所属で人を裁かないで
見えないところで闘っている人がいること、忘れないで
「テレビに出てるなら共犯」
「その団体と関わったなら黒」
「この番組に出てるなら裏切り者」
そんなふうに、所属や肩書きだけで“善悪”を決めてしまう言葉が、いまも世の中にはあふれている。
でも本当は
現実はもっと複雑で、見えない葛藤や闘いの中に生きている人がたくさんいる。
たとえば、タレントという存在。
テレビに出ているからといって、その人が全てを自由に決めているわけじゃない。
むしろ、たくさんの制約のなかで、できる限りの誠実さを尽くしている人もいる。
中には、あえて“その場所”にとどまって、
声を上げられない誰かを守ろうとしている人もいる。
見えないところで静かに闘っている人もいる。
私たちがその複雑さに目を向けず、
「誰と関わっているか」だけで全てを判断してしまえば、
本当の味方まで、傷つけ、追い詰めてしまう。
だからお願いです。
その人が何を考えているのか。
その立場で、どれだけのことを背負っているのか。
見えない部分にこそ、想像を向けてほしい。
「わからない」で終わらせずに、
「知ろうとすること」を、あきらめないでほしい。
あなたがそれをしてくれたなら
きっと、誰かの希望がつながります。
見失われた「人としてのまなざし」が、少しずつ戻ってくるはずです。
■ なぜ「他責」「ひとくくり」にしてしまうのか?
不安や恐れから逃げたい
人は、自分の理解を超える問題や、自分が加担しているかもしれない構造的な問題に直面すると、不安になります。
「自分も関係していたかもしれない」
「自分が責任を問われるかもしれない」と思うと、
その不安から逃れるために
「悪いのはあいつらだ」と“外側”に敵を作ることで、安心しようとします。
世界を単純にして把握したい欲求
現実は複雑で曖昧です。だからこそ、「黒か白か」「善か悪か」で割り切ってしまう方が、理解しやすくて楽なんです。
特に社会問題や権力構造が絡むようなテーマでは、深く考えるには知識も痛みも伴うので、「善悪二元論」に逃げた方が気が楽になります。
集団内で安心したい(同調欲求)
たとえばSNSでは、
「あのタレントは共犯!」
「この団体と関わるなんて裏切りだ!」という声が多くなると、
それに反対する人は孤立しやすくなります。
だから、「多数派の怒り」に乗っかることで、自分が仲間外れにならずに済むという心理が働きます。
自己防衛(内在する罪悪感の転嫁)
実は、自分の中にも
「何か見て見ぬふりをしていたかも」
「本当は知ろうとすればよかった」
という後ろめたさがある場合、
それを他人に投影して叩くことで、自分の罪悪感を和らげようとします。
無意識のうちに
「自分じゃない、あの人が悪い」と言うことで、心の安定を保とうとするのです。
■ けれど、忘れてはいけないこと
こうした心理は
「仕方のないこと」かもしれません。
でも、それによってどれだけの人が理不尽に傷ついているか——そこまで想像できるかどうかが、分かれ道です。
「テレビに出てる=黒」
「その団体と関わった=裏切り」
こうやって人を一括りにして裁くことは、
社会の思考停止であり、いじめの構造と変わりません。
そして、本当の加害者はその混乱に乗じて、
