【1-3】この日を終わらせる方法を、僕はまだ知らない
先生が教室に入ってきた。
「あーい、じゃあ今日から新しいところやるぞー、予習はやってあるよなー。54ページね。」
僕は漢文の教科書の54ページを開いた。昨日、授業中にこれでもかってくらい書き込んだはずだ。いつ先生に指名されても答えられるように。
ノートが白紙なのは、おそらく別の教科のノートに間違えて書いてしまったのだろう。あとで探しておこう。隣の席の山田さんは、正直抜けているところがある人なので、昨日のことなんて忘れてしまったに違いない。今日は特別時間割で、たまたま2日連続で1限が漢文なのだろう。インターハイ予選で公欠をとる生徒も多いので、こうして学校側も調整しているのだろう。
頭の中で自分を正当化する理由はいくらでも思い浮かんだ。でも、目の前に広がるまっさらな教科書54ページは、何度目を擦っても変わらなかった。脇汗で下着が湿る感覚がした。
「佐伯くん、どうしたの?さっきから様子がおかしいよ。」
山田さんが心配してきた。
「お、俺、昨日この授業受けたのに。」
「まだそんなこと言ってるの?ここ新しい範囲だよ?勘違いじゃない?」
「いや、先生が他のクラスと勘違いしちゃってるのかも。俺ら昨日やったもんこれ。」
「変な人。」
山田さんは呆れて、視線を教科書に戻した。
「じゃあ、中村、この漢字の意味答えて。」
先生が生徒のことを指名し始めた。誰が当たるかは完全に先生の気まぐれなので、気を抜けない。次、いつ自分が当てられるか分からないので、急いで教科書に出てくる漢字の意味を調べることにした。
「ほい、じゃあ佐伯。次の漢字は?」
まさかの2番目である。早い、あまりに早すぎる。僕はまだ電子辞書の電源をつけただけなのに。
教科書に目を移すと、そこには見覚えのある漢字が並んでいた。
「『豈(あに)』、これは反語です。」
とっさに答えが思い浮かんだ。というか、これは昨日覚えたばかりである。
「おお、お前ちゃんと予習してんの珍しいな。部活一筋のお前が、やっと勉強する気になったか?」
先生が満足げにしている。
「ああ、まあ、、はい。」
歯切れの悪い返事しかできない。
昨日と同じ範囲を授業しているのに、クラスメイトはだれも指摘しないのだろうか。前の席にいる真面目な学級委員長、こういう場面だったら絶対に指摘するだろうに、そろどころか熱心に板書を取っている。
先生、この範囲、昨日やりました、と指摘する勇気は僕に無かった。いつも授業についていけず、みんなの前で撤退指導されているような僕が、ここで出しゃばるのはなんかイタイ奴だ。個人的にも漢文は苦手なので、いい復習になるだろう。僕は黙って授業を受けることにした。
でも、なぜ先生は気が付かないのだろう。昨日、授業中に当てられて何も答えられなかった僕に対して、ノートびっしりに赤字の修正を入れたはずなのに。さっぱり忘れてしまったのだろうか。
時計の針を見る。もう9時半だ。ここで、昨日やった範囲が終わってしまった。チャイムが鳴るまでまだ20分ある。昨日よりも明らかに進むペースが早い。
僕がクラスの皆の足を引っ張らなければ、これだけ早く進むということなのだろうか。そう思うと急に肩身が狭くなった。
鐘が鳴り、授業が終わる。次の教科は何だろう。ここで初めて時間割を見る。今日は火曜日だが、特別日程で月曜時間割。そう認識している。
2限は数学である。2日連続同じ時間割なのは、少しラッキーかもしれない。荷物を準備する暇が無かった僕は、使う教科書が同じなので忘れ物をせずに済んでいるからだ。
そんなことより、僕には突き止めなくてはならないことがあった。昨夜、この学校でレイナという女子生徒の死体が見つかったことである。
不思議なことに、誰もその話題に触れない。こんな物騒なニュース、誰も気にしないなんてことがあろうか?それとも、怖すぎて逆に触れないようにしているのか?みんな、レイナと親しい人たちに気を遣っているのかもしれない。
僕は加藤の席に行った。
「おい、昨日のニュース見たよな?」
加藤の隣に座り、問いかける。
「え?」
「ほら、校舎で遺体が見つかったやつ」
あまり大きな声では言いたくない。加藤、早く理解してほしい。
「え?!マジ!!?」
加藤が叫ぶ。みんなの視線が集まる。
聞く相手を間違えた。こんな野蛮なやつはニュースなんて見ないのだ。
人差し指を口に当て、加藤を黙らせた。
僕はポケットからスマホを取り出し、ニュースサイトを加藤に見せようとした。
そのときである。
スマホは僕の手の平からこぼれ落ち、教室の床へと叩きつけられた。フィルムにヒビが入る。
ロック画面にはっきりと書いてあった。
2021年6月14日
月曜日
