自己責任論


昔に比べると、こうした風潮が強くなったなあとおもうのが、「かもしれない」ということばのもたらす抑制力だとおもう。石橋を叩いて渡る式の、プラグマティックに現実と向かい合うすべとしての意味を超えて、あらゆる可能性の中に危機を見出して、自分ではなく他者の行動に待ったをかけるあり方は、相互監視的なSNSの時代に合っている、というか合いすぎてしまっている。
この対極でもあり、どこか通底しているのが、「書いてなかったからいいと思った」というかたちで逸脱を正当化するあり方だ。パーソナルスペースという距離感の把握があるけれど、挙げたふたつのあり方は、防御的であるか、侵食的であるかが違うけれども、どちらも、「わたし」の及ぼす範囲を最大化すべく拡張している。そしてどちらも、それを可能にする根拠を、権利という概念と重ならせてかんがえている。
今より少し前、それこそ自己責任ということばが飛び交っていた時期があった。先に挙げたような態度のありかたは、その直前の自己責任の時代となにか関係があるのだろうとおもう。自己責任は同時に自己裁量がセットになるはずだけれど、結局それが可能になるのはごく一部の「エリート」の世界でしかなく、自己責任ということばが意味しているのは、結果を受け入れろというはなしでしかなかった。バブル崩壊後、構造改革を叫ぶこえがあらゆるメディアにあふれて、終身雇用、年功序列のあり方自体が「抵抗勢力」の拠り所として叩かれていた。この時も、「老人は敵」とされていたことは思い出されていい。
就職のはしごを外された若者、ベンチャー企業の興隆、デフレは商品の価格を限界まで下げていき、そんなチキンレースに付き合いきれるわけもなく企業は倒れ、若者達は非正規労働者として買い叩かれていった。彼らが求めた雇用とは、そこそこ真面目に勤めあげれば、それなりの年齢になれば家族を持ち子を育て家を構えるような「普通のくらし」だった。それは言いかえれば、終身雇用であり年功序列になる。時代は「そう」ではない方向に向かい、大きな人口ボリュームを持つ層が氷河期世代と呼ばれるようになる。彼らの未婚率は高く、人口減少は避けられない問題となっていった。そうした氷河期世代の季節にあらわれたのが自己責任論だった。
バブル崩壊だとか、リーマンショックだとか、アジア金融危機だとか、一個人や一企業では、いや国のレベルでも如何ともしがたい大きな流れが押し寄せていた時に、なぜか個人の責任にスポットが当たったのがあの時代で、しかもその契機になったのが中東での人質問題だったというのも皮肉だとおもう。 青年海外協力隊的な国際人道主義の空気感とピースボート的なものをよきこととして受け止めていた時代があって、そこには『深夜特急』や妹尾河童の旅行記が引き金となった若者のバックパッカー的な冒険を許す空気がセットになっていた。以前すこしふれた『気分はもう戦争』も、主人公達はなぜかアジアの戦場に義勇兵として参加するのだけれど、よど号事件や中東での日本赤軍のような闘争を個人の側に「ずらす」ような作品だったのが印象深い。
ロングセラーだった『地雷を踏んだらサヨウナラ』が映画化されたのが1999年。イラク人質事件が2004年、各所からロスジェネ論が噴き出すのが2007年。一方では開いていた感覚が閉じていき、逆側では別のなにかが開いていく。わたしが子どもの頃、都会の食べものとして憧れたマクドナルドのハンバーガーは、2005年には100円マックとしてデフレの象徴のようなものとして認識され、アメリカの低所得者層の肥満問題とあわせて論じられ、食の貧困と重ねられたりした。
ある時代にかけられたハシゴは、次の時代には問題として外され、そんな架け替えばかりしているうちに、全てが「かもしれない」と「いいと思った」の掛け合わせの世界になった。どこまでもハシゴの根拠を疑い、全てのひとが支える絶対に外されないハシゴを求め、ハシゴのない世界での自己救済を最大化する。その罪はわたしでない誰かが背負う仕組み。それが可能であるとするならばそれはもう宗教の世界しかなく、言い換えるならば、そうした救済の欲望のかたちの宗教に適合した人格形成のありかたを「現代」というのだろうとおもったりするのだ。
そして何より、行き場を失ってしまったのは、向日的な冒険の精神のようなもので、それこそ大谷翔平のような、極々限られた成功のかたちに集約されてしまったのだろうか。そしてどうしても思い出してしまうのが栗城史多という人物の、あの時代のあの感じ、ああいうやり方とそれをめぐる空気だったりする。