西野葵が『冷やし中華』をはじめました
陽性の夏が民を刺激する、ストップ・ザ・体温・イン・ザ・サンな今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
―――暑い。
いや、暑いという言葉だけでは、もはや夏に対する説明責任を果たせていない。
じりじり。むわむわ。べったべた。
外へ出れば、太陽が「おっ、人間いるじゃん」とばかりに、頭上から遠慮なく炙ってくる。アスファルトからは、もわっと熱気が立ち上り、信号待ちをしているだけで、身体の水分とやる気と人間らしい感情が、じわじわと蒸発していく。
肌は汗でべったべたなのに、身体の中身はからっから。ようやく都会のオアシス(近所のセブン)へたどり着くころには、西野葵はもう、洗濯機から出した直後なのか、天日に干されすぎたあとなのか、自分でも判断できない状態になっていた。
早く涼しい場所へ行きたい。冷たい飲み物が欲しい。そして、できることなら。
―――冷やし中華を、ください。
こうして、わたし西野葵は、夏の風物詩、チルド麺界のクールビューティー、魅惑の冷やし中華を食すことを敢行した。
スーパーやコンビニの冷蔵麺コーナーに並ぶ冷やし中華には、妙な貫禄がある。ざるそばや冷やしうどんが涼しげな顔で整列するなか、冷やし中華だけは少し違う。
透明なふたの向こう側に、錦糸卵、きゅうり、ハム、わかめなどを色鮮やかに並べながら、
「夏だろ?」
と、こちらの季節感へ直接語りかけてくる。
そうだよ。夏だよ。
もう朝から室温が30度近いよ。助けてよ。
わたしはその訴えを無言で受け止め、セブンの冷やし中華を買い物かごへ入れた。
帰宅後、冷蔵庫から取り出した容器を手にすると、指先にひやっとした冷気が伝わってくる。この時点ですでに信頼できる。夏場において、触った瞬間に冷たいというだけで、だいたいのものは信用できる。冷たい枕。冷たいビール。冷たい床。冷たい目でこちらを見る家族。
最後のものだけは、できれば温かくあってほしい。
透明なふたを、ぺりぺりと剝がす。
まず現れるのは、錦糸卵やきゅうり、ハムなどがきれいに並べられた透明の中皿である。冷やし中華の具材たちは、この段階ではまだ秩序を重んじている。黄色、緑、桃色。それぞれが自分の持ち場を守り、美しい”夏の景色”を形成している。
その中皿をそっと持ち上げると、下から黄色い麺が現れた。つやつやとしながらも、今はまだ、ぎゅっと身を寄せ合っている。
―――目覚めよ、麺。
あなたの本当の姿は、そんなひとつの”塊”などではない。
箸先を差し入れ、固まった麺を少しずつ持ち上げる。くるり。ふわり。ところどころ、つるんと一本の麺へ戻っていくものの、まだ全体的に団結力が強い。
いいだろう。
その結束力も、あと数秒の命である。
麺の上へ、中皿から具材を滑り込ませる。するするっ。錦糸卵、きゅうり、ハム、わかめが、一斉に黄色い麺の上へ着地した。先ほどまで自分の持ち場を守っていた彼らが、ここから『冷やし中華』というひとつの料理になる。
そして、ここで王道の醤油ダレを投入する。
小袋の端を切り、たらり、たらり。
琥珀色のタレが、黄色い麺と色鮮やかな具材のあいだを縫うように流れ、器の底へすうっと沈んでいく。ふわっと立ち上る醤油の香り。その直後、鼻先をつんっとくすぐる酢の酸味。
箸で全体を大きく混ぜる。くるくる。ぐるぐる。醤油ダレをまとった麺が、つるん、つるんと一本ずつほどけていく。
先ほどまで固い結束を誇っていた麺たちは、酸味の利いた醤油ダレを前に、あっさりと解散した。
―――夏の団結は、短い。
やがて、つやつやした麺にタレが絡み、錦糸卵ときゅうりとハムが入り乱れる。中皿の上で美しい隊列を組んでいた具材たちは、ここにきて一気に無法地帯となった。
錦糸卵がふわふわと麺に巻き込まれ、きゅうりがしゃきっと左右から飛び出す。ハムがぺろんと突然センターへ躍り出て、わかめは器の底でしれっとタレを吸っている。
これこそ夏フェスである。
出演者、全員食べ物。
わたしは箸で麺を持ち上げた。つるつると光る黄色い麺に、錦糸卵がふわりと絡み、細切りのきゅうりが一本、ぴょこんと顔を出している。そこへハムまで一緒に引っかかってきた。
豪華メンバーである。
そのまま口へ運ぶ。
ちゅるん。
うまい。
冷たい麺が、つるつる、するすると口の中へ滑り込んでくる。むちっ。ぷるん。冷蔵麺でありながら、麺にはしっかりとした弾力がある。歯を入れるたび、むちむちっと小気味よく押し返してくる。
そこへ醤油のうま味と、酢のきゅっとした爽やかな酸味が、じゅわっと口いっぱいに広がる。
酸っぱい。しょっぱい。うまい。
