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短編小説:自己紹介

入社試験最終面接を目前にスイミングスクールにいたあの子のことを思い出した。
こんな時にとは思ったが張り詰めていた緊張の糸が切れたことをせいにして回想を始めた。
その子とは学校も学区も違うし名前も知らない。
なんなら自己紹介すらもしていない気がする。
小学校に入るまでの3年間地元のショッピングモールと併設されていたスイミングスクールに兄が通っていたことを理由に僕も通い始めた。
塩素の香りのするプールサイドでクロールの練習を順番に並んでいる時にその子とは前後で並んでいた。
僕の前にいたその子はいつも僕の方を向いていて直近で興奮したであろう出来事を息継ぎを忘れるくらいに話していた。
水泳帽からはみ出た少し茶色で癖っ毛の襟足、笑ったら八重歯が出てくるその子。

「僕の幼稚園にてんとう虫がいてさ〜、てんとう虫のお腹を触ってその指匂い嗅いだら臭くてさ〜」

語尾がのっぺりした話し口調のその子。
今思えばなんでもない会話だけどその子から放つ熱意が僕には無いもののようで好きだった。
レッスンを終えて更衣室で着替えて、出入り口付近にあるアイスの自動販売機でアイスを食べながらお別れをする週一の出来事が、小学校の友達とは違う特別な繋がりがあるという感覚があった。
週一で会っていたのになんで名前を聞かなかったのだろう。
社会人になるにあたって初対面なら自己紹介というものを冒頭でするのがマナーなのにあの頃の僕らは名乗るのも野暮になるくらい時間を共有していた。
小学校を上がると同時にスイミングスクールを辞めその子とはそれっきりになったと思ったら、小1の時に一度だけショッピングモールでばったり出会しお互いが気付き再会をした時がある。
「あ!!久しぶり」
「あれ、偶然だね〜」
そこから二言三言話した後、「またね」とお互いに言い合いその子とはそれっきり会っていない。
今なにしてるんだろうな。
おそらく僕と同い年だから今頃どこかの企業で面接を受けているか、もうすでに内定をもらっているかもしれない。
今は子供でも携帯を持つ時代で簡単に繋がれるのに僕らに追いつかなかった時代を恨んだ。
またいつかどこかで会いたいな。
でも、お互い気付くかな。
そう思った瞬間に我に返った。
腕時計を見たら2〜3分しか経っておらず、体と心の時間のズレに改めて驚く。
「次の方どうぞ」
ドア越しに面接官の声が聞こえ反射で立ち上がり3回ノックをした。

「えー、晴れて今日から皆様は我が社の社員として社会人の一歩を踏み出したわけですが…」
プロジェクターの前で話している総務課の上層部であろう人の言うように僕は無事企業から内定を貰い、入社式を終え今に至る。
地元では大きな企業であってか両親、親戚も喜び少し肩の荷が降りている状態で30人ほどの同期と会議室で講習を受けていた。
2人で縦一列を2組の並びで座り、内容の上辺だけをなんとか聞き入れつつ睡魔と戦っていた。
ようやく15分の休憩時間を設けられ、トイレに行こうとも考えたが脳を休めることに専念した。
「いや〜、あの人の話し方眠くなるよね〜」
隣に座っていた同期が話しかけてきた。
「うん、なんか低音でゆっくりしてるよね」
目を見て話そうとしたが、疲労のあまり正面を見たまんま返した。
「久々にこっち戻ってきたけど街中も変わってびっくりしたよ〜」
「え、最近まで県外にいたの?」
「うん、小2から大学まで親の都合で県外にいたんだけど、就職を機にこっち戻ってきたんだよね〜」
「ふーん、小1までここにいたんだ。
それじゃ全然違う街に見えるよね」
「小学校近くのマクドナルドも無くなってたし、国道沿いのトイザらスも無くなってたからさ〜。
でもイオンモールはまだ残ってたから安心したかな〜」
「そっか、イオンモールもすっかり古くなったよね。
僕らが小1の時はあんなに綺麗だったのに。」
「言われてみればそうかも。
俺、イオンのスイミングスクール通ってたんだよね〜」
「え、僕も通ってたよ。」
「え〜、偶然だね。
週一で会ってた子がいてさ〜。
俺の話を真剣に聞いてくれたからなんか嬉しくてさ〜
その後に一回だけイオンで会ったけど名前も言わずにお別れしちゃってさ〜。
まぁ再会して自己紹介するのも変だしね〜」
「え、それって」
ほぼ瞑ってた目を開けて、隣を見た。
目の前には、少し茶色で癖っ毛のある襟足、笑ったら出てくる八重歯。
僕は知ってる。君の事を。
「ん、なんかどこかで会ったよね〜」
その語尾がのっぺりした話し口調も知ってる。
「あの時の…」
「あれ、偶然だね〜」
これは神様の悪戯か、就活を乗り越えたご褒美か止まっていた時間の針が再び進み出す感覚。
僕らは声を揃えるように、
『ねえ、自己紹介しようよ…』

#創作大賞2026
#オールカテゴリ部門

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