大手小説サイトの読まれない小説に価値はあるのか――全然読まれていない作家が考えてみた【エッセイ】
こんにちは、白樺 ノアです。
先日、ずっと大切に育ててきた初めての物語を完結させ、カクヨム、noteという大海原へと送り出しました。
そこで真っ先にぶつかったのは、多くの初心者作家が経験するであろう「読まれない」という静かな壁です。
数字という冷徹な統計を前に、私は自分なりに、この「読まれない」という状態を分解して考えてみることにしました。
【大手小説サイトを彩る、煌びやかなフランチャイズ店】
現在の小説投稿サイトの主流は、いわゆる「なろう系」と呼ばれる異世界転生や悪役令嬢、あるいは劇的な逆転劇です。それらは日々立ち並んでは消えていく、大通りのフランチャイズ店によく似ています。
どこへ行っても、馴染みのある安心した味に出会える。 「この味なら間違いない」という、美味しさが担保された安心感。 もちろん、各店舗(作家)ごとに食材のこだわりや秘伝のソース(魅せ方)があり、読者はその中から「さらなる逸品」を探し求めています。
最初の数口で、どれだけ脳を揺さぶるドーパミンを出せるか。 そのスタートダッシュの速さが、多くの客層を掴むための絶対的な条件になっているように感じます。
【一方、私の物語は……】
私の書く物語を一言で表すなら、「静かなるファンタジー」です。 魔法使いの樹木医が、絶望した桜を救うためにただ静かに歩む。
今の市場が求める「即効性の高いドーパミン」とは、およそ対極に位置する物語です。文芸作品にしては少し軽く、ライトノベルにしては少し重い。その絶妙に、そして致命的に不安定な立ち位置。
いうなれば、煌びやかなファーストフード店のそのまた奥に、ひっそりと佇む古民家風のうどん屋。それが私の小説なのです。
【「需要がない」ことと「美味しくない」ことは、イコールではない】
さて、ここで一つの疑問が生まれます。 ファーストフード店の奥にある古民家風のうどん屋は、果たして「美味しくない」のでしょうか?
結論から言えば、「ハンバーガーを求めている人が多い」ことは、「うどんが美味しくない」理由にはならないということです。
うどんを求めていない人がほとんどの世界で、路地の奥にある入り口を見つけてもらうのは、至難の業です。
誰にも気づかれず、一日中暖簾を揺らしているだけの日の方が多いかもしれません。
けれど、街角に貼られた一枚のチラシ(あらすじや更新履歴)を見て、わざわざ足を運んでくれたお客様は、流行りの味ではなく「その一杯のうどん」を求めてきてくれた方なのだと思います。
【結びに:万に一つ、あなたに届く一杯を】
「読まれない」という数字だけを見れば、私の小説には市場価値があるとはいえないのかもしれません。 けれど、刺激的な味ではないゆったりとすする一杯のうどん、そのお供にあるちょっとしたお酒を楽しむような空気があの古民家のうどん屋の中には流れていると信じています。
たとえ万人に好まれる「流行の味」ではなくても、その一杯をすすった瞬間に、ふっと心がゆるむような。日常の中にあるのに、どこか非日常的で鮮やかな魔法を自身の作品に込めたつもりです。
もし、あなたが自分のうどん作りに自信がなくなっても、多くの人がファーストフードを求めていても、それはあなた自身の世界に価値がないということでは決してないのです。
そしてファーストフード店のおいしさに少し慣れてきたなと感じたら、ぜひあなただけの名店という名の一冊を探してみませんか?
私はいつでも、一番美味しい状態で「うどん」を茹でて待っています。
