不意味文章「コトノハ・バタフライ」
「おめでとう」
私がこの世に生まれたとき。そう言われていたんだと思う。あるときは母に。あるときは父に。あるときは私にそう声をかけてくれる人が多くいたと思う。
「おめでとう」
私が生まれてから1年経過するたびにこう言われていた。私は意味もわからず無邪気に喜んでいた。
「おめでとう」
私が学校に入学するときに言われた。校門で母と写真を撮ったことをよく覚えている。
「おめでとう」
学校の部活動で優秀な成績を収めたときに言われた。先生や友人から、顔を見るたびに言われてた。
「おめでとう」
私が学校を卒業するときに言われた。入学のときと同じように、校門の前で写真を撮った。そのとき私は泣いてたっけ。
「おめでとう」
友人に彼氏ができた。私を含め、いつも遊んでる仲間で盛大にお祝いをした。朝まではしゃいで、楽しかった。
「おめでとう」
私にも彼氏ができた。家族には言えなかったけど、友人に話したら前みたいにお祝いしてくれた。とても嬉しかった。
「おめでとう」
1年毎に言われていた言葉がこんなにも嬉しいなんて、初めて気づいた。言葉の数ではなく、誰に言われるか、それが大事なんだと認識した。
「さよなら」
私は数時間迷った挙げ句、力ない指で送信ボタンを押した。
「おめでとう」
私は働くことになった。母から届いたメールに書いてあった文字だ。無理して絵文字なんか使っちゃって。自分のことのように嬉しいんだなって伝わってきた。
「おめでとう」
友人が結婚した。6年も付き合ってたんだって。大恋愛って感じで憧れちゃうな。
「おめでとう」
別の友人も結婚した。この頃からか、この言葉を言われるより、言う方が多くなった気がする。
「おめでとう」
唯一の独身仲間が結婚していった。私は焦りと妬みで素直にこの言葉を発することができなくなっていた。
「おめでとう」
会社の後輩が結婚し、退職することになった。溢れ出そうな怒りの感情に、この言葉で蓋をしていた。
「……」
次第にこの言葉を発することも少なくなった。最後に言われたのはいつだろう。
「おめでとう」
私はまた言われたい。この言葉を。
「おめでとう」
心から発する言葉を。
「ありがとう」
私は積極的にこの言葉を使うようになった。どんなに些細なことでも、この言葉で気持ちを伝えた。時には上辺だけで。時には本心で。気持ちを伝えた。
「ありがとう」
この言葉を言われることが多くなった。周囲の人の表情も変わっていった。言葉は環境を変えることができるのだと認識した。
「ありがとう」
年老いた父は、眠るように静かになっていた。もう聞こえていないかもしれない。それでもこの言葉をかけた。
「ありがとう」
母は健在だ。今のうちに伝えておかなくてはいけない。今までの恩を返さなくてはいけない。
「ありがとう」
父を追うように母は深い眠りについた。まだまだ伝えたりない言葉は宙に漂っていた。
「ありがとう」
私は歯を食いしばって生き続けた。兄弟もなく、姉妹もなく。一人で生き続けた。私は無理をさせた自分の身体に声をかけた。
「おめでとう」
見知らぬ男に言われた。君は選ばれた、と男は言う。訳もわからず話を聞いていると、転生というモノができる権利を得たらしい。
「ありがとう」
私はそれを受け入れ。別人として生まれ変わることになった。
「おめでとう」
再びこの言葉を聞くために。
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