そろそろやめない?ゲーム叩くの
ゲームを愛するおぢさんです
わしは1日8時間ぶっ通しで遊ぶようなゲーマーなので生きていくうえでは欠かせない。
とはいえeスポーツで世界を目指すとかゲーム実況で生計を立てたいというタイプではなくて、
じっくりと1人で楽しんでいる昔ながらのタイプ。
一時期はオンラインマルチプレイなんかもしていたけど社会で否応なしに他人と関わってる上にゲームでも他人と関わっていたら疲れ果ててしまうし、
残念ながらマナーの悪いプレイヤーがいて負けると暴言を吐いてきたり嫌がらせをしてきたりするわけです。
わしは楽しい時間を過ごしたいだけなのでオンラインとは距離を置いてじっくりと物語の世界に飛び込んでいる。
ゲームは巨大産業
ビデオゲームと接点がない方は信じられないかもしれないけど世界的に人気があるタイトルの開発費は単純比較はできないけど今やハリウッド映画とあまり変わらない。
それどころか近年は映画を上回ることも増えている。
映画だと「パイレーツオブカリビアン・生命の泉」
「アベンジャーズシリーズ」で4億ドルに届かないくらいで制作費としては今のところトップクラス。
対して海外人気タイトルのゲームは1億〜2億ドルくらい(日本はそこまでいかない)
現在、開発中の「グランド・セフト・オートⅥ」は1
0億ドルと言われているので映画をはるかに超えている。
そのくらいマーケットとしては成長しているので
「ゲームばかりやっているとバカになると言ってる奴がバカ」な世の中になっています(言葉悪くてごめん)
そんなビデオゲームには映画同様にレーティングが存在している。
日本はCEROという審査があってゲームの内容や描写によって5段階の対象年齢区分を設けている。
中でもZ指定は18歳以上に設定されている。
これは要するにバイオレンスな内容だったりスプラッター描写(ゴア表現)などは苦手な人もいるので注意喚起をしつつ子どもに悪影響を与える可能性があるので本人はもちろん買えないし保護者が買い与えないようにするために生まれたシステム。
まぁ機能してるかというと怪しいけど。
オンラインでZ指定を買うためには年齢確認のためにクレジットカードなどが必要になるけど店頭ではタバコのような年齢認証をしているわけじゃないから意外と買えることもある。
規制?政治的パフォーマンス?CEROの存在
このCERO審査が生まれたきっかけは単純にゲーム=悪の世論に対する配慮みたいなもので別にゲーム業界が懸念事項としていたわけではない。
もともと任天堂やSONY、SEGAなどゲーム機メーカーはそれぞれで審査をしていた。
ただ統一されていなかったので同じタイトルでもSONYはOkだけど任天堂はNGなのでゲーム作り替えます的なことが起きていた。
これはちょっと不便なので統一しますってことで生まれたのがCERO。
つまり規制のための組織と考えてよいです。
海外にはIARCという国際的な年齢審査があるんだけどCEROはここに加入していないのでIARCでZ指定になったゲームでもCEROでは発売不可として日本では未発売ということも起きている。
このCEROが起こるきっかけは「グランド・セフト・オート3」というアメリカのゲームが日本に入ってきて発売されたことがきっかけになっている。
いわゆるゲームいじめの政治パフォーマンスだと思っている。
極稀に起こる猟奇犯罪の犯人がゲームでやってたから人を殺したくなった的な事件を防ぐため。
つまり責任転嫁に他ならない。
もちろん一定の効果はあると思うけど、このとき旗振り役だったのが神奈川県知事だったので意見投書をした記憶がある。
今だったらChange.orgで呼びかけが起きそうですね。
当時は多くのゲーマーが反発していてマンガやアニメに飽き足らずついにここまでやるのか!という感じだった。
ずっと感じているいびつさ
ごく稀に未成年の凶悪殺傷事件が起こる。
そのたびにゲーム、マンガ、アニメは犯行の原因のような扱いを受けてきた。
まったく関係がないとは言わない。
ただ根本的な問題はどう考えても家族関係や教育現場など別にあると思う。
メディアの多くはそこには目もくれず分かりやすい悪者としてゲームなどを危険視してきた。
わしはこうした影響をモロに受けてきたので被害的になっているわけではなく我が事として感じてきた。
確かにわしがプレイしているゲームの中には過激な暴力表現があるし、一昔前なら考えられないくらい生々しい描写があるのは事実。
ただそれは当たり前のことでもある。
人間や動物を銃で撃てば、刀で斬れば血しぶきがあがり内臓が飛び散る。そして死んでしまう。
だからゲームというフィクションとして楽しんでいるわけですが(あぶねぇ奴だな…)
そういうことって親や大人がきちんと教えることじゃないだろうか?
きちんと教えることもせず、理解させることもせずに何か起きたら困るから規制してくれというのは責任放棄じゃないだろうか。
包丁だって扱い方や危険性を学んでいるから当たり前のように取り扱える。
けど包丁が凶器として使われる事件がしょっちゅう起きていても規制はしない。
少し極端かもしれないけどやはりゲームやアニメばかり弾圧されるのは不自然じゃないだろうか?
ゲーム依存症は大人の論理?本当に病気?
