NHK短歌「初恋」
日曜の朝、「NHK短歌」を眺めるのが、近ごろの小さな楽しみになった。年齢のせいか、一度見ただけでは胸に落ちきらず、NHK ONEで何回か見返して味わうのが習慣になっている。画面に流れる三十一文字の世界は短いようでいて、繰り返し読むほど奥行きが出てくる。
番組は四人の歌人が週替わりで登場し、全国から寄せられた作品をテーマごとに紹介してゆく。短歌そのものの妙味はもちろんだが、選者たちのコメントがまたおもしろい。言葉の選び方や比喩の伸ばし方に、その人の人生観がにじむ。語られた一言の余韻で、歌がふいに息を吹き返すこともある。
先日の選者は木下龍也さん。1988年生まれの気鋭の歌人で、2021年に刊行した『あなたのための短歌集』は、依頼者の思いに耳を澄ませ、一首ずつ作ったという、いまの若い歌人らしい企画性に富んだ一冊だ。
今回のテーマは「初恋」。木下さんは、「遠い記憶であればあるほど、短歌に引き寄せた瞬間に詩が立ち上がる」と語っていた。確かに、初恋という言葉には、いまだ手ざわりの残る甘酸っぱさと、時間の向こうに霞んだ懐かしさが同居している。
紹介された入選作は、いずれもその“ゆらぎ”をたっぷり含んでいた。
放課後に リップクリーム 塗りあって
そういうことに なりそうな冬 (山口正剛)
若いふたりが、放課後の教室でリップクリームを塗り合っている。その先にある気配を、冬の空気が静かに告げている。大胆なようでどこか幼い。自分の昔を思い返すと、「恋とは本質的にこういう究極の高まりだったな」と、思わずうなずいてしまう。
告白が 初めての君に アドバイス
室外機の風 当たってまーす (吉品えーゆ)
はじめての告白なのに、なぜか話題は室外機の風。伸ばした「まーす」の調子がからかっているのか、照れ隠しなのか分からない。それがかえって「初恋らしさ」を増幅していて、思わず笑ってしまう。
パソコン画面を覗いた監視人殿(通称・妻)が、「これどういう意味なの?」と怪訝な顔をする。いや、それは私にも説明し難い。
コンビニで 高いサラダを 選ぶとき
ふと沸き上がる 大好きってゆって (谷祐里奈)
相手のために少し高いサラダを手に取る。そんな些細な行為のなかに、「好き」と言ってほしい自分の気持ちが、不意に湧き上がる。結婚したばかりのころ、監視人殿もこんな風に私を思いながら買い物をしていたのだろうか、とつい想像してしまった。
初恋の 飛行機を待つ あのビルは
赤い光を 点滅させて (大岩真理)
夜明け前の街に、ビルの赤い点滅灯だけが静かに瞬いている。その光から、私は宮沢賢治の童話「シグナルとシグナレス」を思い出した。隣り合いながら決して動けず、互いに想いを告げても恋は叶わない信号機の物語。 動けないビルと、飛び立つ飛行機。やはりこの恋も、成就するはずはない。作者はもしかすると、賢治のあの切なさを知っているのかもしれない。
番組では、ほかにも次のような作品が紹介された。
私から 一歩も外へ 出なかった
静かな静かな 三月の恋 (坂本真依子)先輩の 生まれた町では 探せないように
眼鏡を 外して歩く (河原こいし)これまでの 僕じゃなかった でも何に
変えられたのか わからなかった(雑賀一樹)言わなければ 遠く遠くへと 行けるのに
眠るきみに 次だよと教える (長尾桃子)何事も ぶっ通そうと してしまう
冬の初めの 枯れ葉を踏んで (樋口淳一郎)
淡い光のように微笑ましい歌もあれば、言葉にならない揺れをすくい上げた歌もある。初恋という一語の下に、これほど多彩な感情が潜んでいたのかと驚かされる。
画面に映る短歌を眺めていると、自分の若い日の思いが、ふいに胸の内側から立ち上がってくる。日曜の静かな午前、ひとときだけ昔の自分を歩き直すような、そんな温かい時間だった。
