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病気を治すのは自然。20年前、ロンドンで見たナイチンゲールの環境論

ワンフロアに、たくさんのベッドが並んでいた。

患者さんの頭は壁側、足は中央の通路側。
ベッドとベッドの間を仕切るのは、カーテンだった。

約20年前、看護学生だった私は、海外研修でイギリス・ロンドンのセント・トーマス病院を訪れた。

そこで見た病室の光景を、今でもよく覚えている。

教科書の中の人物に会いに行く


学生時代、私たちはナイチンゲールについて学んだ。

近代看護の祖。
クリミアの天使。
看護師だけでなく、統計学者、衛生改革者、病院建築にも影響を与えた人物。

しかし、その頃の私にとって、ナイチンゲールはまだ「教科書の中の偉人」だった。

セント・トーマス病院の敷地内には、ナイチンゲール博物館がある。

そこで彼女が残した記録や資料を見た。

ナイチンゲールのお墓にも足を運んだ。

ホラー映画に出てきそうな感じだったな😨

自分たち看護師の原点ともいえる人物が、実際に生き、考え、行動していた場所に立つ。

教科書の中の文字だったナイチンゲールを、初めて肌で感じた瞬間だった。

1000床規模の巨大病院


セント・トーマス病院は、とにかく大きかった。

当時、1000床規模の病院だと説明を受けた記憶がある。

学生だった私は、その規模に圧倒された。

研修では、ナイチンゲールの思想が反映された病棟も見学した。

長い大部屋の両側にベッドが並び、患者さんの足が中央を向いている。

部屋全体を見渡しやすく、光や空気が通るように考えられた、いわゆる「ナイチンゲール病棟」の形だった。

当時はICUとして使われている区画があり、展示物ではなく、実際に患者さんが入院していた。

歴史的な病室が、過去の遺産として保存されているのではない。

その時代の医療現場で、今も使われている。

そのことに驚いた。

案内してくださった現地の師長さんのような方は、

「ここも、いずれ改修される」

と話していた。

私が見たあの病室は、もう残っていないかもしれない。

※イメージ画像です。


「病気を治すのは自然」


ナイチンゲールの看護の根底には、環境論がある。

学生の頃、私はこう学んだ。

病気を治すのは自然である。

ここでいう自然とは、何もせずに放置するという意味ではない。

人間が本来持っている生命力や回復する力のことだ。

看護師が病気を直接治すのではない。

患者さんの回復する力が十分に働けるように、環境を整える。

新鮮な空気。
光。
清潔。
適切な温度。
静けさ。
食事。
安楽な姿勢。

患者さんを消耗させるものを減らし、回復を妨げるものを取り除く。

それが、ナイチンゲールの考えた看護だった。

環境とは、掃除や換気だけではない

環境論というと、換気や清潔を思い浮かべる人が多いかもしれない。

しかし、現代の臨床に置き換えると、環境はもっと広い。

夜間の不要な照明や物音を減らし、患者さんの睡眠を守る。

痛みを和らげ、苦痛の少ない姿勢を整える。

眼鏡や補聴器を使用できるようにする。

時計やカレンダーを見える位置に置き、見当識を保つ。

必要のないラインや抑制を減らす。

食事を摂りやすい姿勢にし、口腔内を整える。

患者さんの目線に立って、安心して療養できる環境をつくる。

病室だけではない。

医療機器、病棟のルール、スタッフの声、処置の時間、人間関係。

患者さんを取り巻くものは、すべて看護の対象になる。

20年前の天吊りテレビ


もう一つ、強く印象に残っているものがある。

天井から吊り下げられたテレビだ。

患者さんはベッドに横になったまま、無理のない姿勢でテレビを見ていた。

今から約20年前のことである。

ベッド周囲はすっきりしていた。

患者さんの視線や姿勢、過ごしやすさまで考えられているように感じた。

私はその光景を見て、

日本は遅れているな

と思った。

それから20年ほどたった。

医療機器は進歩し、電子カルテも普及した。

それでも、私が経験してきた日本の病院では、天吊りテレビを見かけることはほとんどない。

もちろん、天吊りテレビがあるだけで、良い看護になるわけではない。

大切なのは、その設備があるかどうかではなく、

患者さんが苦痛の少ない姿勢で、自分らしく療養生活を送れるように考えられているか

ということだ。

あのテレビも、ナイチンゲールの環境論の延長線上にあったのかもしれない。

看護は、回復できる場所をつくること


看護師として働いていると、処置、観察、記録、入退院対応などに追われる。

目の前の業務を終えることに精いっぱいになる日もある。

しかし、ナイチンゲールの環境論に立ち返ると、看護の見え方が少し変わる。

この照明は患者さんの眠りを妨げていないか。

このアラーム音は本当に必要か。

このベッドの位置で安心して過ごせるか。

この説明で不安は軽くなったか。

この病棟のルールは、職員の都合だけになっていないか。

患者さんの回復する力を奪っているものはないか。

看護とは、特別な技術だけではない。

患者さんが回復できる場所をつくることも、看護である。

20年たっても残るもの


セント・トーマス病院を訪れてから、約20年がたった。

巨大な病院。

中央に足を向けて並ぶベッド。

カーテンで仕切られた病室。

天井から吊り下げられたテレビ。

ナイチンゲール博物館。

そして、ナイチンゲールのお墓。

風景は少しずつ変わっているかもしれない。

それでも、あの場所で感じたものは、自分の中に残っている。

病気を治すのは自然。
看護は、その自然が働きやすい環境を整える。

学生時代の海外研修は、ナイチンゲールの環境論を、教科書ではなく臨床の風景として学んだ経験だった。

ただし、一つだけ忘れられないことがある。

イギリスのご飯は、あまり美味しくなかった。

それも含めて、忘れられない研修である。

おわりに――たまには、まじめに勉強を


今回、このnoteを書くにあたり、久しぶりに初心にかえることができた。

患者さんから、

「ありがとう。なんか悪いねぇ」

と言われることがある。

そんなとき、僕にはいつも決まって返す言葉がある。

「『悪いねぇ』なんて思わなくて大丈夫ですよ。僕たちは、お金をいただいてこの仕事をしていますから。気になさらないでください。」

家族やボランティアの方々のように、無償でしているわけではない。
看護師として、責任を持って行う仕事である。

だから患者さんには、遠慮したり、申し訳なく思ったりしてほしくない。

必要なときには遠慮せずに頼ってほしい。
それに応えるために、僕たちはここにいる。

もちろん、患者さんからの「ありがとう」はうれしい。
しかし、「してもらって申し訳ない」は、無償でされている家族やボランティアの方々の方が上位だと日々思っている。我々は、そんな方々には到底敵わない。何より家族にはなれない。患者さんにとって、そんな存在に近づくのが看護とも言える。

患者さんの回復を妨げるものを取り除き、その人が少しでも安心して療養できる環境を整える。

それが僕たちの仕事であり、ナイチンゲールが看護を一つの専門職として築き上げてくれたからこそ、今の自分たちがある。

僕のこの考え方も、学生時代に学んだナイチンゲールの功績を、自分なりにリスペクトし、受け継いできた証だと自負している。

日々の業務に追われていると、看護の原点について、ゆっくり考える機会は少なくなる。

だから、たまにはまじめに勉強するのも悪くない。

20年前、セント・トーマス病院で肌に感じた貴重な経験である、ナイチンゲールの思想は、今も自分の看護の中に生きている。

最後に行かせてくれた両親に感謝。
ナイチンゲールマニアな先生、学校に感謝。

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