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今もある(公財)「森永奉仕会」 元手は回収したヒ素ミルク缶を再販売した売上

事実に向き合えない国家─

前代未聞ヒ素ミルク缶「ロンダリング」事件

廃棄予定の回収ヒ素ミルク69万缶はどこへ?

 日本の官僚は過ちを認めないので敢えて書く。
 『森永ミルク事件史』(岡崎哲夫 1957年)の149頁「森永奉仕会」の項に、このような記載がある。

 「…基金(※森永奉仕会のこと)に至っては更に奇怪である。封印され廃棄処分を命ぜられたはずの毒ミルク六十万缶がいつの間にか売りさばかれ東京ではそれが闇に流れていると噂されている。市価二八〇円のMFミルク1ポンド缶が実に二十円足らずの金額で売却されたのだ。それを菓子やアイスクリームに少々混ぜても顕現的な砒素中毒は起きないであろう。…(中略)…『中毒事件の贖罪だ。被災者も要望して悦んでくれている。』という会社の宣伝でこのような不正が行われることは全く許せない。我が会は毒ミルク処分に関する疑惑を精密な公開質問状として厚生大臣以下に提出した。にも拘わらず、まる切り梨のつぶてで返事ない。恐らく、自ら命じた廃棄処分の手前、弁明できない闇の事実があるに違いない。我々はかくの如き資本主義の道義的退廃と、資本家の世紀末的罪悪と官僚のダラクとを痛憤するものである。
 森永は毒ミルクの売却金1千万円に更に2千万円を追加して『奉仕会』の基金とし、更に毎年1千万円ずつを提供して総額1億円にするという。その基金は実は森永に投資されるに決まっているから会社はまんまと毒ミルクの金を株主配当よりも更に低い低金利資金として利用しつつ、公然買収費を生み出そうという一石二鳥にもなる悪知恵を発揮しているのである。いやそれも元をただせば全協(※被害者団体の初期の名称)の『研究機関の要望』や『保健文化センター』のアイディアを完全に悪用しているにすぎないのである。
 慈悲深き聖母のごとき大宣伝で愛用者を傷つけ、多くの子供が今なお病苦に呻吟しているのを強引に闇に葬り、被災者の本能的叫びを逆用して弾圧し、医者を買収し、国家権力をあやつり、悪虐やむところを知らない森永に対し、被災者が憎悪と怨恨と復讐の悪鬼と化すのは、けだし当然である。…」

『森永ミルク事件史』(岡崎哲夫 1957年)p.150-151
注釈は岡崎久弥
デジタル化文書    上巻pdf    下巻pdf    DL転載自由

メディアを押さえた森永乳業の傲慢 なんでもあり状態に

1956年
1月22日
東京・森永本社で森永重役・七海氏、患者団体に対し、「あなた方がいくら騒動を起こしても、もう新聞には一行だって出ませんよ」と発言。
3月17日
厚生省、回収MF缶の再販売のため、全国の都道府県に回収缶の東京都への回送を下命。廃棄処分にすると新聞発表していたMF缶約70万缶を、実際には育雛用飼料─ひな鳥のエサ─に混ぜて再販売する極秘の計画が始動。

『森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 詳細年表』

国が、国民に森永ヒ素ミルクを追加で食わせる

 廃棄すると宣言した粉ミルクを、再販売して、全国の大学に、森永の冠(かんむり)をつけた研究資金をばらまくなど、正気の沙汰ではない。

内閣府は「噂として」認めつつ最終的に「詳細不明」に

 内閣府が、この事実を認めると、国が森永と共謀して主体的かつ計画的に、「既にミルク中毒事件で判明している毒物を、明確な意図をもって市場に再流通させた行為」となり、「故意」による犯罪である。
 国が「故意に」ヒ素ミルクを「鶏肉や卵」を通じて広く国民の体内に摂取させた可能性があるからだ。

『内閣府食品安全委員会 事務局 平成17年度食品安全確保総合調査報告書 国内で発生した事故・事例を対象として 食品安全に係る情報の収集と提供に関する調査報告書 (国内の食品に係る化学物質による事件・事故の事例調査)』 「第1編 森永ヒ素ミルク中毒事件」(平成18年3月ぎょうせい)
上掲表紙の「内閣府食品安全委員会」報告書 p.11 脚注にて小さく「詳細は不明」とあいまい化されている。
さて、この報告書では、文末の【参考文献】に <浜本英次編「岡山県における粉乳批素中毒症発生記録」岡山県衛生部1957年>が明記されている。その書籍が以下。
表紙が赤く、関係者の間では通称『赤本』と呼ばれてきた。


驚愕!

