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戦後初の御用医師:西沢義人教授(阪大)の悪魔な放言 「森永は被害者、森永は責任を十分果たしており、その処置には好感。補償は国がすべき」…

「治癒判定基準」で乳児の後遺症を封殺した医師の自己礼賛

 これは、連載でご紹介している「森永と電通ー悪魔の対談」(正式見出しは「新しい乳業のイメージを ドライミルクを中心に育った広告活動」)が収録された、『森永乳業五十年史』に、同じく収録されているものである。
 これを引用するにあたって、少々ためらいがあった。

「権威の医師」が自ら展開する異常なレトリック

 なぜなら、事件に関して現「被害者」団体や「ひかり協会」が拡散する資料、ウィキペディアの内容をうのみにすると、この医者の嘘を見破ることは難しい、むしろ森永の主張に誘導されるからである。
 だが、「森永ヒ素ミルク中毒事件の現在」でのヒ素混入の経過解説から事件封殺の構図のあたりまでを読まれた方は、この医師の語りの異常性がご理解いただけると思う。

化学物質投入の目的=腐りかけの原乳を騙して売るための「無規格品」投入を隠す


 腐敗が進んでいた原乳の使用を粉飾するため、見かけ上の溶解速度(お湯への溶けやすさ)を上げて新鮮な原乳を使用しているように見せ掛けるために、不正な化学物質の投入を決めたこと。しかも、それを、アルミ精製工場から排出された「産業廃棄物由来」の「無規格品」「工業品」の「第二燐酸ソーダ」(薬品としての成分保証が元からないゆえ、食品用ではない。本来用途は工場などでの洗剤や殺虫剤)を投入していたという事実を隠蔽すると、こういう「科学的」装いをまとった森永弁護の主張や説得がいくらでも可能となり、国民を大きく騙せてしまうのだ。

嬰児殺しの森永を礼賛する小児科の権威


 同時に、この教授の被害実数のはなはだしい事実誤認から、無根拠での断定、過剰な修飾語を通じた森永乳業への礼賛と忖度がてんこ盛りである。
 通常は逐次解説で嘘を指摘するところだが、この医師の文章には、大量の嘘がちりばめられており、なおかつ、意図的な情緒的記述と検証不能な自己主張を川の流れのようにつなげているので、事実を全面的に対置することでしか対応できない。だが、それでも、この御用医師の手法をあえて紹介するのは、今後、どこで発生するかわからない各種の被害圧殺の嘘を見抜く力を市民の方々に、身につけておいて頂きたい、との思いからだ。

医師の義務を放棄した、岡山大学医学部小児科・浜本英次氏を激賞する西沢教授

 西沢教授が激賞する岡山大学医学部小児科の浜本英次教授についての「医師の葛藤物語」も『岡山県における粉乳砒素中毒症発生記録』から引き写した要旨である。
 この岡山県出版の本は表紙が真っ赤なことから、通称「赤本」と呼ばれており、浜本氏が、森永乳業の粉ミルクのイメージを優先するため、医師の最低限の義務である食中毒通報さえ怠った重大過失(刑事罰)を隠蔽し、その後、被害児の後遺症を封殺する小児科学会のトップに据えるための権威付けをする目的も担っている。
 さらに、社会への警告を急いだ市内の総合病院の小児科医師たちを、「先輩の地位を利用して」黙らせてまわり、発表を遅らせた。浜本英次教授は、森永から研究資金を提供されていたからだ。

元厚生官僚/三木行治(みき・ゆきはる)岡山県政の大罪


 このような数々の罪を、全編にわたり事実の恣意的な取捨選択をしながら正当化しているのがこの「赤本」だ。彼が一人称となるご都合主義的な物語を展開して自己を免罪している。客観的な検証とは程遠いものだ。
 逆に、彼を御用学者のツートップにするという国の方針と岡山県の三木県政※は緊密に連携した。悪名高い “後遺症無しを宣言する” 結論ありきの「岡山県官製検診」体制。これを強行するための武器として開発されたのが、この「赤本」である。
 ※当時の県知事・三木行治氏は厚生官僚からの落下傘知事

