「推し」も「好き」もない話
わたしには「推し」がいない。そもそも、なにかが「好き」という感覚さえ薄い、ということに最近気づいた。
「好きなことはありますか。好きなことを持つといいですよ」的なことを言われ、想いを巡らせたがなんも思い浮かばなかった、というのが経緯です。
もう少し逡巡すると、結果とか成果物とかに興味が持てないのだと思った。
例えばジャズ。わたしはビル・エバンス・トリオの4つのアルバム(「Portrait in Jazz」「Explorations」「Sunday at the Village Vanguard」「Waltz for Debby」)を大切にしている。
この先CDなど再生するチャンスは全くありません、と言われても、死ぬまで4枚のCDは捨てないだろう。
しかしながら、それは「ビル・エバンスが好き」ということばでは表せない。
わたしをそれらのアルバムへ誘った、村上春樹の小説の世界観、トリオにおけるスコット・ラファオの死、ビルの生涯、黒人労働歌に始まったジャズ音楽の流れ(どれも詳しくはないです)。
また、これらのアルバムに出会ったときの、わりに音楽鑑賞に逃げるしかなかった詰み気味のわたし。当時の兄とのやりとり。
そういうストーリーやプロセスの具現が上記4作であり、そのことに意味があり、「アルバムありき」「ビルのピアノありき」の「推し」とか「好き」ではないのです。
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