ライオンハートを君に 第5話
第5話 ギャラクシアン
大海原の上に、重たそうな雲がもくもくと、煙みたいに広がっていた。予報では今日、午後から雨が降るらしい。そんな空を、展望台の柵に肘をかけて見上げていた。偽物の願い泥棒がユウキを襲った後も、私はここに何度か足を運んでいた。
昔、恋人たちの聖地だった展望台は、愛が奪われたこんなご時世では、人気がないらしく、さらに願い泥棒の物騒な噂もあって、誰かと会うことはなかった。女神像も心なしか暗い顔な気がして、私は申し訳なく思う。私の力は、こんなところにまで影響を及ぼしているのだ。
眼下に広がる港町”ダックスラバー”は、この一ヶ月で見違えるような変化を遂げた。治安が悪くて、国との争いが絶えなかった町は、今では完全にレジスタンスのものとなっていた。
大悪党“願い泥棒”が国へ宣戦布告したという噂は、瞬く間に国中を駆け巡り、大騒ぎとなったのだ。しかも、多くの噂には、尾びれがこれでもかとついていて「大量快楽殺人鬼」だの「女子供を人質にとって好き勝手やった」だの言いたい放題だった。
極めつけは私が「願い泥棒にぞっこんの愛人」だなんてやつもあった。誰があんなやつにぞっこんだ!
それはともかく、多くの国民は恐怖して、政府の施設の近くに住んでいる奴らは引っ越せ、逃げろと大慌ての最中らしい。しかし、国に恨みをもつレジスタンスたちは違った。救世主が現れたと、彼こそがメシアだと、革命の狼煙があがったと、ヨヒナのいるこの町を目指し、全国から集結したのだ。
そして、先の戦いで壊滅状態だった政府軍は撤退を強いられ、ダックスラバーはレジスタンスたちに占拠されたのだ。軍がいなくなったことで、一時的に争いはなくなった。政府にしても、英雄コウ・ハートフィールドの力を奪われたことで、簡単には手を出せなくなっているらしい。
あれから一ヶ月、少しずつ士気が高まっていくこの町は、まるで呼吸をしているようで、脈が早まっていくようで、私はそれが怖かった。まとまっていく集団に、私はやっぱり溶け込めなくて、どうしていいかわからなくて、何もできなくなってしまう。
だけど、静かに海を眺めていると、少しだけ心が落ち着くのだった。ここからだと、波の音はずっと小さくて、木々や鳥の囀り、風の音に負けてしまっているけど、弾ける白波は迫力があって、その不釣り合いな感じが、私は気に入っていた。皆違っていいと、バラバラでいいと、自然そのものが言ってくれている気がした。
子供の頃、誰かに「リップは諦めるのが早い」と言われたことがある。当時の私は、それはもう怒って、でも喧嘩なんかできないから、とにかく泣いて大声で喚きちらした。
そのときお母さんは、私をぎゅっと抱きしめて「違うよね。リップは諦めてるんじゃなくて、切り替えてるんだよね」と言って落ち着かせてくれたけど、今になって思うことがある。もしかするとそれは、図星だったのかもしれないと。だから、鬼のように怒ったんじゃないかと。
一番年下だったせいもあるだろうけど、私は自分より上手にできるひとがいるなら、自分は他の事をしようって、無意識に選択してしまっていた気がする。かけっこにしても、勉強にしても、子供の頃なら、多少の優劣は当たり前なのだろうけど、それすら私は嫌だったのだ。子供の頃でさえ、そんな有様だったのだから、今このモヤモヤとした気持ちも、そういうことなんだろう。
「はい。アウト」と後ろから肩を掴まれても、もう驚いたりしない。
振り向きもしないで、私は言った。
「良かったわね。捕まえられて」
「何拗ねてんだよ」とヨヒナは隣にもたれかかった。肘を柵にかけて、空を見上げる横顔は、絵にしたいぐらい、景色が似合っていた。これでタバコなんか銜えたらダンディとかなんとか言って女どもが騒ぎ立てるのだろう。
「別に拗ねてなんかないわよ。ただ……」
「ただ?」
「私があんたから、逃げきれる訳ないじゃない」
風が、私の髪を巻き上げて、ヨヒナとの間に壁を作った。ヨヒナはどんな顔をしているのだろう。私だったら目を吊り上げて怒ってる。
