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【創作ミステリー】スノードームの祈り⑭雪の音色

創作ミステリーの続きです。コンサートが終わり、事件は終幕を迎えます。そしてその最後には、思いもよらない事実も待っていました。ラスト前の一話、どうぞお楽しみください。

前回→⑬白峯あかり:弾く手
次回→⑮エピローグ


雪の音色

 ——開演10分前。

 心臓のリズムが徐々に早まり、舞台袖に控えていた私は、胸に抱いた楽譜をギュッと握りしめていた。
 ……石黒さんが夢見ていた舞台が、もうすぐ幕を開ける。
 客席は半分程度が空いていて、埋まりは良くない。やっぱり身の丈に合っていなかったんだと幻滅しながらも、それでも私の演奏のためにお金を払い、この場に集まってくれた人がいるのだと思うと、重く沈んだ胸の底が、少しだけ軽くなる気がした。


 聴いてくれる人のために、心を込めて弾きたい。

 そしてなにより——私が殺めてしまった石黒さんに、私のピアノを捧げたい。


 私ができる彼への手向けは、この方法が最善なのだと思う。
 彼が私のピアノを愛してくれていたのは、本当だったから。

 私のせいで死んでしまった彼が、本当にそれを望んでいるのかはわからないけれど——

 それでも私は、彼のために、最後のピアノを弾きたかった。



 ——石黒さん。

 どうか、見ていてください。

 このコンサートは、私からあなたへの、償いの葬送です。

 私にできる——たったひとつの、「さよなら」です。




 ——開演のアナウンスが始まった。

 落ち着いた男性の声がマイクを通り、コンサートの開幕が告げられる。

 まばらな拍手が鳴る。ホールの照明が落ち、ステージには、一筋のスポットライトが灯る。
 丸い、月のような光の輪。
 その光の中心を目指し、私は歩み出す。


 最初で、最後のコンサート。

 いつか私が夢見た舞台。

 彼が願い続けた舞台。

 一度は交わったふたりの夢を——私は、最高の演奏で叶えたい。



 ピアノシューズのヒールが、ステージを鳴らす。

 淡いブルーのスカートが揺れる。

 辿り着いたスポットライトの下で、まばゆい光を浴び——彼が選んだシルクのドレスと、散りばめられたラインストーンは、星のように瞬き煌めく。


 ——拍手が、少しだけ強くなった。
 そう大きくはないホールを見渡し、私は深々と頭を下げた。

 私の演奏を求め、応援し、愛してくれた、すべての人へ。

 精一杯の、感謝と謝罪を込めて——。



 ゆっくりとピアノの前に移動し、長い間人生を共にしてきた友人と向かい合う。
 楽譜を置いて広げると、そこからは、私とピアノの語らいの時間だ。

 寂しい音。
 あたたかな調べ。
 激しい音色に、切なさを込めた曲。

 ——ピアノは語る。  

 喜びも、後悔も、まだ言葉にならないものさえ。

 私の奥底に眠っていたすべてが、鍵盤に触れた瞬間、音へと姿を変えていく。


 ——私は、時間を忘れていた。

 時間だけじゃない。

 私が、何をしたのか。

 今ここがどこで、どれだけの人がいて、どう見られているのか。

 自分が自分であること以外のすべてを忘れ、私はピアノを奏で続けた。


 指が走る。

 リズムを刻む。

 調べを紡ぐ。


 そうして気がつけば、セットリストのほとんどが終わっていて、次は最後の曲というところまで時間は過ぎていた。


 最後の曲は、私が石黒さんを想って作った曲だ。

 『雪の音色』。

 彼が最高傑作だと愛した曲が、このコンサートに幕を引く。


 私は深く、深く呼吸をした。

 瞼を閉じ、天を仰ぐように顔を上げ、これまでの人生を思い巡らせた。


 ——浮かぶのは、ひとりぼっちの記憶ばかり。


 だけど私には、いつだって応援してくれるおじいちゃんとおばあちゃんがいた。

 ピアノに出会わせてくれた、担任の先生がいた。

 ここまでピアノを上達させてくれた、先生がいた。

 それだけじゃない。
