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カメラって宗教ですね|Sony、Nikon、富士フイルムを渡り歩いた私の改宗記

カメラの話をしていると、ときどき思います。
「カメラって宗教だな」と。

もちろん、本当の宗教の話ではありません。

でも、メーカーやマウントの話になると、急に熱量が上がる。
自分の使っている機材の良さを語りたくなる。
ときには、他のメーカーと比較して、ちょっとした論争になる。

その様子を見ていると、少しだけ宗教に似ているなと思うのです。

そして、こんなことを書いている私自身も、かなりの信者です。
しかも、ずっと同じ宗派にいたわけではありません。

何度も改宗してきました。


最初に入信したのはSonyでした

私がレンズ交換式のカメラを本格的に始めた頃、最初に惹かれたのはSonyでした。

当時、SonyはAPS-Cという大型センサーを搭載したミラーレス機、NEXシリーズを出してきました。
今でこそミラーレスは当たり前ですが、当時はかなり新鮮でした。

「これは未来のカメラだ」

そんな感じがありました。

本当はNEX-5が欲しかったのですが、予算の都合で一段グレードを下げてNEX-3を購入しました。
それでも、私にとっては十分に新しい世界でした。

ただ、当時のSonyはカメラメーカーとしては、まだ新しい存在でした。
ミノルタのカメラ事業を引き継いでから、まだ数年。

言ってみれば、新興宗教です。

新興宗教は勢いがあります。
未来を感じます。
でも、お布施もなかなか高い。

レンズを揃えようとすると、

「これは、なかなか大変だな……」

と思う場面が増えてきました。

NEX-3、α33、α6000。
しばらくSony教徒として過ごしましたが、やがて私は別の宗派へ移ることになります。


次に選んだのは、伝統あるニコン教

Sonyの次にたどり着いたのが、ニコンでした。

D7000。
そしてD500。

どちらも本当に良いカメラでした。

ニコンには、長い歴史があります。
特に年配の写真愛好家からの支持は厚く、

「カメラといえばニコン」

という空気を感じることも多かったです。

堅牢なボディ。
豊富なレンズ資産。
長年積み上げられた信頼感。

Sonyが新興宗教だとしたら、ニコンは伝統ある大宗派です。

私も、

「きっとこのままニコン教で一生を終えるんだろうな」

と思っていました。

特にD500は、とても気に入っていました。
しっかりしたボディ、気持ちのいいシャッター、安心して使えるAF。
持ち出すたびに、「これでいいじゃないか」と思えるカメラでした。

ところが、時代はミラーレスへ進みます。

ニコンはZシリーズを発表しました。
伝統宗派の中に、新しい分派が生まれたような感覚です。

もちろん魅力はありました。
でも、ボディもレンズも安くはありません。

レンズの価格を見ながら、

「またお布施が始まるのか……」

と思ってしまいました。

Sony時代に感じた、あの感覚です。


そして富士フイルム教へ

そんな頃、手元に残っていたSony機材を一部売却しました。
すると、富士フイルムのX-T20が手に入ることに気づきました。

最初は軽い気持ちでした。

「ちょっと試してみよう」
「サブ機として使えればいいかな」

そのくらいの気持ちです。

ところが、このX-T20が面白かったのです。

ダイヤルを回す。
露出を決める。
フィルムシミュレーションを選ぶ。
JPEG撮って出しを楽しむ。

スペック表だけでは伝わらない楽しさがありました。

「写真を撮るって、こういうことだったよな」

そんな気持ちになりました。

気がつけば、X-T20からX-T5へ。
さらにX halfまで使うようになりました。

完全に入信です。

富士フイルムもまた、かなり熱心な信者を持つ宗派です。
フィルムシミュレーション、クラシカルな操作系、JPEG撮って出し。
このあたりの言葉に反応する人は、だいたい危険です。

もちろん、私もその一人です。

いまでこそ、富士フイルムが一番好きです、みたいな顔をして発信しています。
少し通っぽいことも言っています。

でも、振り返ると私は何度も改宗してきた人間です。

Sonyにも惹かれた。
ニコンにも惚れた。
そして今は富士フイルムが楽しい。

ただそれだけなのです。


そのときは、いつも正しかった

こうして振り返ると、それぞれの宗派に、けっこうな献金をしてきました。

ボディを買い、レンズを買い、アクセサリーを買う。
気がつけば、いろいろな機材が増えていく。

「これは必要だから」
「これは表現の幅が広がるから」
「これは今しか買えないから」

そのときは、どれも本気でそう思っていました。

でも後から見ると、少し笑ってしまいます。

カメラ趣味の怖いところは、買っている瞬間はとても冷静なつもりでいるところです。
まるで生活必需品のような顔をして、レンズをカートに入れている。

「いや、これは必要経費だから」

そんな心の声が聞こえてきます。

でも、それでよかったのだと思います。

Sonyを使っていた時期も楽しかった。
ニコンを使っていた時期も楽しかった。
富士フイルムを使っている今も楽しい。

そのとき自分が楽しいと思っていたなら、それはそれで正しかったのです。

信仰なんて、案外そんなものかもしれません。


不思議とフルサイズには行かなかった

ただ、不思議なことがあります。

私は何度も改宗しているのに、フルサイズには足を踏み入れていません。

Sonyでも、ニコンでも、富士フイルムでも、私はAPS-Cにとどまってきました。
富士フイルムで言えば、中判に進む道もあります。

でも、そこには行きませんでした。

理由は単純です。

高い。
重い。
そして、沼が深い。

もちろん、それもあります。

でも最近は、もう少し別の理由もあったのかなと思っています。

フルサイズや中判に進むと、機材への投資額が一気に大きくなります。
そうなると、

「せっかくここまで揃えたんだから」

という気持ちが強くなりそうです。

つまり、簡単に改宗できなくなる。

私はたぶん、どこかで身軽さを残しておきたかったのだと思います。
いつでも別の宗派をのぞきに行ける余白。
そのくらいの距離感が、自分には合っていたのかもしれません。


信仰は自由。でも布教はほどほどに

だから私は、カメラは宗教に似ていると思っています。

Sonyが好きな人。
ニコンが好きな人。
キヤノンが好きな人。
富士フイルムが好きな人。

それぞれに信じるものがあります。

AF性能を重視する人もいる。
画質を重視する人もいる。
軽さを重視する人もいる。
操作感やデザインに惹かれる人もいる。

どれも間違いではありません。

自分のカメラが好き。
自分のメーカーが好き。
それは、とても自然なことです。

ただ、自分の信仰を持つことと、他人を無理に改宗させようとすることは別です。

写真は趣味です。
楽しみ方は人それぞれです。

私自身、何度も改宗してきました。
だからこそ思います。

どの宗派にも良いところがある。
そして、その宗派にいるときは、みんな自分のカメラが一番好きなのです。

それなら、それで十分。

いま私は富士フイルム教徒として、X-T5やX halfを楽しんでいます。
でも、かつてSonyやニコンを楽しんでいた自分も、間違っていたとは思いません。

そのとき楽しかった。
それでいいのです。

カメラ選びに、唯一の正解はない。

だからこそ、カメラ趣味は面白いのだと思います。


まさに、カメラの宗教論争が繰り広げられる、ムック本があります。
毎年、夏と冬に刊行されます。今年も出ました。


最後までお読みいただきありがとうございました。


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