“「守る会」を解散したら記念品かわりにやる”と岡山県衛生部

 当時、岡崎哲夫が「守る会」として岡山県にこの書籍の提供を求めたところ、当時の岡山県衛生部(大森誠部長)の島崎係長は、県費で制作した事件関係の書籍にもかかわらず、「『子供を守る会』が解散すれば記念として本書を贈る」ということをほのめかす発言をしたことが、強い憤りと共に表紙の裏に手書きで記録されている。

同じ土俵でキャンペーンを再開した「山陽新聞」

 以上、この「赤本」は簡単にまとめると、「ヒ素発見の第一発表を非常にゆっくりと森永の意向を伺いながら行い、そうしているうちに食中毒通報を怠ってしまっという、医師にとっての重罪をあっさりと免罪して、逆に、浜本英次教授を厚生大臣の名で称賛・表彰し、その後の後遺症抹殺のための御用学者の権威にしたてる」ための役割を担った文献である。
 現「山陽新聞」は、この文献をつかって、1955年に行われたのと同じキャンペーンを、なんと、事件から45年経過した2000年以降に「再開」し、ご丁寧に「名医の系譜Ⅱ 第8回」(現在は「岡山の医療健康ガイドMEDICA」第8回 ー 2025年6月13日現在)というシリーズで浜本英次教授の礼賛記事を、ネットで拡散し続けている。
 ちなみに、岡山県立岡山操山高校の野球部生徒自死事件でもあきらかだが、「表彰状」のためには事件隠蔽も厭わない者が跋扈しているのが、悲しいかな岡山県だ。

西沢教授、自ら「利益相反」の中心に登場

 西沢教授がわざとらしく「私は森永との恩怨(利益相反)は無い」などというが、そもそも、事件を完全に封殺したことを豪語している原因企業の社史に、自ら登場して「森永には一切の責任がない」と叫んでいる時点で、利益相反ど真ん中である。