 図書館の同僚や館長、楽器屋の店長さん。
 石黒さんに——晴真さん。

 私にとって薄い繋がりでしかなかった両親や、学生時代の友人知人——

 そのすべてが、私の人生を作り上げていた。



 ——本当は、ひとりぼっちなんかじゃなかった。



 私はそれに、ずっと気がつけなかった。



 だけど、今だけは。
 ひとりきりで、ただピアノを弾こう。
 私だけの音を、全身全霊で捧げよう。


 私のピアノを愛してくれた石黒さんに。

 私のすべてを愛してくれた晴真さんに。

 私を見ていてくれるみんなに。


 この想いを——届けるために。



 そっと、鍵盤の上に指を乗せた。
 一音目を奏でる前、鍵盤と触れた指先が緊張する。
 深く吸った息で胸を満たして、吐いて。
 ペダルを踏み込むと、空気がわずかに震えた気がした。


 ——ポーン。


 雪の結晶がひとかけら、舞い落ちるように。

 弦と私の心が、最初の音に震える。

 冬の静けさの中——私の「雪」が、降り始める。



 世界のすべてが、音になって。


 そうして——雪の音色は、終わる。




 私とピアノに、終わりがやってくる。

 席を立ってステージの真ん中に歩み出ると、私は背筋を伸ばし、しっかりと頭を下げた。


 拍手が鳴る。
 その大きさは、少ない観客の数からは想像できないほどに盛大なものだった。
 顔を上げて見れば、みんなが一生懸命に手を叩いていた。
 後ろの方の席では、聴取に来た刑事さん——南雲さんと夏目さんが、穏やかに微笑んで拍手をしてくれている。
 そして舞台袖や、ホールに控えたスタッフさんも……みんなが拍手をしながら、私を笑顔で見ていた。


 ——ああ。

 私、夢を叶えたんだ。

 ひとりでいたくないって、誰かといたいって。

 ずっとずっと願ってきた、小さな頃からの夢を——今、私は。



 とめどない想いが湧き上がり、私は涙をこぼした。その涙を自分の手で拭いながら、私はもう一度礼をして、舞台袖に帰っていった。


 ——コンサートが、幕を閉じる。

 私の人生の一幕も、ここで終わろうとしている。

 自らの罪を語ることで、その幕を、自らの手で下ろすのだ。

 胸の奥に灯っていた熱が、静かに冷えていく。
終演の余韻とともに、心のなかに空白が生まれる。

 その空白に忍び込むのは——非難、叱責、嘲笑、孤独。

 ……真実を晒せば、どうなるのか。
 暗い未来が、足元から這い寄ってくる。
 自分から罪を打ち明けることが、こんなにも怖いなんて知らなかった。
 想像するだけで、心が砕けそうになる。


 ——それでも私は、進まなければならない。


 この血の流れない痛みこそが、私の罰だから。

 消えない罪。
 終わらない悔い。

 ——命を奪った者として、私が背負うべき、たったひとつの責任だから。



 ……止まっていた足に、再び力を込める。

 拍手に包まれた舞台を背にして。

 光を落としたホールを渡り。

 私はただひとり、前に進んでいく。



 私を待つ——裁きの元へと。



***


 拍手は鳴り止まなかった。

 魂のこもったすべての演奏が終わり、観客はその熱の余韻に浸ったまま、惜しみない賛辞をいつまでも送り続けていた。

 俺と夏目もまた、彼女の去った舞台を見つめながら、最高の演奏に拍手を送っている。

 だがいくら讃えても、彼女は舞台に戻っては来なかった。
 アンコールに応えることなく無情に幕は下ろされ、観客はやがて、彼女の決断を受け入れ席を立った。

「……アンコールは、ないんですね」

 拍手を止めた夏目が、未だステージの上を見つめながら、どこか寂しげにつぶやいた。それに倣うように、俺もまたステージへと視線を重ねる。

「ここで終わりにすると、最初から決めていたんだろうな」

 主役の去った舞台の明かりが、ふっと消え去った。
 ステージの上に残されたのは、さっきまで白峯が魂を預けていたグランドピアノ、ただひとつ。
 光を失い、闇に包まれ、それでもなお——熱はまだ、そこにあり続けた。



