見出し画像

人魚おじさん物語Day10 — あたたかい場所で、空回る


二匹は、海底研究所の通路を抜けると、
食堂のほうから、
ふわっとした香りが流れてきた。

湯気みたいな、やさしい温度。
海底研究所の中で、
どこか“あたたかい場所”が、ここにはある。

食堂の奥で、ぷるりが手を動かしていた。
器を並べ、スープの鍋の状態を見て、
温度を整え、動線まで作っていく。

あの時の、みんなのスープ。
それが自然に思い出された。

はまちは鼻を鳴らした。

「……よし。今日や。
今日は、ぷるりを見返したる日や」

ぷる助は、ぷるりの背中を見て、目を細める。

「見返すって……お前、
昨日までボコられてた側やろが」

「うるさいわ。せやからこそや。
ここで“役に立つ犬”を見せつけたる」

「犬の前に、まず自分整えろや」

二匹は、言い合いながらも食堂の入口に立った。
ここで引いたら、また同じ。

ぷる助は、ほんの一瞬だけ迷って──
すぐ顔をしかめた。

「……しゃあない。いまだけや。
いまだけ共闘したる」

「お、ええやん。休戦成立や」

「勘違いすんなよ。
仲良しになる気は一ミリもない」

「はいはい。ほな、作戦や」

はまちは、声を落として言った。

「ぷるりの仕事を先回りして、
段取り完璧にしたる。
そしたら、あいつも思うはずや。
“お、やるやん”ってな」

ぷる助は即ツッコむ。

「ぷるりが
 “お、やるやん”
言うわけないやろ。夢見すぎや」

「雰囲気や! 雰囲気!」

「雰囲気で勝負すな。事故る未来しか見えへん」

……言いながらも、ぷる助は食堂に入った。

ぷるりは振り返り、
いつもの穏やかな顔で首をかしげる。

「え? ふたり……どうしたの?」

「手伝いに来たった」

「来たった、って言い方やめぇや」

「うるさい。今日は働いたるねん」

ぷるりは一拍置いて、少しだけ目を丸くした。

「……ありがとう。
じゃあ、これお願いしてもいい?」

そう言って、ぷるりは二匹に“やること”を渡す。
器の配置、パンの温め、ドリンクの準備、
テーブル拭き、スープの配膳補助。

はまちは張り切った。

「任せとき!
ワイ、こういう段取り得意やねん!」

「さっきまで腹ぺこぺこ言うてた口が、
よう回るな」

「働いたら腹減るんや!」

ぷる助は器を持ち上げながら、ぼやく。

「まずお前は、働く前に食う算段すな」

はまちは器を並べるスピードが速い。
速すぎる。
勢い余って、器と器が「カン」と鳴った。

「おい! 音出すな! 研究所は静寂が命や!」

「静寂より飯の方が大事やろ!」

「論点ズレとるわ!」

ぷる助はぷる助で、几帳面すぎる。
器の角度を一ミリずつ直し、
テーブルの水滴をゼロにしようとして止まる。

「お前、それ、いつ終わるねん」

「気持ち悪いやろ! 曲がってたら!
食堂は美学や!」

「美学で腹は満たされへん!」

言い合っている間に、スープの配膳が迫る。
ぷるりの動きは速い。無駄がない。
二匹だけが、食堂の流れから少し浮いていた。

はまちは鍋を覗き込み、目をキラキラさせた。

「うわ、ええ匂い……ちょい味見──」

「やめぇ! お前、なんも働いてへんやろ!
図々しいにも程あるわ!」

「働いとるわ! 器並べたわ!」

「並べ方がガチャガチャや!」

はまちが反論した瞬間、手元が滑って、
おたまが跳ねた。

スープが、ぽちゃん。
床に、ぽちゃん。
泡が、ふわっ。

ぷる助が即座に叫ぶ。

「ほら見ろ! 事故ったやんけ!」

「ちゃう! これは……
床に味を染み込ませてやな……」

「床に味つけてどないすんねん!!」

ぷるりは、その一部始終を横目で見ていた。
怒鳴らない。
慌てない。

でも──視線だけが、静かに刺さる。

「……ふたり。まず、おたまは置こうか」

声はやさしい。
だから余計に怖い。

はまちは背筋を正した。

「はい」

ぷる助も同時に言う。

「……はい、すんません」

ぷるりは床をさっと拭き、鍋の状態を確認して、
何事もなかったみたいに配膳に戻る。
手際は美しい。

…二匹のワチャワチャが、
ただの泡みたいに消えていく。


── Day11へつづく。

いいなと思ったら応援しよう!