見出し画像

【雲間月怪異譚】 幕間②

【雲間月怪異譚】幕間②ー雲外鏡爺の客人河童奇譚


蔵を改造したリビングは、いつ来ても静かだ。

外の音だけが、少し遅れて届く。

「また妙なの持ってきおったな」

奥の座椅子から、しわがれた声がした。

雲外鏡爺は、湯呑みを両手で包んだまま河田を見た。

「相談料は高いぞ」

「今回は仕事じゃない。“勘”だ」

河田は肩をすくめて、ソファに腰を下ろす。

その隣では、三日月が勝手に茶菓子をつまんでいた。

「勘ってのが一番高いんじゃがな」

爺はそう言うと、奥の襖を軽く叩いた。

「鏡を持ってこい」



襖の奥から現れたそれは、ただの鏡ではなかった。

映るはずのない“奥行き”が、ゆっくりと揺れている。

空気が、わずかに冷たくなる。

「名前を言うな。姿を思い浮かべるな」

雲外鏡爺は、いつもより短く言った。

「見るだけでいい」



鏡の中、水面のような揺らぎが走る。

一瞬だけ、何かが映った。

白い影。

泳ぐでもない。

沈むでもない。

“そこにいる”というより——

“そこに馴染んでしまっている”ような形。



「……ふむ」

爺はそれだけ言って、鏡に布をかけた。

音が戻る。

何事もなかったように、湯気だけがそこに残った。



「どうだった」

河田が問うと、雲外鏡爺は少し間を置いてから言った。

「見えたよ」

それだけだった。



「それで、どうなんです?」

三日月が、菓子の欠片を指で払いながら聞く。

雲外鏡爺は湯呑みを一口飲み、

「知らん」

とだけ答えた。



沈黙が落ちる。

外の風の音だけが、妙に普通だった。



そのとき、三日月がぼそりと呟いた。

「海ってさ」

誰に向けたでもない声だった。

「意外と、神秘の領域なんだよね」

湯呑みを回しながら、視線だけを鏡のあった方へ向ける。

「私たちが知ってることなんて、たぶん一%にも満たない」

少し間を置いて、

「……だから、何がいてもおかしくない」

「ふん!まだまだひよっこが一人前のことを言いよる」



誰も、それに返事をしなかった。

返事をする必要もなかった。



雲外鏡爺は湯呑みを置き、ただ一言だけ付け足した。

「ただな」

「“あれ”は、泳いでるんじゃない」

「そこに、戻ろうとしてるだけじゃ」

プールの消毒薬の匂い

作られた空間

拘束される水着

適応する種もいれば

戻る種もいるのだろうなあ

保は、塩気の強い煎餅にお茶を流し込む。



それ以上は、誰も聞かなかった。



静かなまま、時間だけが元の速度に戻る。

まるで最初から、何も起きていなかったように。

前の話
次の話
【雲間月怪異譚】まとめページ

いいなと思ったら応援しよう!