著者自身をすきにさせてくれる文章は、なんだろう。この人のすべてをわたすが、くまなく受け止めるぜ、というような心待ちにさせてくれる。
一文字、一文字を、噛み締めるように読む。というか、そんなことをしなくても、すらすらとわたすのなかに入り込んでくる。不思議。
きっとその対象は、ひとによってちがうのでしょう。
そういう文章を書くひとに出逢えたとき、わたすはすごくうれしくなる。
わたすがnoteをつづけているのは、そんな瞬間に立ち会いたいから、なのかもしれない。
そして、わたすには、いとおしい息子がいる。小1。
わたすが「書けない」と泣きながらPCとにらめっこしているうちに、リビングで寝てしまっていた。
ベッドまで運ぼうと、身体を抱えようとして、驚く。
重い。ずっしりしている。
おかしい。この前まで、重さを噛みしめながらも抱きかかえられたのに。
愛の重みはずっしり。
歳を重ねるにつれ、思うことはもうひとつ。ひとから貰うよりも、ひとにあげることに、より一層よろこびを感じるようになったということ。
その愛は、添えるだけ。
…あの、おやすみなさい。
<1795文字>
