乱取りと格闘技:古流柔術と格闘技の相補性的な関係
年末年始にかけて体調を崩しており、先週の金曜日におよそ1か月ぶりに格闘技の練習に行ってきた。
最後のラウンドの開始30秒くらいで後頭部を打ってしまい、ちょっと締まらない終わり方になってしまったものの、それも含めて得るところ大であった。
今回の練習を踏まえて思弁したことについて記していく。
格闘技と古流柔術の歴史的連関について実践からの考察
人類の黎明期における格闘技
人類の歴史を論理的に推定すると、投石に並んで素手の格闘も人類の黎明と共に存在したと言える。
もちろん、サル的生命体からヒト、そして人間に進化する過程において、虎や狼のような爪牙は無いことから、格闘についてはほとんどの場合において同じヒト種族間においての闘争で用いられたものと考えられる(他の動物との戦い=獲物を捕まえる時や捕食者を追い払う時は投石を用いていたと考えられる)。
長い年月をかけてヒトから人間へと進化しても、格闘は直接的な戦技、そして戦争のための鍛錬としても用いられるようになってきた。
古代ギリシャのギュムナシオン(軍事体育訓練所)ではパンクラティオンと呼ばれる、現在の総合格闘技に近いものが行われていたことが分かっている。
このように、人類の戦いの黎明期から行われていた格闘であるが、これが次第次第に発展して、武器術そして徒手空拳の個別の武術となってきたと考えられる。
それがなぜかと言えば、端的には一撃で勝負を決めないと、側背部から攻撃されて自分が討ち取られてしまうからである。
格闘では勝負が付きにくいということを解決する二つの方法が、武器を使うこと、もう一つが格闘の技を拳打や蹴り、あるいは一撃で投げ落とすという技に進化させることであった。
格闘技と古流柔術の実践を通して見えてきた内的連関
格闘技を練習している第一義は「人間体の素材そのものの強化」であり、格闘技を練習し続けてスタミナの上昇も含めた五体の素材そのものを強靭化させることが最大の目的である。
そして今回の練習において、練習後のフィードバックを含めて分かったことは、
「相手が崩れていなくてまだスタミナが残っている内に極めにいこうとしても勝負はつかない、なので、まずは相手を崩し、押さえ込んで体力的に弱らせるということに全力を注ぐこと。グラップリングの9割以上は相手を弱らせることであり、技を極めるのは全体の1%にも満たない」
ということ。
それを踏まえて格闘技の勝負の流れを見てみると
立った状態を崩す→どちらかが床に倒れたら寝技の攻防でお互いの体力を消耗させて弱らせ合う→相手の動きが鈍ってきたら隙を見てサブミッションで極める
である。
そして、古流柔術において「一撃で勝負を決める」というのは、この格闘技の一連の流れを、一瞬で行うこととも言い換えることができる。
すなわち、格闘技での「崩し、相手の消耗による隙の現出、技を極める」という流れの過程を、古流柔術では一瞬の内にすべてを織り込んだものとしての技として形成しているということ。
なので、古流柔術の技が形成されるまでには、格闘技の流れの無数の過程を繰り返すことが行われており、その結果として現在の技が形成されてきたという視点で技を見ることも大切であろうと考える。
逆に言えば、格闘技の練習を通して、古流柔術の技がいかなる要素を内に含んでいるのかが論理的に見えてきたという点でも非常に意義のあるものであったと感じている。
乱取りと格闘技:技が無い状態で乱取り的練習をしていいのか?という疑問について
柔道凋落の元凶となってしまった乱取り
柔道と古流柔術を区別する最も大きなものは乱取りである。
しかしながら南郷先生の著作にも説かれているとおり、「武技の創出と使用」の区別と連関を成し得なかったことで、柔道の乱取りは「柔道の技の形成」を妨げることで柔道の武道としての内実を失わせる元凶となってしまった。
武道・武術はその勝負の構造の特殊性から、待ち時間というモノが存在せず、囲碁や将棋、あるいは野球やテニスなどの勝負と異なり、勝負をしながら技を磨くということが不可能である。
よって、武道・武術においては、技を使う前に「技を創る」という過程を取り出して「技を創る」ことだけに集中する過程を持つことが上達において必須であり、これなくしては真っ当な上達は望めない。
