見出し画像

呪いの連鎖【第1章】〜母の不倫④〜

年が明けて
新しい年がやってきた。

私は1人、ぼんやりとテレビを見ていた。
母はいつも通り、不倫相手のところで
お泊まりで何日も顔を見ていない。
父は祖父母の体調が悪く、新幹線に乗り
実家へ行っていた。

毎年、なんだかんだとありながらも
幼い頃は、大晦日に3人で鍋を食べ
新年には父が「牛のタタキだ」「刺身だ」と
朝から僅かならも、ご馳走が並び
お雑煮を食べ、お年玉をもらい
親戚のお宅にお邪魔して、皆で集まり
久々に会う従姉妹達と遊び
楽しい三が日だった。
普通の家族だった。

テレビを見ながら幼き頃を思い出す。
自然と涙が溢れた。
悲しい正月だ。
友人達も家族で過ごすらしかった。
本当にひとりぼっちだった。

冷蔵庫を開けても食材はない。

インスタントラーメンを作って
食べた。具なし。
虚しい気持ちが止まらなかった…


悲しい三が日を過ごして
父や母が各々帰宅したが
何も変わらなかった。
私はやっぱりひとりぼっちのままだった。


何も変わらぬまま、春がきて
進級した私は
早く働こう!という気持ちを取り戻した。
高校を中退したいが父に反対される。
じゃあ、ちゃんと勉強して資格を取ろう。
自分の人生を歩もう!

成績最下位の私は
勉強に取り組む事を決めた。
主要5教科は、やはり苦手だったが
資格に必要な副教科はがむしゃらに勉強を始めた。

でも友人達と遊ばないと
気持ちが追いつかなかった…
どうしても悲しく辛いとき
友人達と一緒にいないと挫けそうだった。

その頃から友人達が少しおかしくなってきた。
明らかにラリって電話をしてきたり
会うとシンナーくさかったり…
でも友人も私を誘う事はなかったし
私からやりたがることも一切なかった。
タバコは吸っていたが、シンナーはやらないと
決めていた。

そんな日々を過ごしながら
夕飯を食べていると、父かひとこと
「お前、シンナーやってるだろ!俺にはわかるぞ。そんなにやりたきゃ、俺が上等なやつを持ってきてやる!」
ペンキ関係の仕事をしていた父が言ったこの一言が私にとって衝撃で
言葉が出なかった。箸も止まっていた。
「ホントに情け無い。タバコはまだしも、シンナーとはな」

「お父さん…私シンナーやってないよ、ホントに」

「うそをつけ!お父さんにはわかる!」

私は箸を置いて部屋に戻った。
信じてもらえない。絶対にやらないと自分と約束しているシンナーを、やっていると決めつけられ
どうにも悲しくなり、心が折れそうだった。
何故親なのに子供を信じられないのだろう?
私がやってきたことが、そんなに悪いのか?
何故私ばかり責めて…母は自由にしているの?
何が正しいの?何がダメなの?
もうわからない。
悔しかったけど、それでも私はシンナーは
やらなかった。
早く大人になって、この家を出ていく!!


勉強は頑張っていた。
毎週土日は、何かしらの検定試験があり
家にいなくて良かったので検定試験は毎回受けた。検定試験は無料ではないので
受けるたびに母に怒られた。
「ったく!金ばっかりかかって!ないよ!お金なんか!」
でもバイトは禁止されていたし、バレたら退学なので働けず
「すいません…お願いします」
理不尽に怒られてる自覚はしていたが
受けない訳にはいかなかった。

成績はグングン上がり
最初は中間くらいまで上がり
3年生になり進路をどうするか?の頃には
クラスで2位だった。
もちろん資格も誰よりも多く取ったし
負けない気持ちで頑張っていた。

夏に高校にも求人がきて
進路の先生と進路を確定させていく。
都銀に行きたかったが、希望が私より優秀な他クラスの子と被り、私は第二希望の地銀に決めた。金融機関ならどこでも良かった。
これが決まれば見返してやれる。
働いてすぐは無理でも家を出れるのが早くなるかも…!!

秋には就職先が確定した。
面接の練習やら試験対策やら
大変だったが嬉しかった。
最下位からの金融機関就職。
自分が誇らしかった。

その間にも家では色んなことがあった。
不倫相手と喧嘩したのか、検定試験から帰宅したら自宅で母が缶ビールを大量に飲み干して
泣き騒いで
更に帰宅した父に「離婚してください!私は不倫しています!」などと絡みついて大騒ぎになったり

夜遅くに父母か大げんかをしていたり…。

私はその時は
自室に行くようにしていた。

母の友人が遊びにきて
「あんた、お父さんとお母さん離婚したら
どっちついてくの?」と
無神経に聞かれることもあった。
私は「あんたには関係ない」
事実関係ない。なんでこういう時、いつも母は
だんまりなんだろうか。
友人からは「関係ないじゃないでしょ!」と言われたが、母に言うならともかく
お前に言う必要はねーよ!と思っていた。


就職が決まったら
父母は嬉しい様子だった。
周りに言いふらしていたようだ。

この親は
一体私をなんだと思ってるんだろうか?
所有物か何かと勘違いしてないか?
とは言え、親の顔色を伺う生活は続いていたので
私は屈折して育っていた。
父母から嫌われるのは怖かったし
他人からも嫌われるのは恐怖だった。

兎にも角にも
愛してくれる人を欲していた。

いいなと思ったら応援しよう!