「訓練始めて一ヶ月。疲れるし、不安にもなるころか」とヨヒナが言った。
風が収まって、ちらりと隣を見たら、ヨヒナの顔は穏やかだった。
「なぁリップ。前にも言ったけどよ。俺たち“ギャラクシアン”の力ってのは、想いの強さに比例するんだ」
明るい瞳が、私に向いた。とたんに、私の胸は鼓動を早める。
「大丈夫だリップ。お前には才能がある。俺が保証する」
「ずるい」
「何が?」
「別に」
まったく。そんな風に言われたら、やるしかないじゃない。しかもこいつの場合、無自覚で言っているからたちが悪い。
「じゃあまた五分な」とヨヒナが歩き出した。
「厳しくない?」と背中に呼びかける。
「敵は五分も待ってくれない」
ヨヒナの姿が見えなくなると、私はふぅっと息を吐いて、ポケットから一枚のトランプを取り出した。ハートのエース。透明人間の能力。ヨヒナが私にくれた力だった。まぁ元はヨヒナが誰かから奪った力なのだけれど、今はこれに頼るしかない。
「ときめけ。スティールハート」
言い終わると同時にトランプが光って、手の中から消えた。これで、私の身体は周りから見えなくなるらしい。とは言っても、私には自分の身体も服も見えているから、本当に見えていないのかは、誰かがいないとわからない。
だけど街中で、生意気そうな奴を思い切り蹴とばしても、追いかけられなかったから、効果は本物のようだった。私は五分。ここに留まることにした。ああ見えて、ヨヒナは優しい。そして私が人混みを嫌いなことも知っている。
だから次は、弱音を吐いた私に自信をつけさせるために、しばらく街の方なんかうろうろして、最後に海の方に行くのではないかと思うのだ。実際次は海に行こうと考えていたし、ヨヒナはそれを読んでくる。その裏をかいてやるのだ。うん。我ながらいい作戦。
一時間は堅いわね。そんなことを考えていると、もう肩を叩かれた。
「はい。アウト。お前、俺が敵だったら――」
「はいはい。死んでます!」
前言撤回。やっぱりこいつ、優しくない!
*
なぜこんなことをしているのかと言うと、一ヶ月前、ヨヒナが宣戦布告をした次の日に遡る。アパートのテーブルを挟んで、ヨヒナが作ったサバの味噌煮を食べながら、今後の予定を話したのだ。ちなみにサバの味噌煮は、味がちょっと濃かった。
生姜の切れ端をかじりながら「ライオンハート……ってそもそも何なの?」と私は聞いた。
「さあな」とヨヒナが言った。
「知らないの?」
「ああ。だが予想はつく。十中八九“ギャラクシアン”の力のことだろう」
ギャラクシアン……。私やヨヒナ、コウ・ハートフィールドみたいに、妖精に願い事をした人間のことをそう呼ぶのだとヨヒナに聞いた。だけど、ライオンハート、世界を書き換えるという力。
「そんな凄い力が、人間のものなんてあり得るの?」
「あり得るさ。俺やお前だって、世間からしたら、あり得ない」
箸を持ちあげて、ヨヒナは断言した。
「そして、相手が人間なら、俺のスティールハートで奪うことが可能だ」
理論上は確かに可能な気がする。
「だけど、そんな凄い力を持ってるなら、その人は何で使わないのよ。そもそも本当にいるって何でわかるの?」
そこでヨヒナは少し考えるそぶりを見せて「数年前」と言った。
「俺は軍の任務で、ある遺跡へと向かった。そこで一つの死体を見つけた」
「死体?」
「最初はただの白骨遺体だと思ったさ。そいつの指輪を見るまではな」
「何の話をしてるの?」
「言いから聞け。俺がそこで見たのは、この国の“現国王”の死体だったんだ。国のシンボル、アレキサンドライトの宝石が埋め込まれた指輪には“ブレイン・アレキサンドライト”と記されていた」ブレイン……。それは父の名前だ。
「それから俺は、国中を調べ上げた。だが、国王が死んだなんて記録は、何一つ残っていなかった。当然だ。国王はまだ、生きてるんだからな。だが、そんなことがあり得るか? 誰かが、成り代わったとして、周りの誰にも気づかせない。容姿も癖も思考も、それまで生きてきた記憶も、全てを引き継ぐなんてことは不可能だ。ギャラクシアンでもない限りはな」
「つまりそれが……」私の父親が……。
