太陽みたいな人を、私は『推し』と呼ぶ。
第1弾で、“好き”という言葉について書きました。
恋愛の“好き”
友達への“好き”
家族への“好き”
そして、推しへの“好き”
どれも同じ“好き”という2文字で表現されるのに、私の中では全く違う感情でした。今回は、その中でも私にとって一番大きな存在である「推しへの好き」について書いてみたいと思います。
私には、推しがいます。アイドルの推しもいれば、神楽舞の推しもいます。
アイドルの推しは、デビュー前から知っているグループのメンバーです。グループ自体はデビュー前から知っていて、オーディションの頃から見ていました。でも、その頃はまだ“推し”ではありませんでした。ある曲のMVを見た時、ふと映った横顔が、とても綺麗でした。
綺麗なのに、どこか儚い。
その一瞬で目を奪われました。
神楽舞の推しも、いつでも主役を舞うような特別目立つ人ではありませんでした。派手な舞をするわけでもありません。でも、一つ一つの所作がとても丁寧でした。
面の魅せ方。指先の動き。足の運び。
細かいところまで本当に綺麗で、「もっと見たい」と思いました。気づけば、その人の舞を目で追うようになっていました。
アイドルも神楽も、きっかけは違います。でも、惹かれた理由には共通点があります。
それは、私にはないものを持っていたこと。
憧れであり、尊敬できる存在だったこと。
今思えば、私が綺麗だと思う人には共通点があります。それは、誰よりも目立つ人ではないことです。むしろ、一つ一つを丁寧に積み重ねている人です。
神楽を始めてからは、その理由が少し分かった気がします。舞台の上では派手な動きの方に目がいきやすいです。でも、本当に綺麗だと思う人は、面の角度や指先、目線、足の運びまで丁寧でした。一瞬で終わってしまう動きにも、その人らしさが表れています。
アイドルも同じでした。ダンスや歌だけじゃありません。一瞬見せる表情や、何気ない横顔に惹かれました。
私は昔から、そういう細かいところに目がいく人なんだと思います。
推しは、私にとって生きる理由であり、頑張る理由です。
仕事で嫌なことがあった日。
人間関係で落ち込んだ日。
何もかも投げ出したくなった日。
そんな日でも、「次のライブまで頑張ろう」と思えました。
また神楽を見に行こう。もっと上手く舞えるようになりたい。
そう思えるだけで、明日を迎える理由になっていました。
推しがいなかったら、今の私は少し違っていたと思います。推しがいる生活は、毎日何か特別なことがあるわけではありません。ライブがある日なんて1年のうちたった数日だし、神楽の公演も毎日あるわけではありません。それでも、「次に会える日」があるだけで、毎日を少し前向きに過ごせます。推しは、私の人生を代わりに生きてくれる存在ではありません。でも、私が自分の人生を歩き続ける理由をくれる存在です。それくらい、私の人生の中で大きな存在です。
昔は本気で、「推しがいない人は何を目標に頑張っているんだろう」と思っていたこともあります。今は、人それぞれ頑張る理由があることを知っています。
家族のため。
夢のため。
仕事のため。
友達のため。
人それぞれ違います。でも、私にとって、その場所には推しがいます。
だからといって、付き合いたいとは思いません。結婚したいとも思いません。
そんなに好きなら恋じゃないの?
そう聞かれたことは何度もあります。でも、私の答えは変わりません。
推しは、推し。
恋人とは全く違う存在です。
私にとって恋人は、横に並んで歩く存在なんだと思います。嬉しいことも、苦しいことも分かち合いながら、一緒に歩いていく存在です。
でも、推しは違います。推しは、私にとって太陽みたいな存在です。
明日も頑張ろう。
もう少しだけ強く生きよう。
そう思わせてくれる光です。太陽って不思議な存在だと思います。
手を伸ばしても届かない。でも、届かないことを寂しいとは思いません。そこにあるだけで安心します。朝になれば今日も昇ってきます。当たり前のように私たちを照らしてくれます。私にとって推しも、そんな存在です。
近づきたいとは思う。でも、届かないからこそ、その光は変わらず眩しいです。
だから、太陽を独り占めしたいとは思いません。その光に照らされながら、自分も少しずつ前へ進めたら、それで十分です。
もし、ありえない話だけど、付き合おうと言われたとしても、きっと断ると思います。
嬉しくないからではありません。恐れ多いと思ってしまうからです。それに、たとえ恋人になったとしても、私の中ではその人はずっと太陽のままです。横に並べるとは思いません。“恋人になったから対等になる”という感覚にはなりません。きっと、恋人になっても追いつこうと努力し続けると思います。それなら、その人は私にとって恋人ではなく、やっぱり“推し”なんだと思います。
推しに追いつきたい。
でも、それは恋人になりたいという意味ではありません。
その人の努力に憧れたなら、私も努力できる人でいたい。
その人の優しさに惹かれたなら、私も誰かに優しくできる人でいたい。
私は、推しを見て終わりにしたくありません。推しからもらったものを、自分の人生に返していきたいです。
そして、もうひとつ思うことがあります。私が「この人が推しです」と言ったとき、「こんな人に推されてかわいそう」そう思われるような自分ではいたくないです。推しが誇れるファンかどうかなんて、本当は分かりません。でも私は、推しを応援している自分を自分で誇れる人でいたいです。だから今日も、少しだけ頑張ろうと思えます。
そして、私の“好き”は、いつも同じ願いにたどり着きます。
幸せでいてほしい。
たくさん笑っていてほしい。
美味しいものをお腹いっぱい食べていてほしい。
好きな人たちと過ごしていてほしい。
アイドルは、たくさんの人に夢や希望を与える仕事です。だからこそ、自分の幸せを後回しにしてしまうこともあると思います。だから、誰よりも幸せでいてほしいと思います。
神楽舞の推しも同じです。
神楽を心から楽しんでほしい。
もし、いつか神楽を辞める日が来るとしても、それが本当にその人の幸せなら、応援したいと思っています。寂しいし悲しい気持ちはもちろんあると思います。きっとすぐに辞めるという事実を受け入れることはできないと思います。
それでも、最後に願うのは、その人の幸せです。
私にとって“好き”とは、自分の隣にいてほしいという気持ちではありません。その人がその人らしく笑って生きていてくれたら嬉しいです。
世界中の誰よりも幸せでいてほしい。
それが、私にとっての“好き”だから。
第1弾で、“好き”という2文字では足りないと書きました。第2弾を書き終えた今、改めて思います。
私にとって推しへの“好き”は
憧れであり、尊敬であり、生きる理由であり、「幸せでいてほしい」と願う気持ちでした。
やっぱり、“好き”という2文字だけでは、この感情は語りきれません。
でも、“好き”の形はまだ残っています。次は、友達への“好き”について書いてみようと思います。

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