原点から考える:一般科学=哲学という最も困難な修学(付属して社会・教育体系の連関の私案)
このような記事を見つけた。
学問論から言えば「とても学的素人の書いた記事とは思えない」という皮肉った評価となるが、哲学が人文学の一分野であるという認識がまず根本的におかしい。
哲学とは、自然科学、社会科学、精神科学、これら全てを統括するところの、これら3つに共通する論理の体系であるというのが最低限の知識的理解でなければならない。
すなわち、アリストテレス、トマス・アクィナス、ヘーゲルという本来的な意味で哲学者と言える哲学者の遺したものを見ると、「全學を統括するもの」が哲学であるという現象論レベルに過ぎないものであっても、見て取れなければならない。
別言すれば、自然、社会、精神として存在するこの世界を、一体性的全体としてのつながりを含めて、世界そのものを丸ごと立体的な地図として描ききるものが哲学である、と言ってもよい。
それだけに哲学を修学するというのは、ヘーゲルの言ったとおり「哲学は円環であり、端緒を持たない」となるが、弁証法的に考えると「端緒を持たないと同時に端緒を持つ」とも言える。
ではその「哲学の端緒」とは何であるか。
それは瀨江先生が『医学の復権』で論じているように、学的一般教養である。
すなわち、自然、社会、精神の全學的な学びを一体化して描き切る、「世界全体はおよそこういう形」というものを、知識的、次いで論理的に体系化して認識できるようになることが「(一般科学としての)哲学の端緒」といえよう。
なので、当然ながらいわゆる理系(自然科学)分野に関しても当然のように修学することが求められるのであり、アリストテレスは見ての通り、そしてヘーゲルの『エンチクロペディ(哲学的諸学綱要)』においても、第二部・自然哲学とあるレベルの研鑽を当然に要求されるものである。
故に哲学を修学するとは、一般科学を導き出せるレベルでの自然、社会、精神の修学を意味するものであり、しかもそれらを個別科学の寄せ集めではなく「一体性的な体系性を持った世界全体」として体系的に認識することができなければならない。
果たして、このような途方もない学的営為を「哲学する」と称している研究者たちはただの一歩でも成し得たであろうか?
===================
冒頭に引用した記事の根幹には「(特に文系の)学問は役に立つのか?」という前提があると思われる。
そもそも論として「役に立つ、立たない」というものは一体いかなることを指しているのか。
これについては、世の中のほぼ全てが「就職、勤め人仕事の役に立つ」という認識、あるいは広く取っても「商品・技術開発、経営、政治・行政的実務、社交的会話の役に立つ」といったところに収斂するであろう。
このような前提的認識を抱いて「学問は役に立つのか」という問いを発しても不毛かつ徒労に終わるのは、学問、大学論争を見ていれば分かるであろう。
学問の原点を辿れば、古代ギリシャにおいて「自らの属する共同体を発展させるため」という認識から始まった。そこから古代ギリシャ以前のように直接的技術の発展によって即物的・対症療法的に解決する、あるいは宗教的直観に頼るのではなく、「世界そのものはそもそもどうなっているのか?」ということを対象たる世界そのものに向かって問い、弁証法的に運動する世界を正しく認識することで共同体の進むべき方向を確かに示すことが学問の原点であった。
ここを押さえていないと、イオニアのタレスから、エフェソスのヘラクレイトス、エレアのパルメニデス・ゼノンを経て、ソフィスト、ソクラテス、プラトン、そして古代ギリシャ哲学の頂点にして完成者たるアリストテレスに至る古代ギリシャ哲学の実相を掴むことはできない。
そして古代ギリシャ哲学の実相を掴むことが、哲学、ひいては学問とは何か?ということに対する揺るぎない答えを出すための本質である。
なぜかと言えば、哲学として誕生した学問の原点=学問の本質が古代ギリシャ哲学そのものであるから。
===================
以上から、学問の本質的使命の成就に加えて、現代の社会的要請(建前ではあっても「高度な学問を実社会に応用して問題を解決すること」)を解決しうる教育組織として、目的別に再編することが必要であろうと考えられる。
すなわち、純粋に学問研究・学問構築を専一に行う哲学部(学問部)と、学問的成果を応用して直接的に社会を発展させていく実学部(科学的技術部)に再編することである。
哲学部はその名のとおりで、自然科学、社会科学、精神科学の全學を修学し、最低限、学的一般教養の形成、そこから哲学一般をふまえての個別諸科学の学的形成、そして上限は哲学の形成を目的とする。
またプラトンのアカデメイアがそうであったように、学問と軍事訓練は非常に密接したものであるため、学問のための個別武道の修学とそれを通しての「現代の三學」たる「弁証学、認識学、論理学」の修学を行い、学的一般教養から哲学への学問化のための基礎学の修学も行う。
修学段階としては、学的一般教養の形成を果たして学士レベル(哲学士)、個別科学の学問体系化を果たして修士レベル(哲学修士)、一般科学としての学問的哲学の形成で博士レベル(哲学博士)とすれば、名称と実質の一致も果たすことができる。
なので、学士レベルの修了は17~18歳から高等教育に入学して早くとも30代後半、哲学修士は早くとも学問形成の出発として頭脳が体系化されてくる40代以降、哲学博士に至ってはどんなに早くとも60代以降となろう。
また、日本武道哲学の原理に基づく修練となるため、学問形成とともに、武道・武術も一つの個別武道に留まらず、武芸十八般の修得を合わせて行う。