半世紀後に「真相解明」ではなく「責任逃れ」を考える国

 報告書の平成18年は2006年。事件から51年たって、内閣府は新しい責任逃れを思いついたようだ。
 上掲のレポートの注釈を細かく読む。

「厚生省は 695,740缶を回収。そのうち452,184缶が有毒缶であった。残りは鶏の飼料として転売されたと言われるが、資料の不足により詳細は不明。」

「内閣府食品安全委員会」報告書 p.11 脚注

と書いている。
 この「残り」とは…、漫然と読んでいると…、あたかも「回収缶-有毒缶=無毒缶」なる引き算が存在するかのような想起をさせる。このような“印象”が残る。だが、ミソは、「明確・正確にそう書いているわけではない」という点だ。なんとなく「そういう印象」が残るようにしているだけだ。
 つまりこの書き手は「ヒ素ミルク缶として回収した695,740缶を一缶ごと開封して検査したことにしよう。“有毒缶”と“無毒缶”を一個単位まで特定したことにしよう。そこから割り出された“無毒缶”に限って飼料に回したことにしよう。だが真実・根拠を追求されると困る。だから詳細不明ってことにしておこう」…。
 官僚が思いつきそうなレトリックだが、よくもこんな類の話を、乳児大量殺害史の国の公文書に平気で書くものだ。
 そんなに責任逃れをしたいのなら、すべての一次情報を漏れなく国民の前に公開すればいい。
 加害企業に加担して闇で不正をやった側の国が「詳細不明」といいつつ、「迷宮入り」にして「責任逃れ」の「印象」だけをガセネタで残し拡散する。「不正の上塗り」だ。

「詳細不明」どころか…役所が明記


 だが、こんな嘘は一刻も早くやめて頂きたい。
 食品安全委員会「自身」がこの報告書で【参考文献】として挙げているものに<浜本英次編『岡山県における粉乳砒素中毒症発生記録』岡山県衛生部1957年>があるが、この記録本に岡山県の行政官が、回収ヒ素ミルク缶の「回送」を明確に記載しているのだ。さらに強調しておくと、この時の岡山県知事・三木行治(みき・ゆきはる)は、厚生省からの落下傘であり、その傘下の行政官が「当然のことのように」記載している。

内閣府の参考資料 『岡山県における粉乳砒素中毒症発症記録』(通称『赤本』表紙)

岡山大学医学部小児科・浜本英次教授の免罪と権威付けのために制作された『岡山県における粉乳砒素中毒症発症記録』。岡山県衛生部(大森誠部長)の島崎係長は、閲覧を請求した被害者団体「守る会」に対して、県費で作った本にもかかわらず、要旨「『守る会』を解散したら記念品として贈る」などと発言、閲覧を許さなかった。(森永ヒ素ミルク中毒事件資料館所蔵)
これが「マグサイサイ賞を受賞」と地元行政やメディアまでが「偉人扱い」する「三木行治(みき・ゆきはる)県政」の非人道的実態である。

↓ この『赤本』巻頭に、驚くべき写真がある。 ↓
『岡山県における粉乳砒素中毒症発症記録』巻頭写真
回収された69万缶以上の森永乳業のヒ素ミルク缶は、当然「廃棄処分」と発表された。 
だが実際には、国・厚生省の命令で全国から極秘裏に東京都に集められ、育雛用飼料に混ぜられて再販売された。政府が闇で行ったこの不正販売の売上金は「森永奉仕会」の資金源となった。
『森永ミルク事件史』(1957年)でも暴露されたが、『岡山県における粉乳砒素中毒症発症記録』にその一部始終が写真入りで記録されている。 
つまり乳児を大量殺害した森永乳業のヒ素ミルク缶は、日本国政府によって、薄く広く、国民の知らないうちに、国民の体内に摂取させられたのである。
処理場の写真まで取り寄せてダブルで掲載しているのは、冒頭の森永常務の言葉どおりメディアを操縦して世論を制圧したという安心からだろう。
県衛生部の対応からも推測できるが「ここまで明かしても被害者救済運動の再起も国民一般からの批判もあり得ない」という当時の岡山県・三木県政の傲慢な自信の現れだ。

実行部隊は「厚生省」

1956年
3月17日  回収中のMFについて厚生省より指示 
 事件発生と同時に販売停止処分を行い回収を行っていたMF製品の処分方法について厚生省より育雛飼料として有効に活用するため一箇所に集積する必要があるので送付先及び方法の指示があった。

