異文化に触れ発酵する思考/高野秀行『酒を主食とする人々』
旅の記憶を反芻するとき、楽しかった記憶だけでなく失敗したときの経験も色濃く記憶される。例えば本数の少ない電車を乗り過ごして、次の駅までの田んぼ道を延々と歩く羽目になるとか…(実体験)。
タイトル通り酒を主食とする民族を求めて、はるばるエチオピアの秘境を旅した記録を綴った本書もそんないろんな失敗が書かれている。
アジスアベバの「フィクサー」なるコーディネーター役の言葉に従い空港に向かうも、無碍なく断られビザは取れない。渡航できなくなり、在日エチオピア人の多い四ツ木で「インジェラ」なるエチオピア料理を嬉々として食べるも、正体不明の下痢嘔吐に襲われ搬送される。お腹が弱くてお酒を飲むと危機一髪になる高野さん。初っ端から踏んだり蹴ったり。
旅の目的の「酒を主食とする民族」であるデラシャ人のステイ先にたどり着くも、どうやら臭う。家族のはずなのに互いがやたらよそよそしいし、これは一体…と訝しむと、とあるトリック(このトリックの気づき方は流石で『イラク水滸伝』など他の高野さんの本を読んでいると、「あ~!」と納得する。ヒント:氏族社会)で見事看破し、まさかの「劇団」だったという。ヤラセでかつて番組が終わったクレイジージャーニースタッフが、逆にヤラセに引っかかるという皮肉さ。しかも、劇団家族(これはもちろんちゃんと事情があるのだ)が進行しているその間にも、この旅の目的であるパルショータという酒を飲みまくるのでべろべろになっている始末。
(そんな薄ら寒い展開になっても、現地の人の後ろめたさがあろうと好意でやってる気持ちを汲んで、なんとか双方のメンツを保ちつつ、次の取材先に見つける交渉術は役立ちそうだし、励まされる。)
高野さんはこういう旅の失敗やアクシデント、ハプニングをとてもポジティブに楽しそうに書く。もちろんその時は冷や汗をかく瞬間だろうが、こうして楽しく書かれていると、私も私も!と旅をして、知らない人々、知らない食事、知らない言語に触れてみたい、というプリミティブな気持ちが湧いてくるのが、高野さんの著書の醍醐味だと思う。
本書中でも「アフリカの京都」なる比喩があるが、出てくる食事のバラエティの豊かさ、日本の食事と根本的に異なるシステムのギャップは目まぐるしく楽しい。
ワットと呼ばれるソースをかける酸っぱいお好み焼きのようなインジェラ
すごい工程をかけるアフリカの京都の「コーヒー道」。
カートという覚醒作用のある葉っぱはどんな味がするんだろう。
エンセーテなるバナナ的植物はバナナ部分ではなく根茎を食うらしい。
チャガは酸味が結構強いらしい。コーヒーの葉っぱとお唐辛子やらを混ぜた朝の「コーヒー茶」も気になる…
文字なので色はないが、文字から色が浮かぶ鮮やかさだ。
そして、なんといっても目的である酒パルショータだが、これが興味深い。
パルショータの作り方の過程が面白い。
ざっくりすっ飛ばして書くと、
ソルガムと発酵に必要な植物を混ぜた団子を何度も発酵
→煮込んで糊化、のち糖化
→酒母(アルコールを含んだ液体)が出来上がる
→水を混ぜる
といった具合。
「白米の主食も兼ねているが、味噌汁的な感じが近い」という説明はしっくりくる。たしかに、この作り方、味噌だ。
この旅自体もそうだけど、異文化を知り、それを自分の文化圏のあれに似ているな、と参照元と照らし合わせ、ミックスして思考の中で醸成し解釈していく営為はとても「発酵」的で、ここに異文化を知ること、もっと広く書けば「わかる」ことの楽しみがあるのではないか…などと思った。
<おしまい>