 ——心が、震えていた。

 言葉にならない衝動が、胸の奥を揺らしていた。

 古びて錆びついた感性が、呻き声をあげるように。

 閉ざしていた扉が、こじ開けられるように。

 鈍く、けれど確かに。
 心は強く、振動していた。


 ピアノの向こう側。
 ガラス越しに見える、中庭に目を向ける。
 ライトアップされて輝くツリーは、まるで墓標だ。石黒が命を落とした小さな雪山のそばで煌めき、途切れたひとりの男の人生を、無言で称えている。

 狭く、時が止まったような丸い世界の中に、雪は静かに降り続けている。


 それがまるで、スノードームのようで。


 その光景に——公子の顔が、鮮明に浮かぶ。



 『……綺麗だなぁ』


 雪の舞うスノードームを見つめ、うっとりとしていたあの横顔。
 無邪気で、純粋で、大切だったあの笑顔。

 かけがえのない思い出が、俺の罪を呼び起こし——胸を穿つ。


「……ボスが指示したんですよね」
 懐古に捉われていた俺の側から声が聞こえ、意識が今に引き戻される。
 「……あ?」と惚けたように応えれば、夏目は遺体発見現場である雪山に視線を向けながら、俺に問いかけてくる。
「現場のことです。保全を解いて片付けるように言ったのは、ボスですよね」
 確信を持ったように言って。夏目は、おもむろに俺の方へと瞳を託す。
 ——事件が起きてからずっと、雪山にはカラーコーンが置かれ、テープが張られ、ブルーシートがかけられていた。
 だが今はもう、その物々しさはない。熊井と牛田に頼み、保全のための物はすべてコンサート前に撤去させた。
 ——事件は解決したと、そう告げて。
「……せっかくのコンサートに、風情を邪魔するようなモンがあったら台無しだろ。俺ら警察も、そこら辺は空気を読まないと」
「普段はものぐさなのに、そういうところは配慮がありますよね」
「えっ、それ褒めてないよな?」
「褒めてますよ。……ボスらしいなと」
 ふっと、眉を下げ。夏目の精悍な表情が、優しく穏やかに和らいだ。
 その言葉のあたたかさと柔らかさに調子が狂い、俺は思わずそっぽを向く。
「……まぁ、無駄に歳取ってないからな。これくらいは年の功ってやつだ」
 言い払い、席を立つ。夏目もそれに合わせ、襟を正しながら腰を上げる。
「ホールの外で白峯を待ちましょうか」
「ああ」
 すでに観客のいないホールを、俺たちは後にする。最後の客である俺たちはスタッフに見送られ、扉からホール前の待合スペースへと場所を変える。

 まもなく、ここに白峯がやってくるだろう。

 俺と夏目はガラス張りの壁際に肩を並べると、ホテルの外に広がるどこまでも続く雪景色を見つめながら、彼女が現れるその時を待った。


 北海道の冬は、まだ終わらない。
 けれど、どれだけ長い冬にも終わりは訪れる。 
 春が来て、夏が来て。
 その季節の巡りの先に——新しい道は、必ず待っている。


「……お待たせしました」


 背後から、穏やかな声が聞こえた。
 振り返れば、そこにいたのは白峯あかりだった。
 コンサートを終えたばかりのドレス姿は艶やかで、外庭で話していた彼女の慎ましさとは印象が一変していた。

 姿格好のせいだけじゃない。
 まるで、憑き物が落ちたような——そんな、晴れやかな表情のせいでもある。

「……お待ちしてました」

 顔を綻ばせ、彼女を歓迎する。
 彼女は俺と夏目の前に歩み寄り、交互に視線を交わした。
 ほんの少しだけ、呼吸を整えて。
 自分の決意を確かめるように瞳を伏せ、そっと息を吐く。
 そして両手を握りしめ、迷いを断ち切るように口を開いた。