   大阪大学名誉教授  西 沢 義 人

 50年にわたる森永乳業の輝かしい社史に大きな汚点を印したというよりは、最大の社難として記録されるのがいわゆるMFドライミルク砒素中毒事件である。 その罹災者は死者 113 名、患者1万1,700余名にもおよび、規模の大きさ、しかも被害者があどけない乳幼児であったことは、乳児栄養史上未曽有の大事件といわねばならぬ。
 ところでこの不慮の災害については、岡山県における粉乳砒素中毒症発生記録、5人委員による森永粉乳中毒事件の補償等に関する意見書などに詳述されているので、あらためて書く必要はあるまい。 当時大阪大学医学部小児科教授であった私は、数百名の患者を治療するとともに、事後処理にも最後まで責任を負わされた者のひとりとして、 私の周辺に限局して記憶をたどってみることにした。
 問題のMF印調製粉乳が徳島工場で製造されたためか、その販路は、中国地方に多く出回ったらしい。 近畿地方では、よほど遅れて使用された模様で、事件発生時には不幸にして私は一例も患者をみていなかった。それで新聞をみるとすぐ岡山大学に浜本教授を訪れて教えを乞うた。 恥ずかしいことながら30年の私の小児科医生活で、砒素中毒患者は一度もみていない。 浜本教授も同様であったらしくこう述懐している。
 「粉乳のなかに仕素が混じって多数の乳児が、 中毒を起こしているということが一体ありうるかどうか、一再ならず不安が沸き起こってくるのをどうすることもできなかった。もしどこかの手違いからとこういう発表をしてしまったことになると、世間を騒がせた責任にたいし、私の一身は問題でないにしても、私どもの教室, さらに教室員全体の声望は地に落ちることになり、ひいては大学全体の名を汚すことになるであろう。 そんな不安が襲ってくるたびに、私はなんども事件の発端から症状を注目するにいたった事情, 素の検出にいたるまで自分のたどってきた過程の一つ一つを繰り返えし反復し、 そのあらゆる段階に誤りなきを確かめ、限りない孤独のなかに辛うじて自分を勇気づけたものであった。
 ちょうどそこへ,、大阪大学 西沢義人教授が駆けつけられ、私を励まし、 限りない激励と鞭達を与えられた。そして発表の成否を案ずるは小事に拘泥する愚である。 そんなことはどうでもよい、それよりはまずなによりも多数の人命が救われた喜びを先にすべきではないかと、私の心のあるべきところを教えられた」・・・と
 私がこの一文を引用した意味を誤解してくれては困る。 私にも浜本教授の心中がよくわかる気がするのであって、 彼ほどの一流の学者でさえ、ありうべからざることとして新聞に発表したあとでも、孤独に悩むほどの事件の惹起をだれが想定しえようかと断言したいのである。 それはとにかく、私は患者の臨床、病理検査など納得するまで検討して、帰阪したときには、 気の毒な中毒患者は病院に殺到していたのであった。 私および教室員たちは患者の多いことには馴れていた。 それは毎年夏にはポリオの治療をうけるため、全国から患者が集まったからである。しかし今回の場合は事情が違っていた。すなわち報道陣、 カメラ班の包囲攻撃、罹災者連盟幹部との折衝。 家族たちの不安と殺気を交えた質問応答、官庁との交渉など夜を目について目の回る思いの3カ月であった。 教室員の必死の努力のかいあって、ひとりの死者をも出さなかったことは幸いであった。
 昭和30年11月2日、私は5人委員会に招かれて本件に関する経験と対処措置、後遺症問題その他について腹藏ない意見を聴取された。 委員各位は終始公正な態度で辛抱強く5時間にわたり私の話を聞いてくれた。
 「私は大学人の理想として、製薬業者、乳業者などをいっさい近づけなかった。 したがって森永乳業とは, この事件までなんらの恩怨 (えん) もない人間であることをご承認願いたい」と前置きして、次のような意見を率直に述べた。
 1. 今回の事件では被害者はふたつである。 第1は申すまでもなく砒素中毒患者とその家族である。罹災者たちはいずれも森永乳業を信用しての愛顧者であるだけに、裏切られた怒りは大きいはず。 親たちにはなんの手落ちもなく、しかもなんの罪もない幼児が病魔に苦しみ、死にいたらしめるむごたらしさには、胸をかきむしられる憤怒と苦悩が思いやられる。ところでこの重大な事態を引き起こした当の責任者である森永乳業にも、全然失態はなく同社こそ悪徳業者の詐欺にかかった第2の被害者である。
