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【短編小説】#4「Walk in ― 予約の要らないホテル」

第4話 消えた宿泊名簿

朝、雨は完全に上がっていた。 窓の外には抜けるような青空が広がっているというのに、校舎を包む空気は鉛のように重たかった。

高梨一真たかなしかずま春原朱音そのはらあかね。 修学旅行の帰路、二人の姿は忽然と消えた。 サービスエリアの監視カメラに残されていたのは、大型バスを降りていく一真と、時間差で後を追うように駆け出していく朱音の、断片的な影だけだった。

それから三日が経過した。 警察の捜索は難航を極めていた。記録的な大雨が地面の匂いをすべて洗い流し、警察犬の鼻さえも役に立たなかったのだ。

「まるで、空にでも消えたみたいだな……」 捜査員の一人が、手掛かりのない山道を見上げて呟く。

担任の佐久間は、連日の報道対応と保護者への説明に忙殺されていた。だが、その憔悴した表情には、疲労以上の「何か」が暗い影を落としていた。 (また、あの時と同じだ……) 彼の脳裏を過るのは、三年前の光景だった。同じように修学旅行の帰り道で、二人の生徒が忽然と姿を消した出来事。その事件もまた、何一つとして解明されないまま、人々の記憶の隅へと追いやられていた。

放課後の教室に西日が照らされ、そこに数人の生徒だけが居残っていた。 窓際の席で、白石遼しらいしりょうが何かに取り憑かれたように小さく呟いた。

「俺……夢を見たんだ」

隣の席の黒川美咲くろかわみさきが、弾かれたように顔を上げる。 「夢……?」 「うん。とてつもなく大きなホテルが出てくるんだ。チェックインする時、大きな木の下で『鍵』を受け取るんだよ」

美咲はしばらく沈黙を守っていたが、やがておそるおそる口を開いた。 「……その木、千年杉みたいに、天を突くような大きさじゃなかった?」

遼が驚愕に目を見開く。 「見たのか? お前も」 「私も夢に出てきた。〈情熱〉って札を渡されて、案内された部屋が……温かくて、なんだか涙が止まらなくなって」

二人の会話を、後ろの席で耳を立てていた三嶋大地が遮った。 「それ、もしかして『Walk-in』じゃねえのか?」 「なにそれ」 「有名な都市伝説だよ。心が限界に来た奴だけが泊まれる、予約のいらないホテル。泊まった奴はみんな、『自分自身の欠片』を取り戻す代わりに、この世界に何かを置いてくるっていう……」

教室の空気が、一気に冷え切った。 宮原透花みやはらとうかが静かにノートを閉じ、震える声で告白した。 「……私も、そこにいた気がする。光の部屋で『笑っていいよ』って言われたの。朝起きたら、ポケットの中にこれがあった」

透花が差し出したのは、指先ほどの小さな木片だった。

それは千年杉の香りを微かに纏い、光の角度によって表面に細やかな模様が浮かび上がる。 〈陽溜り〉 その瞬間、遼も美咲も、吸い寄せられるように自分のポケットから同じ形の木片を取り出した。 並べられた三つの木片。〈疾風〉〈情熱〉〈陽溜り〉。 それらは夕闇の中で淡い光を放ち、まるで生きているかのように、静かに、一定の律動で脈打っていた。

「……冗談だろ」 大地が息を呑む。「それ、本物なのか?」 「わからない。でも、あの場所で感じた手のひらの熱だけは、まだ消えてないんだ」

その時、教室の引き戸が乾いた音を立てて開いた。 佐久間が立っていた。 「お前たち、まだ残っていたのか」

教壇へ歩み寄った佐久間の目が、机の上に並んだ三つの光に止まった。 その瞬間、彼の表情が石のように凍りついた。 「……それは、どこで手に入れた」

「夢の中です」 遼の答えを聞き、佐久間は長い沈黙に沈んだ。そして、誰にも聞こえないような、祈りにも似た掠れ声で呟いた。 「……まだ、あの場所は、存在していたのか」

夜になり、 職員室の明かりがすべて消えた後、佐久間は一人、机の奥にある古い引き出しを解錠した。 中から取り出したのは、経年で黄ばんだ紙の束。表紙には、今にも消え入りそうな墨書きでこう記されていた。

〈WALK IN 宿泊名簿〉

震える指でページをめくっていく。 そこには三年前の事件で消えた生徒たちの名が並び、さらに新しいページの、まだ乾ききらぬインクで二人の名が刻まれていた。

高梨一真と 春原朱音が英語表記で。

その二人の名前の横には、昨夜から今朝にかけて灯ったであろう、淡い金色の文字が静かに明滅している。

〈宿泊中〉

朝の光の中でホテルを後にし、確かに歩き出したはずの二人。 だが、あの聖域とこの現実の間に流れる「時の河」は、まだ彼らをこちら側へと逃してはいなかった。

佐久間は木片のような温もりを宿す名簿を強く抱きしめ、暗い窓の外を見つめた。

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