「私が、石黒さんを殺しました。……彼を突き飛ばして、死なせてしまいました」

 強い意志のこもった、静かな言葉で。

「…………殺すつもりなんて、なかったんです。ただ……怖くて。逃げたくて……それで、思わず……。でも、私が突き飛ばしたことで、彼は、足を滑らせて——」

 だけどすぐに、喉を詰まらせて。
 込み上げる涙を許さぬように瞼を強く閉じ、白峰は、もう一度懸命に言葉を紡ぐ。

「……でも、どんなつもりであったとしても……彼が私のせいで死んだのは事実です。……本当に……申し訳ないことをしました」

 謝罪と共に、深く頭を下げる。
 その頭は、いつまでも上がらない。
 俺はそんな彼女を受け入れるように、そっと許しを差し出した。

「……自首の決断、ありがとうございます。こうして自ら名乗り出ていただけるのは、我々としても助かります」

 白峯がようやく顔を上げる。
 罪悪感に張り詰めた表情が、俺たちを窺うように縋ってくる。

「お話はまず、富良野警察署で伺います。その後は道警に移送し、詳しい取調べを行わせてもらいます」
「ちょっとの間不自由な思いをするかもしれませんが、付き合ってもらえますかね。あ、晩飯まだなら用意しますよ。セーコマのカツ丼。取調べには欠かせないでしょう?」
 事務的でお堅い夏目を退けるように、俺は軽やかな口調で繋いでみせる。
 重い空気を跳ね除け、おどけたノリで誘いかければ、彼女はきょとんとした顔をして……ようやく、頬と唇をわずかに緩めた。
 くすりとこぼれた小さな声に、つやめく黒髪が揺れる。
「取調べにカツ丼って、ドラマだけの話だと思ってました」
「それは正しいですよ、実際。警察ってのは気の利かないところでしてね。お茶のひとつも出てこないんですよ。だから、カツ丼は俺のおごりです。……素晴らしい演奏を聴かせてもらった、せめてものお礼に」
 白峯の瞳が、驚きに見開かれる。いつもならすかさず肘鉄を入れてきそうな夏目も、同じ思いでいるのか、黙って聞いている。
「……ありがとうございます。私の最後のピアノを、聴いていただいて」
 万感の感謝に微笑み、白峰は涙を滲ませる。
 その答えに夏目はサッと驚きを浮かべ、とっさに口を開いた。
「最後?ピアノはもう弾かないんですか?」
 珍しく感情的な問いかけは、夏目もまた、彼女の演奏に心を動かされたひとりだからだろう。
 白峰が、首を縦に振る。その瞬間、ドレスのラインストーンが、名残り惜しむようにきらりと輝いた。
「……本当は、今日で石黒さんとピアノを卒業しようと思ってたんです。私が、私の人生を選ぶために。……晴真さんと、この先の人生を一緒に生きていくために」
 今ここにはいない、想い人を思い描いて。
 決意を語る表情は、愛に満ちて美しかった。
「結城さんは今日、来ていないんですね」
「これは私のケジメだったので。どうしても……ひとりでやり終えたくて」
 華奢な姿からは想像もつかないほどに、彼女の意志は強かった。
 動画に映っていた彼女は、どこか自信に欠いて頼りなげだったのに。たったひとつの恋が、彼女をここまで強くしたのだろうか。
「でも結果、呼ばなくて正解でした。私が捕まるところを、彼に見せずに済みましたから」
 自虐的に笑い、けれど後悔を滲ませ、彼女は一歩前に進む。
 ——そこに、夏目の端末の着信音が鳴り響いた。
「はい、夏目です。……そうですか、承知しました。——ボス。熊井刑事からです。護送の迎えのためこちらに向かっているそうですが、雪道でもう少し時間がかかるそうです」
 端末を耳元から離し、ひっそりと報告された内容に、俺は「んー」と短く考え込む。
「じゃあ、護送車キャンセルって言っといて」
「え?」
「俺たちの車で連れて行こう。どうせ俺たちで聴取するんだから、その方が手っ取り早いだろ?」
「それは……そうですけど」
 本来、犯人の移動は護送車を使う。その決まりを破るような俺の提案に、夏目が判断を迷わせる。
 だが俺は、その案を強行しようと白峯に同意を求める。
「白峯さんもそれでいいですかね?むさくるしい車内での道中になりますけど、いかにも捕まりました、みたいな護送車よりも、多少は落ち着くと思いますよ」
 それは、罪を認める彼女への敬意だ。少しでも彼女を苛むものを取り除けたらという、俺からのささやかな気持ちだ。
 それが通じたのか通じてないのか——どちらにせよ、白峯は俺の提案を受け入れた。
「……刑事さんが、そう言ってくださるなら」
「ならそうしましょう。陸、頼んだ」
「……わかりました。引き返していただくよう伝えます。熊井刑事と牛田刑事には、あとでボスから謝ってくださいね」
「はいはい」
 夏目は電話越しに用件と謝罪を伝えると、通話を切り、懐に端末をしまい込む。
 それを見届け、白峯は、俺たちにそっと両手を差し出した。

