「今を生きる」のもう一つの解釈
皆さん、こんにちは。ノブです。
今回はこのテーマを語りたいと思います。
皆さんは”今を生きる”という言葉を聞いたことがありますか?
自己啓発、仏教、名言などの本にたびたび出てくる言葉です。
ほとんどの人が人生に悩んだ時やもしくは、ふとテレビを見てるときなどこの言葉を目にしているのではないでしょうか?
この言葉は人生の真理ともいえる言葉です。
これは何百年も前から言われていることです。
そしてこの言葉の意味とは、
過去の後悔や未来の不安にとらわれずに今この瞬間。
目の前の出来事に集中しなさい。
という意味だと思います。
それは正解だと思います。
しかし、僕はふともう一つの意味が浮かんできたのです。
それが合っているかどうかは皆さんにお任せします。
もう一つの解釈は…目の前の出来事に味わいなさい。ということです。
…何が違うの?一緒じゃないの?
と思われたかもしれません。
なかなか端的に違う意味の言葉にするのはなかなか難しいので説明させてください。
皆さんは前者の意味をどう解釈していますか?
おそらく皆さんは後悔や不安、恐怖といったものに意識がいかないように無視して目の前の事を集中するという解釈だと思うんです。
ですが、ぼくのもう一つの解釈は少し違います。
それは負の感情が現れた時に無視をするのではなく、目の前で起きた負の感情にさえ意識を向け、味わえっていう意味もあるのかなと思ったんです。
感情を無視することができる人もいると思います。
ですが、それができるのは成功者や僧侶など一握りの人たちです。
果たしてそれが皆さんはできるのでしょうか?
おそらく、できるのであればここまで人は悩まないし、この言葉もそこまで浸透する必要もないでしょう。
じゃあ、なぜこの言葉が広まっているかというと、それができない人ばかりだからです。
人は負の感情を抱くとすぐにそれを手放したくなり、拒否し、逃げようとします。ですが、それでも離れず苦しくなってどんどん苦しくなっていくのです。僕もそうです。
ですが、その感情を無視せずに受け入れ、味わおうとするとどうでしょうか?
感情はすぐには消えませんが、心が軽くなる感覚はありませんか?
この不安、恐怖は体のどこからきているのだろう?と観察と追及をすると心は軽くなっていきます。消えはしません。
前より軽くなっていくだけです。
でもそれでも十分です。
これも仏教の話ではありますが、心というのは物質ではないので探すことができないそうです。
その感情を探そうとするとどこにも見当たりません。
(それは自分の感覚が鈍いだけなのかもしれませんが、むしろ見つけられる人はそれこそ人より体の感覚が鋭いということです。それはそれで特別な能力があるということです。)
そう物質的感覚が何もないとなんとなく心は落ち着いていくんです。
こういうことはいろいろな本に書かれている感覚なので間違いはないと思うのですが、もしかしたら、それは僕の経験だけかもしれません…。
ですが、そういった意味も「今を生きる」にはあるのではないかと思ったのです。
ですから、皆さんも少しでも共感を得たならば軽くこのような味わい方を試してみませんか?
そうするとまた何か発見があるかもしれません。
今日は最後までご拝読ありがとうございました。