「ライオンハートのギャラクシアンだと、俺は考えている」
厳しい顔でヨヒナが言う。
「お前の親を殺して、その力を奪う。それが、俺たちの目的だ」
できるか? とその顔が言っていた。もしその話が本当なら、いつからか私の父親は入れ替わっていて、誰もそのことに気がついていないということだ。それなら私を殺そうとしたもの、顔にバツ印の傷をつけたのも、別人という可能性が出てきた。
本物の父が生きていれば、あの日、いらないなんて言われなくて、愛を奪うことなんてなかったのかもしれない。そう考えたら容赦なんかしなくていいし、ためらうことなんてないはずなのに「できる」とは言えなかった。
「だが、気をつけなきゃいけないことがある」
食事に戻っていたヨヒナは、サバの骨が口の中で刺さったのか、顔を歪めた。
「俺が先生を、コウ・ハートフィールドを倒したことで、三剣が動き出す」
「三剣?」
「ああ。三権分立って聞いたことあるだろ。この国ではそれぞれが力を持ちすぎないように、司法、立法、行政と権力を分散させてる。だが、それは表向きの話だ。実際はそれぞれの組織のトップに一人ずつギャラクシアンがいて、そいつらが実質的にこの国“サンライト王国”を支配してるんだ」
三権分立。それは学校で習った。だけど、裏の顔があるなんて想像すらしていなかった。
「三権分立ってのは“旧日本”時代からの名残だな」
無理やり口に手を入れて、骨を取り出したヨヒナは、涙目になっていた。どうやら喉に詰まっていたらしい。
「それぞれが剣術の達人でギャラクシアン。その実力は、先生を凌ぐと言われている。そして奴らが、王を守っている。だから、ライオンハートを奪うには、三剣を倒さないといけない」
「無理だと思う」と私は言った。
「何でそう思う?」
「だって、あのコウより強い奴らとなんて私は戦えない。あんたは勝てるのかもしれないけどさ。それなら私いらないじゃない。だいたい、例え世界を書き換えたとしても、私のしたことは許されることじゃない」
できない理由を並べる私に「じゃあこのまま死ぬか?」とヨヒナが言った。
「お前は昨日、処刑台から飛び降りた。それはなんでだ?」
「私みたいな人間は……生きてちゃいけないと思ったから」
「そうか。でもな。お前が死んだって何も変わらねぇぞ。今回はたまたま、お前だっただけだ。お前が死んだら、また別の誰かが、ナイフの雨を降らせるかもしれねぇ」
それは、そうかもしれないけど。ヨヒナはたぶん正しいけど、だからって私に、何かできるとは思えなかった。
「苦しいなら、悔しいなら、戦うしかねぇんじゃねぇのか?」
「そんなこと言ったって。私が奪った命は帰ってこない」
「とにかくだ。一ヶ月。ここで訓練をする。それが終わったら、王都へ向かう」
断固とした口調だった。
「なあリップ。お前はもう、一人じゃねぇんだからな」
「何よそれ」
「できるよ。俺とお前なら」
ということで私は完全に納得はしていないものの、とりあえず訓練を受けることになったのだ。「できる」って書いてある、ヨヒナの顔を信じて。
*
ヨヒナからもらったカードは、ハートのエースだけではなかった。ハートの一から十三まで、十三枚のカードを私にくれた。ただし、その中で六芒星が描かれているのは、三枚だけだった。つまり、能力があるのは三つだけということらしい。
ハートのエース …… 透明人間 基本はこれで逃げる
ハートの三 …… 翼を生やし空が飛べる エースで逃げきれないときに使う
ハートのクイーン…… ??? どうしても戦う必要があるときに使う
これが、ヨヒナの説明だった。クイーンに関しては、街中では絶対に使ってはいけないと言われた。そして、もしギャラクシアンと戦うことになったら、躊躇なく、六芒星が描かれていないカードを、相手の紋章に突き刺せと言われた。
能力を奪われた相手は死んでしまうけれど、それが生き延びるための力になると、ヨヒナは言った。
生き延びるための力。だけどそれには、強い意志が必要だということを、次の戦いで、私は思い知らされることになる。
