世間とのズレを「面白い」と言いながら、今日も人間をやっている
もし輪廻転生という概念が存在するなら、おそらく自分は人間が初めてなのだと思う。
だから、これから書くことも少し世間とズレているかもしれないけれど、どうか穏やかな気持ちで読み進めていただけると救われる。
私が放つ言葉には、本当に、深い意味なんてまったく無いことが多い。
裏も表もなく、ただその言葉の「そのまま」の意味で喋っている。
わざわざ相手を不快にさせたり、刺してやろうなんて悪意は、これっぽっちも持ち合わせていないのだ。
相手を不快にさせたり、傷つけてしまったりするのは、私にとっても本当に本意ではないし、申し訳ないなと思う。
けれど、正直すぎたり、世間一般の感覚とズレていたりするせいで、結果的に相手をチクリと刺してしまうことになる。
そんな時、どうしようもない切なさを感じる。
だからといって、「私は言葉のままに生きている人間だから、多少の失礼は許してね」と言い訳をして、開き直るつもりは毛頭ない。
これは自分自身のコミュニケーションの「問題点」なのだと、ちゃんと自覚している。
だからこそ、自分のこのズレをきちんと理解して、うまく世間の歩調に合わせていきたいなと、課題を持って向き合っているのだ。
私と世間の間にあるズレとは、例えばこういうことである。
私の口癖である「面白い」。
私にとってのそれは、知的好奇心をそそられるという意味での「興味深い(interesting)」なのだが、人によってはネガティブに、あるいは他人事として面白がられているように捉えられてしまう。
さすがにそこは笑っちゃいけない場面だというのは理解できるので、もしFunnyの意味での面白いとして伝わってしまった時は、申し訳なかったと反省する。
「行けたら行く」という言葉もそうだ。
私の中では本当に「当日のコンディションや諸々の条件が良ければ、マジで行く」という誠実な事実の報告なのだが、世間一般では「遠回しな断り文句」らしい。
あるいは、飲み会を断るていのいい言い訳として「奥さんが怒るので」と言うのが、角の立たない大人の知恵なのだと学んだ。
けれど私からすれば、「なぜわざわざ奥さんの印象を下げるのだろう?予定があって行けない、と言えばいいのでは?」と思ってしまう。
今では周りとうまくやっていくための潤滑油言葉だというのは理解できているし、まあそうか、と納得もしている。
世間という場所は、どうやら額面通りの言葉ではなく、たくさんの「建前」や「クッション」というフィルターを通して会話をするシステムになっているらしい。
ああ、器用な人が羨ましいな、と思う。
もっと上手に空気を読んで、傷つけ合わないフィルターを使いこなせたら、どんなに楽だろう。
けれど、そんな風に世間との違いを知ることも、私にとってはまたひとつ面白い勉強なのだ。
最近はいろんな人と会話をしてみて、「世間ではこういう風に言葉が動いているんだな」と、その不思議な仕組みを学ばせてもらっている。
正直なのが悪いわけではないけれど、お互いが心地よく生きるための知恵は持っておいて損はない。
なにより、そうやって世間とのズレにジタバタしながら、申し訳なさに反省し、自分の課題と向き合い、新しい発見に目を輝かせたりしている自分のことを、私は結構好きだったりする。
器用に立ち回ることはできないけれど。
「ああ、今日も一所懸命に人間やってるなー」って、思えるから。
P.S. こんな私と仲良くしてくれる人たち、本当にありがとう。
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