仮初の安全と声色の呪縛_3
(前話はこちらから)
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三者面談翌日。
分厚い黒い雲に覆われた空からは大粒の雨が降っていた。どうやら隆太も昨日は何かあったようで口数が少ない。たまに発言をしても、いつもより低い声で心ここにあらずのようだ。無言の電車を眺めると、誰もが憂鬱そうな顔をしている。通勤や通学。楽しいことだけが待っている場所に行くわけではない。誰しもが大小何かしらの悩みを抱えている。他人は自分の鏡と言われるが、今の僕も同じような表情をしているのだろう。
電車を降りて駅の改札を出ると淳が僕らを見つけてこちらに手を振っている。
「おはよう…」
淳もいつもより低い声だ。気の利く淳なら、『昨日大変だったか』とか言ってくれそうなものだが、その後の言葉は何も出てこなかった。もしかしたら何か言っていたのかもしれないが、この暗い空気に飲み込まれて僕には聞こえなかった。普段、口数の多い3人。しかも三者面談という大きなネタがあるにもかかわらず、誰もそれについての話をしない。
駅から学校に向かっていると、この暗い気持ちを増長させる吉岡先生の赤い車が僕らを横切った。いつもは気にならないが、今日はあの軽薄な赤が妙に鼻につく。悶々とした気持ちで校門の前に着くとタイミング悪く、吉岡先生と鉢合わせになってしまった。
「お前ら昨日はひどい面談だったな。ちゃんと親御さんと話せよ。大事な時期だから心配してるんだぞ」
いつもと変わらないトーンの声。別に僕らを心配しているわけではなく、先生という役割をまっとうしているだけの心ないただの音だ。
「うるさい。脳筋ゴリラが」
僕らだけに聞こえる声で隆太が言った。淳と僕は静かに頷いた。
その日の授業は特に身が入らなかった。現代文の解釈はことごとく出題者の意図を汲み取れず、要約についても論点が曖昧になりイマイチな文章になってしまった。数学についても、普段は解法の方針を立てるのにはあまり苦労をしない方なのだが、全く思いつかなかった。問題を解けないと数学はこんなにもつまらない科目になるのだなという発見だけが唯一の収穫だった。古文と地理については、何も覚えていない。静かに目を閉じて、目を開いた次の瞬間にはチャイムが鳴っていた。そこおかげか頭はスッキリしており、少しだけ気分は晴れた。
各々が気分転換をできたのか、表情も声のトーンも朝のそれと比べればみんな明るくなっていた。大粒の雨も止んでおり、僕らは海に行くことにした。
「吉岡の今朝のリアクションを見ると、みんな三者面談は散々だったんだな」
と隆太が言う。
「俺は親父と一緒に吉岡と話したんだが、俺の偏差値と親父が最低限行ってほしい大学の難易度があっていないくて、吉岡と親父が口論になって大変だったよ」
隆太は空元気で笑顔を向けてくれた。隆太の父親は会計事務所の経営者だ。いわゆる会計のプロで隆太に望むものは多い。普段は3人の中で会話を引っ張ってくれているが、隆太の自己分析では、ネガティブな陽キャらしい。期待してくれるのはありがたいが、あまりにも多いと応えるにも大変で、ネガティブな気持ちになってしまうのも分かる気がする。
「俺は完全に母親が吉岡の言いなりになっていたよ。なんかその母親の態度が気に食わなくてずっと黙っていたら、何故か母親と吉岡に色々言われた。俺の進路なんだから俺に決めさせろって感じだよな」
と淳は言った。淳の家は地元で有名な魚屋さんだ。何度か魚をもらったことがあるが、鮮度が高くて僕の家族にも大好評だった。淳にはお兄さんが2人いて、高校卒業後に店の手伝いをしている。淳は兄弟の中で特に学力が高く、家の中で唯一の大学進学者になることを期待されている。淳なら選ばなければ、ほぼ確実に大学には進学できると思うが、おそらく淳の家は高校卒業後は店を手伝うことが普通になっているから、淳のお母さんは大学進学のプロの意見を聞きたかったのだろう。
「慶太はどうだったの」
淳がこちらに顔を向けたが、夕日の光が海に反射して淳に当たっているため、表情が見えなかった。声のトーンはいつもの淳だったので、特に変な表情はしていないだろう。
「僕は、志望大学届を白紙で出した。大学に行きたいのかも分からないから素直な気持ちだったんだけど、吉岡と母親は呆れていたよ」
僕の言葉を聞き終わると二人は海岸全体に響き渡る大きな声で笑った。
「それマジですごいな。志望大学を決める場で、志望大学を出さないって超ロックじゃん」
隆太は目を輝かせながら、僕に話をしてくれてた。その手があったかと膝を叩いている。淳も今日一番の笑顔で僕を見ている。お腹をポンと叩いて、天晴れと言うのが得意な殿様のようだ。
「大学進学面倒だな。勉強するのは自分でコントロールできるから良いけど、色々考えるのがだるい」
隆太のその言葉に淳と僕は大きく頷いた。
「そうえば、今日の犬飼めちゃくちゃ面白かったよな」
犬飼とは日本史の先生だ。チワワの老犬のような顔をしている小柄な中年男性なのだが、よく毒を吐く。生徒にではなく、歴史上の人物にだ。
「死人に口無し」
歴史の先生がそれを言ってしまうと終わりのような気もするが、犬飼が毒を吐く前の枕詞のようなものらしい。歴史は過去の事なので文句を言っても変えられないのだが
「明智光秀のあの時の判断はおかしかった。勝海舟のあの動きはいけてない」
そんなことを語るようだ。歪んだ解釈だが、生徒からは人気が高いし、知識の定着率も高いようだ。
「今日は推しの話になったんだけど、犬飼の推しは源頼朝なんだって。しかも肖像画を玄関に飾って、毎日挨拶をするのが日課らしい」
隆太がゲラゲラ笑いながら話している。本当に楽しそうな声のトーンだ。僕は隆太と淳が日本史の授業を受けている時、数学の授業を受けていた。歴史がどうにも苦手で、数学を自分の意志で選択したのだが少し後悔している。
「そんな面白いなら、日本史を選択すればよかったな」
と僕が小さく呟く。
「悪い悪い。慶太は繊細だからな。そんなに気にするなよ。いつでも3人でここに来て犬飼の名言や行動を教えてやるよ」
淳も頷いている。僕は良い友人を持った。二人に笑顔を向けながら考えていたのは、いつからこんなに人の声が気になるようになったのだろうか。いつから空気を読むようになったのだろうか。ということだ。本当に自分で自分が分からない。