柔道はこの「技を創る」という過程を実質的にほとんど経ることなく、いきなり乱取りをして「技を使う」という過程に入ってしまうため、真っ当な武技が形成されずに、その人が持ち合わせた人間技で勝負をしてしまうことで、体格や体力に優れた人間のみが勝てるようになってしまい、武道ではなくケンカまがいの取っ組み合い、良くて「ジャケットレスリング」になってしまっているのが残念ながら現実である。
格闘技も柔道の乱取りと同じでは?という疑問とそれに対する答え
では、格闘技に目を移してみると、やっていることは柔道と同じであり、真っ当な上達過程とは言い難いのではないか?というのが、私も当初抱いていた疑問であった。
それに対して今現在出している答えは以下の通り。
1.まずそもそも格闘技を学ぶ第一義の目的が「人間体の素材そのものの強化」であって、格闘技を徒手空拳の武道・武術として「直接的には」学んでいないということ
2.格闘技の中でも、関節技や締め技に関しては勝負をしていても勝敗にこだわらずに技そのものを真っ当な形で駆使するということを意識していること
3.「相手を崩す」「押さえ込んで相手を弱らせる」というプロセスそのもの、あるいはそこから隙を見出すということ自体も一種の技であり、直接的な武技ではないものの、武技の周辺にある感覚を磨くという観点で格闘技を練習している
4.格闘技と古流柔術を区別して、それぞれ個別の取り組みとして分けて考えており、徒手空拳の武技の形成は型稽古のみの古流柔術できちんと修練している
おおよそ以上のことから、私の徒手空拳の武技に関して、柔道の轍を踏まないようにできていると考えている。
最終的に目指すところ
以前の投稿にも書いたとおり、最終目標は「日常の護身から徒手空拳の個別武道(空手や古流柔術、その他格闘技)との真剣勝負そして戦場での格闘戦まで広く使えて、かつ兵法二天一流・武道剣術の修得に資する修業体系でもある兵法二天一流・体術」の創出であり、「兵法二天一流・体術」が、二天一流抜刀術の前身であった木剣術操法のようなものになるか、あるいは黒田流・振武館のように形としては多流派併存という形でありながら実質的に「黒田流」として統合された内実の体系になるのかは、これからの修業次第であり、まだどうなるかは分からない。
しかし今のところは、木剣術操法のように、諸賞流和とは別の形としての兵法二天一流・体術の形成としていくつもりではある。
諸賞流和はそのための媒介であり、格闘技やこれから学ぶ予定の軍隊格闘術も同様である。
とはいえ、実際に諸賞流和を修業し始めて、諸賞流和もそれそのものとして伝承していきたいという気持ちも強まってきている。
諸賞流和の伝承では、遠祖は藤原鎌足であり、大化の改新の時に天狐より秘術を授かったことから「狐伝流」としたとある。
さらに坂上田村麻呂が阿弖流為との戦いに臨むにあたり、清水観世音に戦勝祈願をしたところ、絶伝していた狐伝流の秘術を夢想において悟ったことから「夢想観世流」と称したとある。
そして観世流二十七代、毛利宇平太国友が、源頼朝をはじめとした諸将の前で剛力の力士と幾度となく投げ飛ばし、諸将に賞賛されたことから諸賞流和と名乗るべしと源頼朝に申し渡された、という非常に長い歴史を持つ。
歴史的事実としてどこまで正確なのかはわからないが、少なくともこのような伝承がなされるほどに非常に長い時をかけて伝承されたのは間違いない。
また、諸賞流和の修業の最後に学ぶ甲冑での組み討ちの体系では、大将の首級を取る時の首の斬り方といった戦国時代までの武士たちの作法を伝えるなど、文化の伝承という点からも非常に高い価値を持つ流派である。
なので、現在の心境としては、諸賞流和の全体系を修得し、継承者の証である軒号持字を得る最終段階まで修業をして、盛岡以外の地でも兵法二天一流と合わせて諸賞流和も伝承していきたいと考えている。
もちろん、その後、私の跡を継承する継承者たちが兵法二天一流と諸賞流和を併伝し続けるか、それとも別々の伝承者になっていくのかは分からないが、剣も柔も、より見事な技、武術性と高い精神性、文化を誇るものとして発展させていきたいということは確かである。