3つの感情が、口の中で固い握手を交わしている。
夏の冷やし中華に、遠慮はいらない。「一応、酸味も入れておきました」程度では困るのである。こちらは暑さによって、食欲も気力も人としての品格も失いかけている。中途半端な酸味では、夏に勝てない。
きゅっ。つんっ。
食べた瞬間、頬の内側がきゅっと引き締まり、眠っていた唾液腺が一斉に目を覚ますくらいの酸味であってほしい。夏バテで眠っている食欲の胸ぐらをつかみ、
「起きろ! 麺だ!」
と、ぱちんぱちん往復ビンタするくらいの勢いであってほしい。
さらに、錦糸卵はふわりとやさしく、ハムはむにっと肉のうま味を加え、きゅうりはしゃきしゃき、ぽりぽりと涼しげな食感を響かせる。
麺をちゅるん。きゅうりをしゃきっ。錦糸卵をふわっ。ハムをむにっ。
ひと口のなかに、食感のアトラクションが詰まっている。
暑さで固く閉ざされていた西野葵の食欲が、がらがらがらっと音を立てて開いていく。
ようこそ、冷やし中華御一行様。
どうぞ奥までお進みください。
さっきまで「暑すぎて何も食べたくない」と思っていたはずなのに、箸が止まらない。ちゅるるっと麺をすすれば、酸味で口の中がさっぱりする。しゃきしゃきっときゅうりを噛めば、みずみずしい涼しさが広がる。むにっとしたハムと、ふわっとした錦糸卵が一緒にやって来れば、ちょっと得をした気分になる。
同じ冷やし中華を食べているだけなのに、箸で持ち上げる具材の組み合わせによって、毎回わずかに味が変わるのも楽しい。
今回は麺ときゅうり。
次は麺とハム。
おおっと、ここで錦糸卵とわかめの混合チームが来た。
冷やし中華は一皿の料理でありながら、口へ運ぶたびに違う顔を見せる。これはもはや、食卓のオムニバス作品である。
ここで、からしを少しだけ加える。
この”少しだけ”が重要である。
醤油ダレの海へ一気に投入してしまうと、全体が突然からし味になりかねない。そこで、容器のふちに黄色いからしをちょこんと置き、麺を食べるたびに少しずつ絡ませていく。
箸先でからしをほんの少し取り、麺にちょいっとつける。そして、ひと口。
つーん。
鼻の奥を、黄色い閃光が走り抜けた。
―――ああ、これだ。
冷やし中華におけるからしは、ただ辛いだけの存在ではない。酸味と醤油のなかへ、ぴりっとした緊張感を持ち込む名脇役なのである。慣れてきた口の中をつんっと引き締め、もう一度、食欲を最前線へと引き戻してくれる。
ただし、量を誤り、からしの塊をそのまま口へ入れた場合は話が変わる。
つーん、ではない。
ツーーーーンッ!
である。
鼻の穴から魂が抜けかける。目の奥がかっと熱くなり、涙がじわっとにじむ。夏の暑さを逃れるために冷やし中華を食べていたはずなのに、なぜか顔面だけが真夏へ逆戻りする。夏の憂鬱―――タイムトゥセイグッバイ。
だが、からし色の涙を流しながら、また麺をすする。
ちゅるるるっ。
うまい。
わたし西野葵は何をしているのだろう。
気がつけば、容器の隅に残った1本の麺を、箸で真剣に追いかけていた。つるっと逃げる。箸でつかむ。また、つるっと逃げる。
―――逃がさない。
おまえも、冷やし中華だ。
結局、容器の端まで追い詰め、きゅうりの切れ端とともに、ちゅるんといただいた。
冷やし中華のすばらしいところは、食べ終わったあとに、しっかりとした満足感がありながら、胃袋がずしんと重くならないことだ。ラーメンほど熱くない。そうめんほど儚くない。「麺を食べた」という充実感はきちんと残しながら、酸味のおかげで口の中はすっきり、さっぱりしている。
これはもはや、夏季限定の救命食である。
暑さによって食欲が遭難したとき、冷たい麺に醤油ダレをまとわせ、つるつる、しゃきしゃきと胃袋へ送り届ける。
食欲の救命ボート。
それが冷やし中華なのだ。
店先には、ときどき「冷やし中華、はじめました」という張り紙が出る。だが、よく考えてほしい。冷やし中華をはじめるのは、店だけではない。食べた人間も、そのひと口目から冷やし中華をはじめるのである。
夏の暑さに負けそうになった日。食欲がどこかへ家出した日。冷たいものを、つるつる、さっぱり、しゃきしゃき食べたい日。
冷蔵麺コーナーで、色とりどりの具材をまとった一皿と目が合ったなら、素直に連れて帰ればいい。
冷たい麺に、きゅっと酸味の利いた醤油ダレ。しゃきしゃきのきゅうりに、ふわふわの錦糸卵。むにっとしたハムに、鼻をつーんと駆け抜けるからし。
そこには、日本の夏をなんとか生き延びるための知恵と、食欲と、ささやかな幸せが詰まっている。
というわけで。
わたし西野葵も、つるつる、ちゅるんと。
冷やし中華を、はじめました。