3月24日  MFの回送について指示  
 MFの回送方法について岡山保健所へ指示した。

3月26日  回収MF製品を東京へ回送
 全県下で回収せるMF製品34,546缶(内開缶5,326)は岡山保健所衛生課員立会のもとに梱包され貨車2輌に積込まれ午後4時完了。同夜2,000余の乳児を苦しめ24の尊い生命を奪ったMF製品は東京都へ回送された。

『岡山県における粉乳砒素中毒症発症記録』年表p.342

 同じ役所が書いた記録にも「知らないふり」をする現・内閣府の姿勢も驚きだ。この事実に関して、意地でも「詳細不明」と書いているところ、むしろ内閣府の内心があからさまになっている。
 これにつながる話を少しでも認めると、財団法人として現在も存続している『森永奉仕会』の存続責任を誰かが取らなければならなくなる。だから、あいまい化するしかないのだろうが、それは、もはや通用しない。

そして鶏は、おそらくヒ素中毒で死んだらしい。


 この飼料を食わされた養鶏場の鶏は、岡山県でヒ素中毒症状と同じような症状を呈して、死亡している。ヒ素を食わされて、とりあえず死なずに出荷された鶏や卵は、数知れずだろう。この詳細もいずれまた追加記載したい。

森永礼賛の学者をつくり続ける「森永奉仕会」

 国・厚生省(現:厚労省)は森永にどっぷり浸かり過ぎている。
『森永乳業五十年史』は、「森永奉仕会」の設立がよほどうれしかったのだろう。詳細に解説を掲載している。
 なにせ、森永が乳児殺戮の大事件を引き起こしたら、それをいさめ、罰するべき国が、いったいどこに間違ってスイッチが入ったのか、国家をあげて森永の弁護に向かい、厚生省は森永応援団長となり、八面六臂の「大活躍」を開始、森永の企業防衛と、その更なる膨張へのテコ入れまで始めたのだから。

 あろうことか、被害乳児を圧殺しながら、同時に莫大な資金を「森永奉仕会」の設立にあて、その趣旨に「森永乳業株式会社はMF事件を契機に、将来この種の不祥事件の発生を防ぎ、乳幼児の栄養の向上を図るための研究機関の設置を意図した。」などと書いている。
 実際、森永乳業は、それまで以上に医者との人脈の大構築を開始できたのだ。乳児殺しをその後の社業隆盛へのテコに変えてしまう悪魔性としかいいようがない。再び引用する。

今も続く「公益財団法人 森永奉仕会」

日本中の研究機関・大学が「森永へご奉仕」 “赤信号みんなで渡れば怖くない”

 『森永乳業五十年史』から抜粋

財団法人森永奉仕会とその事業

財団法人 森永奉仕会 理事長 
小山武夫

 昭和31年春、森永乳業株式会社はMF事件を契機に、将来この種の不祥事件の発生を防ぎ、乳幼児の栄養の向上を図るための研究機関の設置を意図した。 ひとまず、社外の学識経験者を発起人に委嘱して検討した結果、同年8月、財団法人森永奉仕会を設立して、これに 3,000万円を寄付することを決定し、翌32年2月20日、厚生大臣の設立許可を得、爾 (じ) 来同社から毎年寄付がつづけられて、昭和41年度には基本金は当初の目標額の1億円に達した。
 以下、本会の趣旨, 役員名および今日までの事業の概況を略記することにする。
1.趣旨
 乳幼児の栄養、とくに牛乳、乳製品ならびにこれに関する育児栄養品の品質改善に関する調査、研究の進歩を図り、もって公衆衛生の向上に寄与することを目的とする。

2.役員 (昭和42年5月現在)
理事長 小山武夫 医学博士 東京都済生会中央病院長、元東京都衛生局長
常務理事 中村文弥 医学博士 元慶応義塾大学医学部教授
理 事 服部峻治郎 医学博士 京都大学名誉教授, 元京都大学学長
同 阿部勝馬 医学博士 慶応義塾大学名誉教授, 食品衛生調査会委員長、元慶応義塾大学医学部長
同 宮脇 富 農学博士 帯広畜産大学名誉教授, 元北海道大学教授, 元帯広畜産大学学長, 元札幌短期大学学長
同 大野 勇  森永乳業株式会社取締役社長
監 事 山崎 佐 医学博士 法学博士 弁護士 元公安審査委員長 元日本弁護士連合会会長
監 事 内海丁三 日本放送協会解説委員、駒沢大学教授、元産業経済新聞社時事主幹
顧 問 栗山重信 医学博士 東京大学名誉教授,元国立東京第一病院院長
(注)前常務理事・斎藤文雄氏 (医学博士, 聖路加病院副院長, 元恩賜財団母子愛育病院院長) が昭和39年4月逝去されたので,中村文弥氏が就任された。

