ボット先生 【第20話/全35話】
部屋には、テーブル一台と、椅子が三つ出ていた。テーブルの上に、湯気の立つカレーライスが三つあった。わかめのスープ付きだ。コップに冷たい水が入っていて、中にスプーンが立っていた。
「これ、食べていいのかな?」
ボクらはテーブルを囲んで座った。ちょうどお腹が空いた頃だ。他に誰もいないんだから、食べていいんだろう。ボクは一番にスプーンを取って食べた。辛い。うまい。
「ブタジル国って何?」
マミちゃんが言った。ケンタが笑った。
他にもある。焼き魚が好きなタイ、辛い物が好きなチリ、冷たいものばっかり食べているアイスランド、最中がおいしいモナコ、何でも自分のものにしようとするオランダ、お腹いっぱいで何も食べたがらないイラン。ケンタと二人で考えた、地図帳ギャグだ。因みにフランスには、カレーばっかり食べているカレーという町がある。
「別に、行きたい国なんてないんだよね」
「なければないって言えばよかったのに」
向かいのケンタが言った。少し調子がよくなって、カレーを食べ始めていた。
「だって、質問は三つって言われたジャン」
ケンタは目を開き、「あ、そうか」と驚いた声を出した。
オバサンたちがした質問は、名前と、行きたい国と、やりたいこと。ケンタとマミちゃんはちゃんと答えた。でもボクは、その間に、誕生日を聞かれた。
やりたいことを答えたら、四つ目になる。ケンタは笑った。
「そういう意味じゃ、なかったと思うな」
マミちゃんも、軽くて手を合わせてから食べ始めた。
「でも、最初の約束では、質問三つだったジャン」
「そうだよね」
ケンタはニヤニヤしながらスープをすすった。
「あっちが言ってきたルールを守ったんだから、ボクは悪くない」
「そうだよね」
マミちゃんは、眉を寄せてボクを見た。
「それは、確かに、そうだと思うけど、」
続けて何か言いたそうにしながら、言葉が出なくて、仕方なく口の中のご飯を水で流し込んだ。
カレーはおいしかった。わかめスープは少し油っぽかったけど、やっぱりおいしかった。ボクは少し不安になった。ケンタはアメリカ。マミちゃんはイギリス。二人とも、行きたい国がある。ボクにはない。それって、ダメかな。ボクは日本でいいんだけど。
ケンタが行くというなら、ボクもアメリカだ。でもボクは、ケンタみたいに英語が得意じゃない。
本当に、このまま外国へ行っちゃうのかな。
食べ終わった食器は、机や椅子と一緒に床に沈んで片付けられた。すごい仕組みだ。これなら、いちいち食器を台所に持って行かないで済む。
テーブルが消えた後には、ソファが出てきた。ケンタは具合が悪くなるといけないので、二人掛けに横になった。マミちゃんは、一人掛けに座って本を読み始めた。ボクは退屈した。退屈すると、不安になる。今頃、お母さんは、ボクがいないことに気づいたんじゃないだろうか。ボクを探して、ケンタの家や、ウーちゃんの家に電話をかけているんじゃないだろうか。
また、四角い画面がボクらの上に浮かんだ。さっきみたいな、YTSの宣伝動画が映し出された。たいして面白くない映像が次々と現れていた。
そうだ。ボクはランドセルを開いた。あった。ジシューくん。電源を立ち上げると、メッセージが着ていた。
ボット先生だ!
『今、どこだい?』ボット先生が復活していた。ボクは早速返事を出した。『分からないんです』
なかなか返事が来ない。よく見ると、ボット先生からのメッセージが来たのは、午後三時半。ボクが児童公園で捕まった頃だ。あれから、どれくらい経っただろう。ボット先生は、また電源を切られちゃったんじゃないだろうか。不安になって画面を眺めていると、ふいにジシューくんの画面が落ちた。
あれ?
横のボタンを押して、電源を入れ直す。一応、スタート画面が出た。でも、メールアプリを開こうとすると、またブラックアウト。ケンタに見てもらって、やってもらったけど、やっぱりダメ。
「これはたぶん、通信障害だよ」とケンタは言った。「この部屋では、メールの送受信ができないんだよ」
ゲゲ。
ボクは部屋の中を歩いてみた。壁、壁、壁。壁が四枚。どこにも扉がない。白い、少しざらついた壁紙が張ってあるだけだ。天井と床。床に穴があることは分かった。勝手に開くけど、ボクらが開けることはできない。天井からは、白い、柔らかな明かりが降り注いでいる。出られないことはない、と思った。入ってきたんだから。でも、出たくても、出してはもらえない。そう思うと、無性に出たくなってきた。
どうすりゃいいんだ。
「このまま、アメリカまで、連れて行かれちゃうのかな?」
「イギリス」
マミちゃんが顔を上げて言った。
「船でアメリカまで行くとなると、何日かかるか分からないよ。たぶん、どこかに寄ると思うよ」
「途中で降りられるのかな」
「うん。そこから、飛行機に乗り換えるんじゃないかな」
ボクはソファに戻った。内心、叫びたい気分だった。帰りたい。こんな船に居たくない。でも、ケンタもマミちゃんも冷静だ。ボクみたいに、不安に体中をくすぐられているような感じじゃない。二人を見ていると、ボクだけ騒ぐのは癪だ。
ボクは何となく映像を見た。瞼の上で髪を切り揃えた、前歯二本が上唇から突き出たオジサンが、目を吊り上げて何か叫んでいた。
『見なさいよ! アンタがアタシに、何をさせたのか』
あれ? この人、どっかで見たことあるぞ。
『何をさせたいの? アタシに何をさせようっていうのさ!』
そうだ! 思い出した。この人、前の船で、禿げオヤジ軍団と一人で戦った、針金みたいなオジサンだ。
画像が乱れた。真っ黒になった。そこに、じれったいくらいゆっくりと、緑色の線が現れた。山なりの線が二つ。下に曲がった長い線が一つ。笑顔だ。
ボット先生だ!
『ソファを、ひっくり返してみよう』
ボット先生が言った。ボクはケンタを見、マミちゃんを見た。二人とも、映像なんか気にしていない。ええい、仕方ない。ボクは、自分の掛けていたソファを逆さまにした。
床に穴があった。暗い穴だったけど、階段が下に降りていた。
「ケンタ!」
ケンタは寝ていた。マミちゃんも、本を膝の上に置いて、首をうなだれていた。どうしよう?
ここから出られるんじゃないだろうか。映像を見ると、ボット先生はまだ笑っていた。
「行った方が、いいんですよね?」
ボクは聞いてみた。でも、その瞬間、パッと四角い画面自体が消えた。
どうしよう?
