大喜利のボケを「説明したがる」人がいるのは「プレゼン脳」だから
大喜利ファシリテーターの山本ノブヒロです。
私は「大喜利メソッド®」を企業研修や学校授業に活かし、コミュニケーション課題やアイデア創発のサポートをしています。最近はエンタメ寄りの大喜利イベントにも関わっていますが、
…今日は、大喜利を楽しむうえで気をつけたい「ある落とし穴」について話したいと思います。
結論から言うと── 「プレゼン的なボケ」は「だるい」。という話です。
これは年配の男性の方に、特に多いようにも思うのですが、
自分の「ボケ」を発信した後、すぐに「ここんとこが、お題のこれにかかってるよね」とか「〇〇をもじった結果ですよね」みたいに、解説を添える人がいるんです。
はっき言って、非常にダサく、だるい。
では、なぜ説明したがってしまうのか。
ズバリ、「正確に伝えたい」からです。
私が思いついた、素晴らしいアイデアを、ここにいるすべての人に、勘違いやズレなく、正しく分かって欲しい、という気持ちがそうさせています。
これね、ボケじゃないです。「プレゼン」です。
プレゼンとボケの決定的な違い
プレゼンテーションには「相手に情報をしっかり伝える」ための行為です。
意図を明確にし、価値や意味をきちんと理解してもらうことが目的。
一方で、大喜利の「ボケ」はそうではありません。
ユーモアは「受け手の解釈に委ねる」からこそ成立するもの。笑いはボケ手が完成させるものではなく、受け手が心の中で完成させるものなのです。
なぜ「説明ボケ」がダサくなるのか
芸人さんが自分のギャグを解説し始めたら……一気に冷めますよね。
それと同じで、大喜利の場で「このボケはこういう理由で面白いんです」と説明すると、面白さがしぼんでしまいます。
例えば「こんなコンビニはイヤだ」というお題に対して、
「レジ担当がそろばんで計算している」
とボケたとしましょう。
これを聞いた人は、
古臭い感じがイヤ
レジが混みそうでイヤ
田舎っぽいディスりでイヤ
など、それぞれの感性で受け取って笑います。
ここで「実は通信環境がなくて~」などと解説してしまうと、一気に「プレゼン的な大喜利」になってしまうのです。
落語に学ぶ「受け手に委ねる笑い」
落語のオチ(下げ)は、聞き手が自分の中で解釈して初めて完成します。
「饅頭こわい」でも「お茶がこわい」でも、そこに意味を見出すのはお客さんです。
落語家本人がオチの意味を逐一解説したら……やっぱりダルいですよね。
笑いは「相手の心の中で咲くもの」。ここがプレゼンと根本的に違います。
大喜利メソッド®のポイント
私が提唱している「大喜利メソッド®」では、
ボケ手は「すべてを説明せず、相手に委ねる」
受け手は「自分の感性で咀嚼して素直にリアクションする」
この二つを大切にしています。
だからこそ、その場でしか起きない笑いが生まれ、互いのやりとりが新しいアイデアや次のボケにつながるのです。
まとめ
「プレゼン的なボケ」は、笑いを殺してしまいます。
大喜利で大切なのは「相手を信じて委ねること」。
解説しない勇気が、場のユーモアを何倍にもふくらませるのです。