評議員(昭和42年1月現在) (イロハ順)
磯田仙三郎 東京女子医大教授
石館 守三 国立衛生試験所長
浜本 英次 岡山大学医学部教授
西沢 義人 大阪大学名誉教授
堀田 正之 鳥取大学医学部教授
越智 勇一 日本獣医学会会長
太田 敬三 東京医科歯科大学教授
尾村 偉久 国立小児病院院長
奥田 六郎 京都大学医学部教授
蒲生 逸夫 大阪大学医学部教授
高津忠夫 東京大学医学部教授
館林 宣夫 厚生省環境衛生局長
曽田 長宗 公衆衛生院院長
中原之助 厚生省公衆衛生局長
永山 徳郎 九州大学医学部教授
七海  久 森永乳業株式会社専務取締役
楠本 正康 元厚生省環境衛生部長
久慈直太郎 愛育会母性保健部会会長
山田 尚達 北海道大学医学部教授
小林   彰 前東京都衛生局長
渥美 節夫 厚生省児童局長
荒川 雅男 東北大学医学部教授
斎藤 潔 前公衆衛生院院長
佐川 一郎 金沢大学医学部教授
桜井 芳人 日本乳業技術協会理事長
貴田 丈夫 熊本大学医学部教授
目黒 勝郎 東京都衛生局長
                                                               (以上27名)

『森永乳業五十年史』p.482  

3.事業
(1)各個研究奨励金
内訳
 
年度別  
学会別      研究機関名  氏名     
件数  金額(千円)
───────────────────────
昭和31年(1956年)
日本小児科学会  長崎大学    和泉 成之外    4   600
日本ビタミン学会 北里研究所   藤田 秋治  
1   100
(追  加)      国立衛生試験所 川城 崴    
1   100
計7   800
───────────────────────
昭和32年(1957年)
日本小児科学会  三井厚生病院  加藤英夫外   16  1,250
日本農芸化学会  九州大学    安藤則秀外   6   540
昭和日本畜産学会 茨城大学    久池井忠男外  3    330
日本ビタミン学会 名古屋大学   木村廉外    1    200
日本獣医学会   東京大学    越智 勇一外   1   160
計32  2,480
───────────────────────
昭和33年(1958年)
日本小児科学会  岡山大学    浜本 英次外  19   1,530
日本ビタミン学会 岩手大学    小柳達男外   2    350
日本獣医学会   都立衛生研究所 嶋田 幸治外   3    300
日本農芸化学会  京都大学    満田 久輝外   4    450
日本畜産学会   岐阜大学    長沢 太郎外   4    650
計37   3,280
───────────────────────
昭和34年(1959年)
日本小児科学会  慶応大学    糸賀 宣三外  21    1,665
日本ビタミン学会 京都大学    高田 亮平外   1     125
日本獣医学会   東京大学    越智 勇一外   4     300
日本農芸化学会  岡山大学    今村 経明外   5     425
日本畜産学会   東京大学    小山 進外    7     475
日本栄養食糧学会 山口医大    広畑 竜造    1      75
(追  加)     国立衛生試験所  川城 巌外    2     125
計46     3,190
───────────────────────
昭和35年(1960年)
日本小児科学会  信州大学    諸橋 健雄外   17   1,425
日本ビタミン学会 国立衛生試験所 小川俊太郎外   1    220
            大阪支所
日本獣医学会   長野県乳肉衛生課 佐藤  進外   4    275
日本農芸化学会  農林省農業技術研究所 檀原 宏外 4     450
日本畜産学会   三重大学    守本一雄外   5     450
日本家政学会           柏木網外    1     100
(追  加) 東京都母子衛生課           7     575
計45    3,495
───────────────────────
昭和36年(1961年)
日本小児科学会  徳島大学     宮尾 益英外  16    1,660
日本ビタミン学会 日本大学     森高 次郎外   2    320
日本獣医学会   東京農工大学   小川 益男外   5    340
日本農芸化学会  東北大学     中井 利孝外   2    240
日本畜産学会   岩手大学     兵庫 裕外   4     410
日本家政学会   大分大学     溝口ミツ外    2     150
(追  加)   東京都母子衛生課         1     200
計38    3,220
───────────────────────
昭和37年(1962年)
日本小児科学会  金沢大学     佐川 一郎外   22   2,160
日本ビタミン学会 東北大学     小柳 達男外    2   285
日本獣医学会   国立衛生試験所  宮沢 文雄外    6   350
日本農芸化学会  東京大学     堀口 雅昭外    4   450
日本畜産学会   信州大学     鴇田文三郎外    4   400
(追  加)    名古屋大学    宮川 正澄     1   150
計44   3,795
───────────────────────
昭和38年(1963年)
日本小児科学会  札幌医大     加藤 寿一外    23  2,000
日本ビタミン学会 慈恵医大     松田 誠外      1  100
日本獣医学会   名古屋大学    宮川 正澄外     5  350
日本農芸化学会  帯広畜産大学   根岸孝外      4  400
日本畜産学会   宇都宮大学    大武 田之外     5  350
日本家政学会   宮崎大学     秋山露子外     2  150
日本食品衛生学会 国立衛生試験所  川城 巖       1  50
計46 3,400
───────────────────────
昭和39年(1964年)
日本小児科学会  大阪大学     蒲生 逸夫外    17 1,840
日本獣医学会   日本獣医畜産   島崎 保家外     5  450
日本農芸化学会  島根大      北岡正三郎外    4  500
日本畜産学会   玉川学園大学   吉田 繁外      4  500
日本家政学会   神戸女子短大   藤原 輝子外     2  240
計37 3,530
───────────────────────
昭和40年(1965年)
日本小児科学会  京都府立大学   中村 恒男外    18 2,200
日本獣医学会   麻布獣医大学   久井 伸治外    4   500
日本畜産学会   弘前大学     斎藤 善一外    6  700
日本農芸化学会  広島大学     吉田 繁外     5  600
日本家政学会   宮城学園大学   後藤たへ外    1  100
日本食品衛生学会 国立予防衛生試験所 栗飯原景昭外   1  200
(追  加)    国立衛生試験所  鈴木 昭      1  200
計40  4,500
───────────────────────
昭和41年(1966年)
日本小児科学会  東京大学    大部芳朗外    15  2,250
日本畜産学会   茨城大学    本郷富士弥外    4  500
日本獣医学会   広島大学    橋本秀夫外     5  600
日本農芸学会   東北大学    伊藤敬敏外     5  600
日本家政学会   佐賀短期大学  飯盛和代      1  100
日本食品衛生学会 東京大学    慶田雅洋      1  100
日本ビタミン学会  ───       ───
日本栄養食糧学会 京都大学     川畑愛義      1  100
計36 4,250
───────────────────────
合 計
日本小児科学会   199 件    1,858 万円
日本畜産学会     56 件   476.5 万円
日本獣医学会     52 件   362.5 万円
日本農芸化学会    53 件   465.5 万円
日本家政学会     14 件    84 万円
日本食品衛生学会   4 件     35 万円
日本ビタミン学会   19 件    170 万円
日本栄養食糧学会    2 件    17.5 万円
(追  加)      14 件    135 万円
           計 413 件   3,604 万円