 森永乳業がなんの目的で第二りん酸ソーダを使用したか、 私は知らないが、食品衛生関係法規にはふれないと聞いている。 私は生化学を専攻したので、薬品については多少の知識を持っているが、第二りん酸ソーダの素含有量は3ppm以下であり、これは生体にたいしてなんらの影響はなく、医学的には顧慮するに足らない数字である。事実において徳島工場では過去3年間使用して、なんの支障も認められていない。 問題は本年4月10日から3回にわたって入荷した第二りん酸ソーダにあるが、その品は外装はもちろん、結晶粒も色沢もこれまで納入したものと同様であり、価格もキロ当たり170~180円と、 従前の第二りん酸ソーダと同様でありながら、 内容は似ても似つかぬ砒素の多い特殊化合物であったことにある。
 由来薬品の使用は、 長年の信用に立脚する習慣によって使用されるものである。 森永乳業が第二りん酸ソーダの素を、毎回検査しなかった点を指摘する向きもあるようだが、それは化学に無知な人のこじつけの結果論であって、 乳児に対する毒物は砒素に限られたものではなく, あらゆる場合を想定して検討することは事実上不可能である。 極論することが許されるなら、 医師は自分の使う薬品、注射薬をいちいち検査することが要求されるだろうか。
 森永乳業が、その責任を悪徳業者に転嫁して責任回避を図らなかった態度には好感がもてる。
 2. 巷間伝うるところによると「森永乳業はけしからぬ、たたきつぶせ」の声があるそうだが、この説を私はとらない。 森永乳業をつぶして跡始末をだれにさせようというのだろうか。 現在考えられるのは国家補償だが、その実態は京都のジフテリア注射禍事件で経験ずみである。 ここは感情に激することなく、あくまで森永乳業を表面に立てて、その責任を遂行させることこそ、気の毒な罹災者に対するせめてもの心やりではないか。
 今回の事件は, 取り返しのつかぬ遺憾事には違いないが、その責任のすべてを、なんの罪もない森永乳業に背負わせて, 過去40年にわたる乳児栄養にたいする森永乳業の功績をもまっ殺することは酷であると思う。
 なお森永乳業をつぶした場合、零細な株を唯一の財産として守っている酪農家たちのみじめさに心した人があるだろうか。
 3. 罹災者に関する意見
 不幸にして死亡された遺族にたいしては、なんとも慰める方法がないわけで、森永乳業としては最大の誠意を示すべきである。
 幸いに健康を回復した人たちには, 森永乳業としては治療費 入院費, 通院費および見舞い金を贈り、道義上の責任は十分果たしている。
 ただし,、見舞い金額を入院患者と通院患者とに差別したことは賛成できない。 家庭のあり方、病院のベッド数、 通院の交通関係などいろいろ事情が違うし、病勢の軽重と入院、通院は無関係なはずである。
 被災者の今後の大きな不安は、後遺症にあると思うが、 私の手がけた数百例から判断してその心配はない。 ただ問題になるのは先天性の疾病 (たとえば脳性小児マヒ) を後遺症と思い込む親たちへの説得にあるだろう。
 最後の1項目については、 私の杞憂(きゅう)ではなくその後10年間, いわゆる後遺症の跡始末にはずいぶん悩まされたものである。 が幸いにそれらの訴えのある小児は、全国から私のところへ引き取って精査し、別の疾患で全治した例もある。 先天性のもので、難治の小児の家族もよく納得させ、 一例の後遺症も出さなかったことは不幸中の幸いであった。その間、森永乳業は終始誠意をもって処理したことを特筆大書したい。
 この事件があらかたかたづいたある日、 森永乳業の大野専務(現社長) の訪問を受けて懇切丁重なあいさつがあった。 私はその表情からある決意を認めてこんなことをいった。
 「大野さん、人間が責任をとるのにふたとおりある。ひとつは退いて職を辞することで、これは一見潔よくみえるが、最も安易な方法で、 私はひきょうだといいたい。 ひとつは進んで責任をとる道であり、これには多くの困難と世間の悪罵 (ば)を覚悟せねばなるまいが、この難局を切りぬけ、 元の森永乳業に建て直すことこそあなたに負わされた責務ではないか」 と。
 私のことばで彼の進退が左右されたと思うほどのうぬぼれはないが、それはともかく、 大野専務をはじめ、 重役陣も異常の熱意をもって立ち上がったことは事実である。
 しかしそれは当然のことで、強く私の胸を打ったものは、社員一同が自発的に年末手当てを辞退して補償にあてたいと申し出たことである。 そして 「上下心を一つにして社難に立ち向かう」 この心意気がある限り、 森永乳業は必ず立ち直ることを確信したものであった。
 “のどもと過ぐれば熱さを忘れる”のは人間の弱さだが、人心の弛(し) 緩したときに、思わぬ災害が訪れるものである。 古い人はもちろん、新らしく入社した人たちも 「昭和30年を忘れるな」を合いことばに、各自の職責を果たされんことを。

