見出し画像

50代で感じる「身近な哲学」

50代になると、
若い頃には気にも留めなかったことが、
妙に引っかかるようになる。

たとえば、
頑張っても評価されない日があること。
逆に、力を抜いた方がうまく回る場面があること。
全部をコントロールしようとすると、かえって疲れること。

昔なら「自分の努力が足りない」で片づけていた感覚だ。
でも50代になると、少し違う言葉が浮かんでくる。

― これは、そういうものなのではないか。
 
この感覚、実はかなり哲学的だ。

たとえば、
古代ギリシャの哲学者 エピクテトス は、
こんな考え方をしていた。
「自分でコントロールできるものと、できないものを分けよ」

50代になると、この言葉が急にリアルになる。
人の評価、組織の判断、時代の流れ。
どれも、自分ではどうにもならない。

それでも若い頃は、
「何とかできるはずだ」
「もっと頑張れば変えられる」
と思い続けてきた。

でも、もう分かっている。
どうにもならないものは、確かに存在する。
 
それに気づいたとき、人は少し楽になる。
諦めではない。整理だ。

また、アリストテレス
「幸福とは、何かを得ることではなく、よく生きることだ」
と考えた。

これも、50代でやっと腑に落ちる。

収入、肩書き、達成。
若い頃は「持つこと」が目的だった。
でも50代になると、「どう在るか」の方が気になり始める。

無理をしていないか。
自分に嘘をついていないか。
ちゃんと眠れているか。

これらは、名刺にも実績にも書けない。
でも、日常の満足度を確実に左右する。

さらに言えば、
50代になると「正しさ」にも距離を置けるようになる。
 
誰が正しいかより、
何が穏やかか。
何が続くか。 

これは、ソクラテス
「無知の自覚」にも近い感覚だ。 

分かったつもりで断言するより、
分からないことを分かった上で生きる方が、実は賢い。

50代で感じる哲学は、
本を読んで頭で理解するものではない。
 
仕事の行き帰り。
人間関係の距離感。
疲れやすくなった身体。
減らした予定表。
 
そういう日常の中で、
「ああ、そういうことか」と、後から気づく。

哲学は、特別な人のものではない。
50代になると、それが生活の中に滲み出てくる。

難しい言葉はいらない。
ただ、世界との付き合い方が、少し変わる。

それだけで、
人生は思ったより静かで、悪くないものになる。


いいなと思ったら応援しよう!

西そうた 読んでいて、「気づきがあった」「背中を押された」「次の一歩が浮かんだ」──そんな瞬間があれば、“ナッツ1袋”くらいいただけると、とても励みになります! 〜ナッツ?脳が冴えます!😆