近年、ゲーム依存症(正確にはゲーム障害)が問題になっている。
2022年に国際疾病分類のICD-11が発行された際にゲーム障害が疾患として記載されて少し話題になった。
一部の地方自治体には条例としてプレイ時間やスマートフォンなどの利用時間に制限をかける動きも出ている。
ありとあらゆる物事には依存性があると思っているし、依存の背景にこそ本質があるにも関わらず疾患として施療できるようになってしまった。
本人を取り巻く環境を改善せずに依存症の治療はできない。
しかも依存症の診断を受けたら基本的に対象から離れることになるので、
ゲーム依存症となるとハームリダクションという少しずつ距離を置く治療法ならともかく下手すれば死ぬまでゲーム禁止である。
もちろんゲームをやらなくても死なないし、そもそもゲームをやらない人はごまんといるから別に困らないかもしれない。
けれど少し考えてほしい。
本質的な問題が家庭にあったとする。
そこから逃避するためにゲームを選んだ。
自分を守るにはそれしかなかった。
果たして治療は必要だろうか?
ゲームをスケープゴートにして家庭の問題をうやむやにする方がよほど問題じゃないだろうか。
大人の依存症は仕事なら辞める、パートナーなら別れるなど簡単ではないけど原因に対して複数の対処法があるけど、
子どもは家庭に原因があっても離れることが非常に難しいから逃げ場であるゲームを奪われたらどこに逃げればいいんだろう?
ゲーム会社に求めること
現状、ゲーム業界にも問題はある。
例えば基本無料の謳い文句で有名なソーシャルゲーム(ソシャゲ)のガチャで子どもが大金を使ってしまう問題が後を絶たないし、
ゲームがきっかけで性犯罪の被害に遭うこともある。
最近だとオンラインゲーム上でトクリュウがスカウトをしていたこともあった。
これらはゲームそのものではなくゲーム会社の運営体制や経営方針の問題でもあるし、
不特定多数がコミュニケーションを取りながら遊ぶため規制だけではどうにもならない。
ガチャについては保護者がペアレンタルコントロールをしておけばある程度は防げるけど、
犯罪についてはゲーム内でしかコミュニケーションを取らない、連絡先を教えない、リアルで会わないといった教育と個々の倫理観に頼るしかないかもしれない。
スマホに限らずオンラインゲームは文字通りソーシャル(社会)なので実世界と変わらない感覚を持っていないとトラブルに巻き込まれやすくなる。
画面の向こうで中学生同士で仲良くなったら実はオッサンだった…なんてこともあるし。
だからゲーム会社はこうした啓発活動にもっと今以上に力を入れてほしい。
いい加減に1年も経たずにサービス終了するようなソシャゲを作っては潰しのビジネスモデルではなく社会に受け入れられる、求められるように成長していってほしい。
都合の良い大人をやめよう
わしは四十路のれっきとしたオッサンだけど若い世代に受け入れられたくてこれを書いているわけじゃない。
四半世紀前からずーっと続いているゲームやアニメなどの文化を悪者扱いする状況に辟易しているだけだ。
「クールジャパン」なんて言って日本の売りにしてるくせに悪しき存在扱いするダブルスタンダードは全くもってクールじゃない。
わしからすればアルコールはいいのか?と思う。
酒気帯び運転や性加害、暴力沙汰が後を絶たないのに極めてごく少数の少年犯罪を大義名分のようにしてゲームやアニメを規制するのは欺瞞でしかない。
それこそ「大人は良いのかよ。勝手だな」と反発するだろうし、そんな都合の良い大人の言う事に黙って従うわけがない。
教育現場でマインクラフトや桃太郎電鉄が使われるようになり、国民スポーツ大会でeスポーツを採用する方向で調整をしている反面、
こうした課題を魔女狩りのように片付けて責任を果たしたつもりになっているのはトンチンカンでかなり恥ずかしい行動だと思う。
ゲーマーとしてきちんと伝えたいこと
ゲームから学ぶことはたくさんある。
心を揺さぶられて涙を流しながらコントローラーを握りしめたこともある。
死と隣り合わせだからこそ命の尊さを学んだり生きる希望を学んだこともある。
多視点で物語を進めて正義の曖昧さやあやふやさについて考えたこともある。
数え切れないくらい勇気ももらってきた。
同じようなことを映画で学ぶ人もいれば小説で感じる人もいる。
それでもゲームは危険なものなんだろうか?
そんな危険なものならとっくに衰退しているんじゃないだろうか?
もう「何かのせい」にして本質的な部分から目をそらすのはやめて時間をかけながら一つひとつに向き合って解決していく形にしませんか?
じゃないといつまで経っても社会は変わらない。
共に考え共に創る。
明るい未来とか健全な社会ってそういう丁寧さと寛容さプラス柔軟性から生まれると思っている。
正直、みんな余裕がなくなっているから難しいだろうなと思うけど、頭の何処かでそんな気持ちをいつも持っているだけでも何か変わるかもしれない。
サードプレイスとしての役割も持っているビデオゲームが安心できるコミュニティになることを願ってやまない中年ゲーマーのぼやきにお付き合いいただきありがとうございました。
ではまた近いうちに…
アディオース!