『森永乳業五十年史』p.483
原文は表組、一部数字等のずれはご容赦頂きたい


相変わらずの「開き直り」手法


 被害児圧殺の手法のほとんどを、自分から活字にして公開・自慢することをはばからない企業が森永乳業だ。
 ちなみにヒトラー式宣伝技術によると、「庶民はいつも細事に追われているから、大きな嘘には無防備で、すぐに信じてしまう」らしい。だから「嘘をつくときは大きな嘘をつけ」らしい。古今東西の詐欺師の手口でもある。 
 犯罪も開き直って自慢すれば、世間は思考停止になるだろう、とタカをくくったか? 実際、今では公益財団法人に昇格までして「森永奉仕会」は継続しているので、この宣伝方法は、効果があった。

この「財団」は、直ちに、解散されるべき


 昭和30年の大卒初任給は1万1000円だから、現在の大卒初任給約24万円の約21分の一。
 つまりこの時の実金額を21倍すると現在の貨幣価値の感覚になる。
 この森永の研究費ばらまき基金は、元手が3千万円(現在価値で約6億3千万円)から11年間で1億円(現在価値で約24億円)に膨らんだことになる。
 例えば、日本小児科学会は昭和31年から昭和41年までの11年間に1,858万円、現在価値で約3億9千万円を頂いたことになる。件数は199件で、その下にぶら下がる医者はものすごい数になる。森永の奴隷になるはずだ。
 後遺症に苦しむ乳児を封殺・放置して、小児科学会はいったい何を研究したのだろうか?
 森永乳業は、被害児の後遺症追跡も補償もせずに、ひたすら日本中の国公私立の大学医学部や行政機関、国立研究機関に資金をばらまいている。すでに、その下にぶら下がる多くの弟子たち一切が、森永に対してモノが言えぬ社会になっている。

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