「チャンピオン」は、一人しかいない。特許庁と戦い、自力で掴み取った「商標登録」
私が、なぜここまで「チャンピオンマンゴー」という名前にこだわり続けるのか。 そこには、ある一つの、そして絶対的な理由があります。
それは、いつか必ず訪れる「価格戦争」への備えです。
今、日本円は非常に弱く、輸入品を扱う者にとってこれほど不利な時代はありません。台湾からマンゴーを日本へ運ぶコストは跳ね上がり、厳しい逆風が吹いています。
私たちの「チャンピオンマンゴー」は、糖度16度以上を保証し、日本の高級ブランドマンゴーにも決して引けを取らない品質を自負しています。それでいて価格は、日本の最高級品の約6分の1。しかし、現実は甘くありません。日本国内産の「B品」と呼ばれるものとは、価格差がほとんどなくなってきているのです。
それでも、私はあえて「今」この瞬間に、日本での市場開拓を進めています。 円安で誰もが二の足を踏む今こそが、チャンスだ。
「ピンチこそチャンス」——その言葉を信じ、私は泥臭く営業を続けてきました。
厳しい時期だからこそ、開拓の難しさと楽しさがある。そして、そこには必ず「最高の結果」が待っている。 なぜなら、味への自信だけは、世界中の誰にも負けないからです。
2年目を迎えるにあたり、私は最初から「チャンピオンマンゴー」という名前で売り出すと心に決めていました。 世の中に「台湾マンゴー」は星の数ほどあります。しかし、その中で「チャンピオン」はたった一人しかいない。
どんなに安いマンゴーが市場に溢れても、私たちの「チャンピオン」は唯一無二でありたい。 実はそのために、私は1年目からある大きな「賭け」に出ていました。
「チャンピオンマンゴー」の商標登録です。
調べてみると、幸いにもこの名前はまだ登録されていませんでした。 「今がチャンスだ」 そう確信したものの、代行業者にお願いすれば、多額のコストがかかります。まだ売り上げも立っていない1年目、営業やマーケティングに1円でも多く資金を回したい私にとって、それは痛すぎる出費でした。
「よし、自分でやろう」
そう決意し、特許庁のホームページを隅から隅まで読み込みました。申請書の作成、区分(生鮮か加工品か)の研究、そして戦略の練り直し……。
最善を尽くし、祈るような気持ちでポストに書類を投函しました。

結果が出るまでは、最低でも10ヶ月。 首を長くして待ち続けたある日、ようやく届いた特許庁からの封筒は、無情にも「赤」でした。
「赤」の書類は、拒絶の通知。認められない理由がずらりと並んでいました。 反論できる「意見書」のチャンスは、たったの1回。そこで認められなければ、すべては水の泡です。
正直に言えば、私は日本語より中国語の方が得意です。 日常会話や商談の言葉とは全く違う、公的な、根拠に基づいた文章。一週間の時間を費やしましたが、どうしても一つの反論に自信が持てませんでした。
そこで私は、特許庁の担当者に直接電話をかけ、相談したのです。
「もし自信のない部分が認められなかった場合、微調整をさせていただけないか」 必死の思いが通じたのか、特許庁の方は異例のチャンスをくださいました。
何事も、まずは聞いてみるものだ。そう痛感しました。
また祈るように書類を出し、3ヶ月後。 届いた封筒は、またしても「赤」でした。
でも、今度は慌てませんでした。前回自信がなかった部分が、案の定通らなかっただけ。内容を訂正し、3度目の提出。 次こそは「青」を——。
その知らせは、台湾出張中に届きました。 妻のエリコからのLINE。写真には特許庁からの封筒が写っていました。
既読にするのが怖い。青か、赤か。 意を決して写真を見ると……「赤」でした。 「もうチャンスはないのか」 絶望に打ちひしがれ、重い足取りで日本に帰国しました。
しかし、しばらく放置していたその封筒を開けて、私は飛び上がりました。 それは不採用通知ではなく、単なる「記入ミスによる訂正」を求める書類だったのです!
「神様のいたずらだ……もう勘弁してほしい(笑)」 慌てて訂正し、すぐに提出しました。

それから1ヶ月後。ついに私の元に「青」の封筒が届きました。
「折曲禁止」のスタンプ。高鳴る鼓動を抑えて開封すると、そこには、立派な【商標登録証】が収められていました。
しばらくの間、ただじっとその証書を眺めていました。 1年以上待った甲斐があった。一人でやり遂げたという達成感で、自然と笑顔が溢れました。
少し調子に乗って、3,700円もする額縁を買ってみたら、額縁の方が立派に見えてしまったのはご愛嬌です。

日本で「チャンピオンマンゴー」を販売できるのは、私だけ。
そして、この名前を信じて一生懸命売ってくださる、すべての取引先様を守ることができる。
この名前と共に、私はもっと上を目指します。
笹子の挑戦は、これからも続いていく。
