「小説でもどうぞ」落選集〔28〕 テーマ「才能」 タイトル「マナティーアンテナの朝」
「ちりん」とまた涼やかな音がした。
佐藤の足元を小さな銀色の鈴が転がっていく。
横断歩道の信号が赤から青に変わる瞬間を彼はコンマ一秒の狂いもなく言い当てた。
その代償あるいは報酬として彼の鼻の穴からはこの一週間、絶え間なく鈴がこぼれ落ちていた。
帰宅して玄関を開けると、そこには銀色の海が広がっている。
歩くたびに「しゃらしゃら」と冬の枯れ木が風に揺れるような音が部屋に満ちた。
数万個はあるだろう鈴に佐藤はため息をつき膝まで埋まりながらベッドに倒れ込んだ。
寝返りを打つたびに鈴が肌に当たり冷たくて痛い。
そもそもこんな能力を頼んだ覚えはないのだ。
翌朝、会社へ向かう途中の交差点でそいつは待っていた。
全身真緑のタイツに身を包み胸に「情報局」と書かれたバッジをつけた男だ。
男は佐藤の前に立ち塞がり眉間にしわを寄せて告げた。
「佐藤さんですね。いい加減にしてください。あなたの『同期』のせいで、現場は大混乱ですよ」
佐藤は面食らった。
「同期? 信号のことですか?」
「そうです。あなたが信号のタイミングを完璧に当てるたび、地球の裏側、ブラジルのアマゾン川では一頭のマナティーが空中に浮遊しているんです」
そう言うと男はタブレットで動画をみせてきた。
動画には困惑した顔で密林の上空をふわふわと漂うマナティーの映像が映っていた。
「あなたが予知を的中させることで世界の因果律に余計なエネルギーが溜まる。それが地球の裏側の一番無関係な生き物に逃げているんです。今やブラジルの空はマナティーでいっぱいです。彼らも迷惑しています。今日中に予知をやめてください。このままじゃ国際問題になりかねない」
「でも、何故それが僕の同期のせいだとなるのですか?」
「AIですよ、AI」
「AI?」
「そう、AIとなれば皆納得します。私もあなたも」
「はあ、でも仕組みがよくわかりませんね。どういった理由で僕とマナティーが結びつくのですか?」
「質量保存の法則とかいうことらしいですよ。私も難しいことはよくわかりません」
男はそこで一度言葉を切り面倒そうに佐藤の鼻の頭を指差した。
「ただ、AIの分析によれば、この街は速すぎて硬すぎるんだそうです。効率ばかりを求めてギスギスした都会の摩擦熱を冷ますには、世界で一番柔らかくて、のんびりした生き物による中和が必要だった。あなたの鼻の穴がそ『究極の緩衝材をブラジルから呼び寄せるための、唯一の周波数に合致してしまったんですよ。全くはた迷惑な話だ」
男は心底疲れ切った様子でそう言うとタイツをなびかせて雑踏の中へ消えていった。
佐藤は呆然としたが映像の中の悲しそうに空を泳ぐマナティーの瞳が忘れられなかった。
自分勝手な快感の為に、あんなに重そうな生き物を無理やり浮かせていたなんて。
「次は、わざと外そう」
佐藤は次の大きな交差点で立ち止まり赤信号を見つめた。
いつもなら、三、二、一、はい今。そう念じるだけで信号は青に変わる。
だが今日は違う。佐藤は点滅が始まるタイミングをあえて無視し全くデタラメなリズムで「今だ!」と強く念じた。
その瞬間に世界が悲鳴を上げた。
「っっっっっ!?」
バリバリという鼓膜を突き破るような爆音とともに信号機が火花を散らして爆発した。
それだけではない。街中の街灯からビルから走っている電車の架線から青白い電気が奔流となって溢れ出し、すべてが磁石に吸い寄せられる鉄屑のように佐藤の鼻の穴に向かって吸い込まれていった。
世界が一瞬で真っ暗になった。
街中の電力を鼻から飲み込んだ佐藤はあまりの刺激に鼻の奥がムズムズするのを堪えきれなかった。
「は、は……はっくしょい!!」
特大のくしゃみが、静まり返った暗闇に響き渡った。 次の瞬間、空から何かが降ってきた。
ボチャッ。ベチャッ。ギュムッ。
それは雨でも雪でもなかった。
湿った巨大でグレーの塊。
数千頭という単位のマナティーが空からボトボトと道路に降り注いだのだ。
通勤途中の車はマナティーたちの弾力のある体に優しく押し除けられた。
驚いたドライバーたちが車から降りてくるが不思議と怒っている者はいない。
ナティーの体温とその独特ののんびりした空気が殺伐とした朝の通勤路を包み込んでいた。
衝突事故も渋滞もマナティーがクッションとなってすべて「物理的」に解消されていく。
佐藤はマナティーの山に埋もれながらようやく理解した。
自分は未来を予知する特別な人間などではなかった。
この硬く冷え切った街を救うために地球の裏側にいる「柔らかい存在」を運搬するための生きたアンテナに過ぎなかったのだ。
「まあ、いいか。これで誰も傷ついてないし」
佐藤は自分の目の前に落ちてきた一頭の一際大きなマナティーの背中を撫でた。
湿っていてゴムのような不思議な手触りだ。
マナティーはのんびりとした顔で佐藤を見つめ短いくしゃみを一つした。
佐藤は鈴の音を聞いた。
マナティーに乗り銀鈴を鳴らしながらゆっくり会社へ向かう。
歩くより遅いが確実に進む。
同僚が驚いて待つ入り口で佐藤はマナティーの首を叩いた。
明日はもっと呼ぼう。
この窮屈な世界が少し柔らかくなるかもしれない。