『森永乳業五十年史』p.158-159

「決めぜりふ」に既視感ありあり

 この西沢教授の語るキーワード「森永は責任を十分果たしており、その処置には好感。補償は国がすべき」を冒頭に示した。これ、最近どこかでよく聞く。

だが、この西沢義人教授でさえ、さすがに言えなかったのが…

「ミルク中毒でよかった」(関西テレビ)
「ミルクを飲んで良かった」(ひかり協会) だ。


1ー関西テレビ『ザ・ドキュメンタリー 恩讐のかなた』

番組の着地点<皆のもの、今後、森永の批判をするべからず>

 番組は、森永乳業が世論を欺き、被害者をたびたび怒らせた常套句「晴天の霹靂」を番組で再度復活させ、森永はヒトゴトのように「検診を続けておけば被害の拡散は防げた」という。
 森永乳業が、国・厚生省を使って「後遺症なし」を強引に結論づけた官製検診の歴史を大きく隠蔽している。
 そして、一転「森永憎しの親の思いは封印※1」と歴史的文脈を寸断し否定する。その後に、この番組の「殺し文句」が登場する。 

 「森永に恨みはない」
 「(持った障害が)ミルク中毒でよかった」
by関西テレビ


 これで、視聴者にトドメを刺す。ご丁寧にテロップまでつけて流す。※1「森永憎しの親の思いは封印」このフレーズを考えた者もかなりのワル。

「関西テレビ」の結論

<国民よ、支援の市民よ、ジャーナリストよ、よく聞け。今後、この事件にかかわるな。森永乳業さんの批判をするなよ。被害者自身が、森永乳業さんに感謝し、喜んでいるのだから。ヒ素中毒になってよかったと言っているのだから。> というノリだろうか。

宣伝・扇動(プロパガンダ)のプロがついている。

 こんな発言を誰にさせようが、被害者の意見は統一されているわけではない。全体主義的な思考回路をもつ人間は、「被害者と、ちょっと有名になった弁護士と、森永を登場させて」これでうまくやったつもりだろう。広告もあとからついてくる。シメシメだろう。
 が、被害者の意見は人数分だけある。全体主義国家なら、これでイチコロだろうが、日本でそうなれば、社会そのものが終わる。

「被害者への支配に被害者を使う」=「かいらい支配」は、アウシュビッツでも常套手段

 関西テレビは、強制収容所で生まれたホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生き残りの子どもにも同じことが言えるか? 
 曰わく、「ホロコースト憎しの親の思いは封印、もはや恨みはない。今では、送られた先がアウシュビッツ=ビルケナウで良かった」などと…。
 たしかに、これを言わせることができるユダヤ人は、「稀少な」ナチス協力者の中から見つけることができるだろう。ナチス残党の影響下ならゾンダーコマンドの中からもスカウトできる。

「関西テレビ」嘘の上塗りで、現状まで改ざん


 その後、なんだかんだと情緒的にやりつつ、
 なんとまあ、
「森永の補償に上限があり行政サービスを活用し、その上でひかり協会からお金を出すシステムです。」とか
「行政だけでは足りない部分を、ひかり協会が支援します」とか、
あたかも、“国の補償が中心であるかのような” 
大嘘の主客転倒のびっくりナレーション。

 森永が、のどから手が出るくらいやってほしいキャンペーンだが、ふつうはやらない。
 だが、この番組の放送年と同じ年に関テレがやらかした、例のやらせ事件よりはるかに重大なデマを流しているのに「なぜか」「放送批評懇談会」は、これに「ギャラクシー賞」をやってしまった。

 被害者の生活を情緒的に紹介した上で、「観衆」に偽装された内容を刷り込んで、特定の政治目的に心理的に誘導する、プロパガンダの常套手段だ。

 関西テレビのこの番組については、後日談があり、現在係争中の裁判でも大きな問題になっている。非常に重大な問題なので、おいおい明らかにしたい。

2-公益財団法人ひかり協会

 「自身も被害者の前野直道理事長は取材に「森永は真摯に救済事業に向き合っている。被害者間のつながりが生まれ、毎月の手当は十分で、今ではミルクを飲んで良かったという被害者もいる」と話す。証人尋問でもそう語った。」 (朝日新聞 2025.4.11 記事


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