【第2章】 第23話
【第2章】第23話 最上位種、出現
「はぁ、はぁ……」
体に攻撃を受けたわけではない。
それでも、このダメージは——深刻だった。
黒曜石の城、セラフィナの部屋。
ボルボロ街の領主館から、魔法転移でようやく戻ってきたばかりだ。
だが——
「だらしないわね」
部屋には、招かれざる者がいた。
「お父様の依頼がまだかと、様子を見に来てみれば……この有様?」
椅子に深く腰掛けていたのは、長女ルクレッツィア。
前髪を中央で分けた黒髪の超ストレートロング。
黒と赤のドレスに身を包み、口元は黒いレースで覆われている。
だが、その鋭い眼差しは——何も隠してはいなかった。
ゆっくりと立ち上がり、セラフィナの前へ。
床に崩れ落ち、四つん這いになっていたセラフィナの髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。
「痛い!」
「仕事が遅いって言ってるのよ」
「やめて!」
バシッ、と手を払う。
——昔なら、それすら出来なかった。
理不尽な暴力。容赦のない言葉。
何度、涙を流したことか。
ルクレッツィアの憎悪の理由は、単純だ。
——顔。
父親が愛した“母”に、最も似ているのがセラフィナだった。
三姉妹の母は、人間の魔法師。
氷魔法を操る、類稀なる存在。
だが、三女ルナミナを産んだその時——命を落とした。
父は後悔し、懺悔し、壊れた。
愛を求めた長女は拒絶され、
その歪みは——セラフィナへと向けられた。
(……ルナミナが似なかったのは、幸いだったのかしらね)
やがて、気が済んだのか。
ルクレッツィアは、何も言わず部屋を出ていった。
——静寂。
その後、扉が開く。
入ってきたのはルナミナだった。
手には、救急箱。
「放っておいてよ」
倒れたまま、セラフィナが呟く。
「……」
ルナミナは何も言わず、手当を始めた。
この城では、セラフィナの体には魔法治癒が効きにくい。
だからこその、手当てだった。
肩を貸し、椅子へ座らせる。
湯気の立つカップを差し出す。
「薬茶よ。それ飲んだら、ベッドに横になって休んで」
それだけ言って、ルナミナは部屋を出ていった。
「……放ってくれていいのに」
カップに口をつける。
——苦い。
やけに、苦かった。
場面は変わり——
ボルボロ街、水瓶オアシスのほとり。
クラリス、ヴィクトル、レオンハルトの三人は、静かにその場に立っていた。
——妙に、静かすぎる。
風も、水音もある。
それなのに、どこか“ズレている”。
「……真琴達は、順調に対応しているらしい」
ヴィクトルが通信機に耳を当てたまま呟く。
「だが——妨害は、こっちにも来ているな」
——ザザッ……
微かな雑音が、途切れずに混じる。
移動中から繋ぎっぱなしの通信。
本来なら、ここまで乱れることはない。
「この感じ……街の各所にいるヴェールタスからの干渉ですわね」
クラリスが眉を寄せる。
「声は乗せてこない……ただ、ノイズだけを送り続けている」
——ザザ……ザ……
無言の圧力。
聞こうとすればするほど、思考に絡みつくような不快感。
レオンハルトが、わずかに顔をしかめた。
「……頭に来るな。殴れない分、余計に質が悪い」
「我慢なさい。これも“誘導”の一部の可能性があるわ」
クラリスの言葉に、場の空気がわずかに張り詰める。
——順調すぎる道のり。
——止まらない妨害。
そして、この違和感。
ヴィクトルは、静かにオアシスへ視線を向けた。
「——来るぞ!」
ヴィクトルの声と同時に、水面が爆ぜた。
白い触手が、今度は“数”で押し寄せる。
「チッ……キリがねぇな!」
レオンハルトが踏み込み、剣を振るう。
一閃。
断ち切られた触手が宙を舞う——が、次の瞬間には再び伸びてくる。
「再生が早すぎる!」
「なら——焼き切るしかないな」
ヴィクトルの周囲に、空気が収束する。
圧縮された風が、刃となって重なる。
「エアースラッシュ——連撃!」
連続する斬撃が、触手の群れを細かく刻む。
切るのではなく、“削る”。
再生が追いつく前に、形を保てなくするための判断だった。
「レオンハルト、今よ!」
「おう!」
一瞬で意図を読み取り、レオンハルトが前へ出る。
剣を構え——踏み込む。
「——砕けろッ!」
叩きつけるような一撃。
削られ、弱体化した触手の根元を、まとめて粉砕する。
——バシャァッ!!
水面が大きく跳ね上がった。
「今のは……効いたか?」
「いいえ、まだですわ!」
クラリスの声が鋭く響く。
次の瞬間——
オアシス全体が、脈打った。
「なっ……!?」
水そのものが、持ち上がる。
まるで巨大な生物が、目を覚ましたかのように。
「本体は……あれか!」
「ええ。なら——叩くべきは“中心”ですわ!」
クラリスが手をかざす。
「位置、特定します!」
淡い光が水面へと広がる。
解析——干渉——特定。
「……見えましたわ。あの一点!」
クラリスが指差す。
オアシスの中央。
わずかに“歪んだ水”の領域。
「ヴィクトル!」
「ああ、分かっている!」
風が唸る。
今度は一点集中。
「——貫け」
放たれたのは、刃ではない。
“槍”のように収束された風。
一直線に、水面を穿つ。
——ドンッ!!
衝撃と共に、水が吹き上がる。
その瞬間。
「レオンハルト!」
「任せろ!」
跳躍。
振りかぶる。
「——終わりだ!」
渾身の一撃が、着弾点へと叩き込まれる。
——ズガァァン!!
水面が裂け、沈黙が落ちた。
——ズガァァン!!
水面が裂け、衝撃が周囲に広がる。
だが——
「……浅いですわね」
クラリスの声は、冷静だった。
「今ので終わらないのかよ……!」
レオンハルトが舌打ちする。
水は、すぐに元の形へと戻り始めていた。
まるで——“最初から何もなかった”かのように。
「再生……いえ、違う」
クラリスが一歩、前へ出る。
「これは“群体”ですわ」
水面を見据え、静かに告げる。
「一つの個体ではない。
無数の単位が集合し、ひとつの存在を形成している——」
通信機のノイズが、急激に強まる。
——ザザザザザッ……
「……この干渉」
ヴィクトルが目を細めた。
クラリスは、確信をもって言い切る。
「間違いありませんわ」
一瞬の間。
そして——
「最上位種《ヴェール・レギオン》」
空気が、張り詰めた。
レオンハルトが低く呟く。
「……おいおい、冗談だろ」
「ええ。ですが——現実ですわ」
クラリスは、ゆっくりとオアシスへ歩み出る。
水面の目前。
普通なら、一歩も踏み出せない距離。
だが——
「逃げる選択肢はありません」
その声に、迷いはなかった。
「この場で止めなければ、被害は拡大する」
手を、かざす。
「ならば——支配します」
——水が、応えた。
ざわり、と。
オアシス全体が、わずかに震える。
「クラリス……?」
ヴィクトルが息を呑む。
次の瞬間。
水面が——割れた。
左右へと、大きく。
まるで意思を持つかのように。
道が、現れる。
底へと続く、水の回廊。
クラリスは振り返らない。
ただ、一言。
「行きますわよ」
そのまま、踏み出した。
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