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コンパス ー小5の脳に、教科書よりも焼き付いた塾の先生の言葉ー 【創作大賞2026】

深夜、仕事を終えて帰宅。

お店をやっていることもあり、
情報や知識のインプットも兼ねて、
SNSを眺めるのが、就寝前の日課になっている。

画面には、健康や食に関するもっともらしい情報、
そして「炎上」の火種が、
毎日うんざりするほど溢れている。

表示数のやたらと大きい投稿を眺めながら、
ふと、懐かしい記憶がよみがえってきた。


それは、わたしが小学校5年生の時のこと。

通っていた塾の先生が、授業の終わり際に
真面目な顔で語り始めた。

「どれだけ偉いと言われている人が書いた本でも、
どれだけ凄いと言われている人が発した言葉でも、
『疑いの目と耳』を持つようにしなさい」

先生の言葉は続いた。

「どれだけ客観的な数字やデータを元にしていたとしても、
『人』が発信する時点で、発信者の主観が介入するという
可能性が絶対に捨て切れないから」

さらに、続ける。

「『信用しないこと(心で疑うこと)』と、
『疑いの目や疑いの耳を持つこと』は、別物ですよ」

と。


ただただ最初から相手を拒絶して、「信じない」のではない。

自分が受け取った相手の発信を、
「実際にはどうなのか?」と、
自分の頭・心・からだを使って、確かめていくこと。

それが重要なのだと、先生はわたしたちに話したのだ。

小学校5年生ではあったが、
わたしの脳には、その言葉がストンと落ちた。

言われた言葉の意味を理解し、
子どもながらに「たしかに、その通りだな」と
強烈に納得したことを覚えている。

授業の内容なんて、
今となっては全く覚えていない。
でも、その言葉だけは、
わたしの脳内にしっかりと焼き付いている。

ただ、当時のわたしの生活は
家・学校・塾という、小さな世界だけで形成されていた。

学校のテストでも、塾のテストでも、
志望校の過去問を解いても、
『模範解答』『正解』と出会うばかり。

言葉の意味がわかったところで、
実生活で実感する機会など、ほとんどなかった。


先生は最後に一言、付け足した。

「これは私の持論です。
信じる信じないではなく、どう使うか自分で考えてください」


意味だけを理解した言葉の重みを
大人になって嫌というほど味わっている。

目上の人、会社のお偉いさん、
誰が何を言ったかが重視される社会。

同じデータを見ても、それぞれの主観で捉えた
バラバラな見解を、「正解」のように発信するSNS。

もっともらしい、それっぽい言葉が毎日溢れてくる現代。

先生が話してくれた言葉は、
いつの頃からか、
わたしの中で「道具」となって、
日常的に使いながら生きている。

「実際はどうなのか?」
「なぜ、そうなるのか?」

鵜呑みにせず、拒否するでもなく、
調べ、考え、確かめる日々。


今、わたしは発信者側にいる。

こちら側に立つと、尚更重く感じる、先生の言葉。

強い言葉や、都合のいい言葉。
眺める画面の向こうには、
たくさん並んでいる。

でも、それらには惹かれない。
先生のあの言葉が、
ブレーキであり、指針にもなっている。


あの頃、学校で使う算数セットに入っていた
『コンパス』は円をきれいに描くための文房具だった。

あの日、塾の先生が真面目な顔で語った言葉の『コンパス』は、
情報が煩雑に溢れかえった現代社会を
自分の力で進んでいくための『羅針盤』(コンパス)だった。

小学校5年生。
理解されるかどうか、
わからないぐらいの年齢の子どもを相手に、
あんな話を大真面目に語るなんて、
よく考えたら凄いことだ。

たったの1回。

それ以降、同じ話をすることはなかった。

ものすごくかっこいい大人だったな・・・
と、今になって思う。



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beyondの旦那の方|Cozy Cafe & Bar beyond店主 麹・発酵で内側から整えるカフェ『Cozy Cafe & Bar beyond』は、麹や発酵の魅力をもっと広げていけるように努めてまいります。応援いただけますと幸いです。