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森永と電通ー悪魔の対談 その6 「ご家庭に健康を送って50年」「ヒューマニズムと人間味あふれる」企業って事で…

殺人企業、究極の二枚舌

 司会 それでは最後に、現在の中村広報部長に、森永乳業の今後の宣伝活動としてのビジョン(未来像)についてお願いします。

  乳業のパブリシティを再確認して

 中村 基本理念としてはいま藤本さんのおっしゃったことに尽きると思う。 われわれの売っている牛乳、乳製品の広告については、やはり森永ドライミルクにつちかわれた長い伝統がある。 広告の訴求対象としても、藤本さんは母親ということを念頭においてこられた。これは現在市場のセグメンテーションということが科学的に究明されてきておりまして、そういう観点からみても、牛乳、乳製品にゼニを出してお買いになるのは家庭のおかあさん方で、 やはりわれわれとしても今後の広告訴求対象というのは、母親を中心にした家庭の主婦ということで、ねらいをつけていきたい。 製品的には、最近コーラスとか、マミーとかアイスクリームとか、やはり子供の市場を意識しなければならないような製品も出てきておりますけれども、やはりわれわれの根本理念としては、ヒューマニズムにあふれた人間味のある広告、 それも科学に裏付けられた広告ということを考えなければならないと思います。
 それともうひとつ、いままで広告にタッチされた方々の時代からみますと、非常にマスコミの発達によって媒体関係が長足の進歩をとげている。 具体的に例をあげれば、今後のテレビは色を用いて、色彩的になってくるし、 通信衛星により世界がひとつに結ばれる。 媒体がますます高度に発達してくる。 われわれの広告手法としても、それに対応できるだけの知識をつけて媒体を駆使していきたい。 広告というのは、あくまでも販売のひとつの手段であるということを考えてやっていきたい。 これがひいては企業イメージのアップと、 社会への奉仕につながっていくんじゃないか。
 とくに、ことしは創業50周年です。 スローガンといたしましては、「ご家庭に健康をおくって50年」 ということが決まったので、この裏にある意味は、 結局50年を振り返るだけじゃなくて、これをわれわれの今後の跳躍台にしたいということです。われわれとしても乳業の発展は、ひいては社会国民のためにも非常に役立つことですから、この企業意識というものをもう一回、ここでかみしめていかねばならない。 積極的に社会のためになる、非常に責任も重い。 またやりがいのあることだと再確認したい。 いままで先人の築いた乳業会社の伝統を、あくまでも生かして、これをまた発展させていくようにやっていかなければならないと考えています。

『森永乳業五十年史』1967 p468


戦時宣伝の急先鋒・森永流プロパガンダ

 太平洋戦争中、戦時宣伝技術を軍部に指南していた、このような森永のプロパガンダ。国民を騙して戦争へ引きずり込んだ宣伝・煽動の技術を、自社の大量殺人の隠蔽に使う恐るべき感覚。こういう企業が磨きをかける宣伝技術は、次の悲劇をも引き寄せるだろう。
 事件発生後1年以内で131人の死亡乳児、いまやその数、少なくとも1763人※にのぼっている森永ヒ素ミルク中毒事件の死亡被害者の御霊は、天上から、この者たちと、加害企業への忖度集団と化した者たちをどう見ているだろうか。(2025年3月末現在/厚生労働省※1)
 この国の人々が、その意志に反して誘導される事態の到来を恐れる。  

 「森永と電通─悪魔の対談」はこれで終了するが、この社史『森永乳業五十年史』には悪魔が行列をなして登場する。しかも、それは今に続く系譜がある。次の「悪魔」は阪大小児科の権威・西沢義人教授の弁だ。リライトをしながら、引き続き掲載を続ける。

(※1 但し、正確な実態を反映しているかどうかは不明な数字である)

冒頭写真:事件発生の1955年の年末に岡山市中心部の商店街をデモ行進する被害者家族たち。
だが、翌年から、事件は封殺され、2年後には消し去られた。(岡崎哲夫『森永ミルク事件史』1957)
(森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 所蔵写真)

刑事裁判、差し戻し第一審判決公判が開かれた徳島地裁前の広場で(1973年‐S48‐11月)『森永砒素ミルク闘争二十年史』(「二十年史編集委員会(代表・岡崎哲夫、編集委員・能瀬英太郎)」発行:医事薬事新報社 発売:波書房1977年)


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