武芸十八般の具体としては、剣術、柔術、捕手・縄術、鑓・薙刀・棒術、手裏剣術、弓術、鎖鎌術、馬術、踏水術(日本泳法)の古流の術技に加えて、現代的な知見から再編成した忍術(特殊身体運用・サバイバル術)を修める。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
一方、実学部(科学的技術部)は、単なる技術開発だけでなく、社会そのもの、人間の精神そのものに対する発展をも包含するところの社会それ自体の全体的発展を行う修練を行う。
個別武道の修練とそれに基づく「現代の三學」の修得から「大学生としての一般教養(学的一般教養の端緒)」の修学という本来的な一般教養の最低限のレベルまで教育を行いつつ、現代の実用的諸技術の修得を大きく問うていく。
実用的諸技術とは単に自然科学的技術たる工学のみならず、技術一般論をふまえての、自然科学的技術、社会科学的技術、精神科学的技術の修得を目指していく。
そのため、いわゆる技術者・職業教育に留まらず、各専門職の基礎的レベルの修得を行いつつ、共通課程として下士官レベルの教育を行い、その上で各人の希望と適性を見極めながら専門職大学院への接続を行う。
実学部を修了後、職業的専門家=理論的実践家養成の専門職大学院で個別的専門家の道を歩むこととなる。
実学部に接続された専門職大学院の分類図としては
技術生産修士:技術者・生産者養成課程(農林水産業を含む)
医療衛生修士:医師、看護師その他医療・公衆衛生職養成課程
司法修士:法曹関係者養成課程
政策行政修士:士官=将校レベルの職業軍人、行政官養成課程
教育修士:初中等・職業教育者養成課程(高等教育教育者養成は哲学部で行う)
におおよそ分けられよう。
技術生産修士は、単なる技術者・生産者ではなく、自ら資本もしくは非営利組織を形成・運用していくことのできる人材の教育を行う。そのため、経営、会計、金融も含めた課程である。
医療衛生修士は、医療・看護実践者たる医師・歯科医師、看護師の他、東洋医学の施術を行う柔道整復師、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、整体師、いわゆる心理職としての心理カウンセラーなど、人間の医療全般を体系的・全体的に担える人材の教育を行う。
司法修士は法秩序維持に関連する人材養成であり、裁判官、弁護士の他、警察官・検察官の養成を行う。
政策行政修士は、広い意味での文武官、すなわち士官=将校としての職業軍人の他、国家行政に関わる行政官(官僚ではなく)の育成を行う。
教育修士は、初等・中等教育及び職業教育を行う人材の育成を行う。なお、高等教育を教育する人材は学問部たる哲学部が担う。
また、特殊技能兵(工兵、情報兵、軍医・衛生兵、憲兵など)、法医学者といった分野横断型の養成には各専門職大学院を横断する課程を設ける。
===================
高等教育課程は、哲学部は「実践的理論家」、実学部は「理論的実践家」の養成課程と一言でまとめることができよう。
また、いわゆる頭でっかちになることを防ぐとともに、生活を成り立たせる基礎技能を付与するためにも、中等教育段階で技能・手仕事レベル生産技術、及び基礎的軍事教育を行うことも重要となる。
初等教育すなわち小学校卒業段階までで読み書き計算を習得させる。
次いで中等教育は旧制中学校+陸軍幼年学校をベースに、基礎的軍事教育(兵卒レベル)とビルメン四点セットレベルの技術系国家資格取得、農林水産業、鍛冶、家政術など、技能・手仕事レベルの実務を習得を通しての生産的技能及び全人的体力を養成する。
なので、基本的には中等教育=イスラエル的徴兵制となるであろう。
中等教育修了と国民皆兵を一致させるとともに、幹部(下士官以上)の待遇を希望する人には実学部卒業レベル=学士(専門職)として下士官、修士(専門職)としての将校教育を行う形で、教育課程と階級をリンクさせる。
専門職大学院の博士課程は、高級将校任官に必須の課程としての国防大学レベルのものとすることで、学位と階級との国際的な釣り合いを取る。
また、軍事以外では研究職としての博士課程も想定する。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
年齢との対照を通して全体的に通観すれば、旧制教育課程をベースに、技能の実践、手仕事の課程を大きく取り入れつつ、イスラエルの国民皆兵的な社会と教育の接続を参考にして「今様の戦国武士」の育成をベースにしている。
イスラエルの場合、18歳になってから2~3年を徴兵で兵卒として勤務し、その後高等教育課程へと進む。
私の私案では、中等教育5年と並行して初等軍事教育を行い(中学校入学と同時に「星の生徒」として二等兵任官、中4で一等兵に昇進)、中学5年生=中等教育修了時点で現役兵としての前線勤務を可能とするもの。
その後、中等教育修了で労働者となる場合、平時であれば中等教育卒業と同時に即応予備兵力として予備役に編入、25歳までに希望者には兵種ごとの上級技能付与教育を行い、修了者もしくは勤務成績良好な者は上等兵昇進、30歳から後備役(第二動員)編入となり50歳で退役する。
よって、下士官及び将校も当然ながら中等教育修了を前提としているため、イスラエルと同様に、全員が二等兵からのキャリアを平等に進んでいく。
どの階級までの昇進を希望するかで教育が変わるだけであり、イスラエル軍と同様に下士官兵に広い権限を付与することで、Auftragstaktikを実践していく。
なので、軍事組織と社会との関係はイスラエルを範としており、軍の階級に関しても、下士官兵に留まる場合でも充分な社会的名誉と権限が付与されることに特に配慮することが重要である。
