(続)若手女性研究者として思うこと
以下の記事を書いてから、少し時間がたちました。
根本的なところはあまり変わってないような気もしますが、「細かく思うところ」は確実に増えました。
ので、まとまりのない文章を補足的にぼやきたいと思います。
大なり小なり軽んじられているのかな、と感じることはやはり引き続きあります。
悪意があるというより、「この人には頼みやすい」「これくらい言っても大丈夫」と思われているんだろうな、という種類のものです。
私にだけ強い口調で発言する学生がいたり、本来は教員全体の負担を減らすために雇われているはずの職員の方が、なぜか私に彼女の一部の仕事を担ってほしそうに不満を告げてきたり、気がついたら多く仕事を頼まれていたり。
ひとつひとつは小さいことかもしれませんが、積み重なるあれ??と思います。
こういう不満は、ぐつぐつ煮ていたほうが、組織に訴えようとか、何か行動を起こそうという気持ちにはなりますし、こうやってnoteに書くネタにもなります。
でも、一個人として日々を過ごすだけなら、「まあこういうものか」と受け入れて、その前提でどう振る舞うかを考えたほうが、楽です。
正しいかどうかではなく、消耗しない生き方として、そういう折り合いの付け方を覚えてきた気がします。
「これまで男性が優位で得をしてきたのだから、これからは少し譲るべきだ」というような言い方があります。
賛同したいところですが、でも、人間って、自分の状態がどう変化したかでしか、優位とか不利とか、得とか損とかを実感できない生き物なんじゃないか、と最近思います。
ずっと当たり前に持っていたものを「それは今まであなたが得をしていただけです」と言われても、多分、感覚としては納得しにくいんだろうな、とも理解できます。
また、全体の利益になるとわかっていても、「自分に損がある」提案というものはなかなかできないものです。
このあたりは、私にもブーメランなのですが。。
ただ、もちろん女性であることが、完全に不利なことばかりかというと、そうでもないとも感じています。
どうやら女性研究者の数は私が思っていたよりもずっと少ないようです
声をかけてもらえたり、やはり女性でマイノリティというのは覚えてもらいやすいな、と感じることは引き続きあります。
他の人と比較できないので本当のところは分かりませんが、いろいろな誘いをいただく機会も、もしかしたら多いのかもしれません。
でも結局、ちゃんと業績を出したり、一緒に仕事をしたりしないと、「この人はちゃんとできる人だ」と思ってもらうこともできないし、研究者として他の人と仲良くなることもできないんだろうな、とも思います。
学会や会議のあとに飲み会がありますが、一緒に研究や仕事をしていない、ただの情報交換の飲み会だと、年齢と性別のビハインドを、私のコミュニケーション能力ではなかなか超えられません。
多分、「この人と話しても直接仕事につながるわけじゃないしな」と思われているんだろうな、と感じることもあります。
女性蔑視の構図は、アジア人差別の構図と似ている、という話を耳にしたときとき、個人的にはすごく腑に落ちました。
能力や個人ではなく、「カテゴリ」でざっくり見られて、無意識のうちに期待値や扱いが決められてしまう感じは、確かに似ているなと思います。
ただ、注意しておきたいのが、私が感じている得や損が本当に「女性だから」か「若手だから」なのかはわかりません。
性別や年齢に関係なく感じることかもしれません。
それは今後も肝に銘じておきたいところです。
私が大学教員として一番やりたい仕事は、やっぱり研究で、論文を書くことです。
本当にいい仕事をしていたら、分かる人は分かってくれる、という感覚もあります。
一方で、他の(男性)研究者を見ていると、「できそう感」だけで先に評価されていないだろうか、と思うことがあるのも正直なところです。
実際にやったことよりも、「この人はできそう」「将来伸びそう」という雰囲気で、少し早めにチャンスをもらえているように見えることもあります。
もしそれが本当なら、私は同じ場所に立つまでに、少し多めに実績を積まないといけないのかもしれません。
結局、みんなそうですが、淡々と仕事をして、論文を書いて、「この人はこの分野でちゃんと仕事をしている人だ」と思ってもらえるようになるしかないのかな、と思います。
そしてこういうことを考えているのは、多分、私だけではないんだろうな、とも思っています。
もしこれを読んで、「分かるな」と思ってくれる人がいたら、きっとどこかで同じように、少しだけ我慢したり、少しだけ工夫したりしながら、働いているんだろうなと思います。