 ——手錠をかけろ、ということだろう。

「手錠はかけませんよ。白峯さんには必要ないでしょう?」
「そう……なんですか?」
「あれは逃げたり暴れたりするヤツをとっ捕まえるモノなんで。そういうこと、白峯さんはしないでしょう?」
「……はい」
「なら、このままで。……署まで、ご同行願えますか?」
 白峯は静かに、けれどたしかに、強く頷いた。
 夏目が付き添うように隣に並び、先を促す。


 彼女が、長い贖罪への道へと踏み出した。

 ——その時だった。


 俺と夏目の端末が、同時にメールの着信音を鳴らした。
 閃くような予感に弾かれ、俺は素早くメールの内容を確認する。


 そこに書かれていたのは——


「……白峯さん」
「はい」
「ひとつだけ、あなたにお伝えしたいことがあります」
「……なんでしょうか?」
「石黒さんが、宿泊していた部屋でスノードームを手作りしていたのを知っていますか?」
「……?いえ、知りません」
「そうですか。……実はですね、石黒さんの部屋で、奇妙なスノードームを見つけたんですよ。あなたがもらったスノードームと同じものなんですが、ひとつだけ既製品ではなく、手作り用キットで発注していたようでして」
「……それが、どうかしたんですか?」
「……今、その手作りスノードームの鑑識結果の速報が届きました。スノードームの中身の水から毒物が検出され、内蔵されたオルゴールが鳴り終わると、スノードームに開けられた穴から毒が揮発し、毒ガスになるという細工がしてありました」
「……え?」
「石黒は、このスノードームを贈り物として用意していました。その送り先の相手は——結城晴真さんです」
「…………石黒さんが……晴真さんに……?」

 瞳が、溢れるほどに見開かれる。
 突如顔を出した真実は、白峯にとって衝撃的な事実だった。
 言葉を失くし、瞬きも忘れ——彼女は、自分が救ったものの大きさを甘受できずにいる。

「白峯さん。あなたは確かに石黒さんを殺めてしまったかもしれない。しかし——そのおかげで、たしかに救われた命があります」

 その因果を知り——白峯は、嗚咽にも似た、声にならない声を漏らす。

「……私は……晴真さんを、守ったんですね」
「はい」
「……それなら……私の過ちにも、少しだけ意味があったんだって……そう思っても、いいのでしょうか」
「……思ってください。それであなたの苦しみが、少しでも和らぐなら」

 彼女の瞳に、涙があふれていた。
 それがどんな想いの涙なのか——俺たちにも、そして彼女自身にも、きっとわかりはしなかった。


 だがそれはきっと、ひとつの救いの形だ。


 凍った想いが溶け出し、雪解けが訪れるように。

 閉塞をもたらしていた器が割れ、解放されるように。


 彼女の冬は——終わりを告げる。


「……さぁ、行きましょう」


 導けば、彼女は今度こそ自らの足で歩き出す。


 涙を流したその後で。


 孤独と手を取り合い。


 長い長い、贖いの旅路へと——。



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