寿司屋のラーメン、奈井江の味
日本一長い直線道路(29.2km)として知られる国道12号を、ただひたすら車で走っていると、あまりに真っすぐすぎて眠くなることがあります。でも、その眠気を実に現実的に打ち砕いてくれるもの…それが空腹です。腹が減るだけで、退屈な道路でも眠気が飛びます。今回ご紹介するのは、その国道12号沿いの奈井江町にある「吉野鮨」です。
鮨屋の暖簾の向こう側
吉野鮨という名前だけ聞けば、まあ当然、お寿司屋さんです。ところが店の看板には、「ラーメン」と書いてある。鮨屋なのにラーメン。この時点で、なにも知らない人は違和感を覚えることでしょう。
鮨とラーメン。片や、江戸前の粋を背負った職人の世界。片や、庶民の胃袋を支える国民食。普通に考えれば、なかなか同じ土俵には上がりにくい二つです。
ところが奈井江では、この少々ちぐはぐにも見える組み合わせが、すっかり町の風景として定着している。つまり、違和感は、続けば文化になるということなんでしょう。
昭和二十二年の「のれん分け」
吉野鮨の創業は1947年、昭和22年。終戦から、まだわずか2年後です。先代が小樽の名門「吉野鮨」で修業を積み、この奈井江の地で暖簾分けを受けて店を始めたのが、そのはじまりだそうです。
小樽といえば、鮨の町です。そこで厳しい修業を積んだ職人が、なぜラーメンまで出すようになったのか。このあたりが、いかにも経営戦略がありそうに見えますが、実際はもっと人間くさいんです。
お客さんから、
「温かいものが食べたい」
「定食みたいなものはないのか」
そう言われるたびに、先代は一つずつ要望に応えていった。
その結果、そばが増え、定食が増え、気がつけば、いわゆる“鮨屋”という枠から、だいぶはみ出していた。でも、こういう店って、強いんです。理屈で作った業態ではなく、人に合わせて形を変えてきた店ですから。
言ってみればこれは、店主のサービス精神という名の“予定外”の積み重ねです。ある意味では、専門店としての美学の敗北かもしれない。でも、町の人に必要とされる店になったという意味では、これはもう完全に勝ちです。現在は二代目が、ご家族と切り盛りされているそうです。
町民にとっての吉野鮨は、たぶん「ハレの日だけの鮨屋」ではないんですね。もっと日常に近い。もっと生活の中に入り込んでいる。町民の胃袋を支える、町のインフラ。そう言っても、たぶん大げさではないでしょう。
黄金のセット、その衝撃
そして、肝心の一品です。私が頼んだのは、もちろん一番人気の「鮨・ラーメンセット」。
運ばれてきたお盆を見ると、もう慣れているはずですが、やっぱり少なからず違和感を抱きます。そこには、マグロ、イカ、エビ、玉子といった握り鮨。そして隣には、湯気を立てるラーメンが、まるで何事もなかったような顔で並んでいる。本来なら、そう簡単にはコラボしないはずの鮨とラーメン。場違いに見えて、じつは相性がいい。世の中、案外そういうことがあるものです。
まずはラーメンのスープをひと口。これが、美味い。豚骨とカツオ節で出汁を取ったというスープは、しっかりしたコクがありながら、後味は意外なほどやさしい。濃くもなく、軽くもなく、どんどん飲み干してしまいそうなスープです。
そして、その余韻が残っているうちに握り鮨を口に運ぶ。すると今度は、ラーメンの脂を鮨の酢がすっと切っていくような感覚。逆に、鮨の繊細さをラーメンの旨みが下支えしているようです。つまりこれは、対立じゃなくて補完なんですね。
ラーメンをすすって、鮨をつまむ。この往復運動が、実に心地いい。こちらが勝手に抱えていた「鮨には吸い物でしょう」という固定観念は、静かに、でも見事に崩れていく瞬間です。

奈井江という町が育んだ「寛容」
奈井江という町には、こういう“受け入れる力”があるのかもしれません。
鮨屋でラーメンを出す。しかも、それが中途半端な色物ではなく、ちゃんと長く愛されている。これ、簡単なようで、なかなかできることではありません。
私たちは、つい考えてしまいます。
「鮨屋は鮨だけやっていればいい」
「店には店の型がある」
「本物とはこういうものだ」
まあ、そう言いたくなる気持ちもわかります。でも、その“こうあるべき”という頭の固さが、案外、おいしいものや豊かなものを見えなくしているのかもしれません。
吉野鮨のメニューには、「生ちらし・ラーメン」の組み合わせもあります。もうここまで来ると、単なる変化球ではありません。奈井江という町の懐の深さ、そのものです。
店主と常連客が、長い時間をかけて互いの希望に応え続けてきた。
その歴史が、ラーメンの丼と鮨の皿の上に、何食わぬ顔で並んでいる。
なかなか味わい深い話じゃないですか。

締めくくりに
「鮨屋なのに、ラーメンがうまい」
この言葉は、少し乱暴に聞こえるかもしれません。でも本当は、逆なんでしょう。鮨を大事にしてきた店だからこそ、横に添えるラーメンにも手を抜けなかった。本流を守ってきた店だけが、脇役にも本気になれる。そういうことなんだと思います。
国道12号を走る機会があれば、奈井江町で少しだけ車を止めてみてください。派手な演出はありません。流行のグルメサイトで点数を競うような店でもないのかもしれません。けれど、70年以上にわたって町の人に食べられ、育てられてきた味があります。
鮨とラーメン。
本来なら、少し無理がありそうな組み合わせです。でも、その“少し無理”を、当たり前の顔で成立させてしまうところに、地方の名店の底力がある。吉野鮨は、そんなことを静かに教えてくれる一軒でした。

