【書評】 『私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年』
「総括」の名の下に行われた大量リンチ殺人事件、俗に言う連合赤軍山岳ベース事件の犠牲になった若い女性を追う筆者。
筆者は女性と親しかった重信房子に直接手紙を送って、当時獄中にあった彼女からの返信をひもとき、また当時の新左翼グループのメンバーたちにも取材を重ねる。
「力を結集せよ」と言いながら、限りなく分裂を繰り返している。のちの時代から見れば、愚かとしか言いようがないが、日本の左派集団の病根のようでもある
高度経済成長期とはいえ、誰もが等しく恩恵を受けたわけではない。集団就職で地方から上京して、劣悪な労働環境で働いている若者たちや、下町の人びとの反権力感情があったと思われる。そうして外野が味方についてくれたことで、学生たちは自分たちの実力と思ったのかもしれないが、外野の気分は変わりやすいものだということに彼らはまだ気がついていない
「なぜ内ゲバをするのかって? それはね、ブントの中で対立があり、あのとき赤軍派フラクは孤立していたんだ。僕らはオルグしても多数派になれない。リンチをするのは自分の位置を守るためにやる。そうでないと、組織が維持できないという恐怖感だね。そういう支配の論理が働いている。自分は間違っていないと自分で合理化しながらリンチをしてる」
筆者は、加藤登紀子や上野千鶴子の名前を出して、当時から彼女たちがシンパだったことをサラリと記述している。
筆者の意図は良く分からないが、あの日の革命戦士たちはマイノリティではなく、メジャーになった人たちも味方だったのだと言いたいのだとしたら、その目論見は失敗しているように思える。
いわゆるリベラル、平和勢力と印象づけられている、加藤なり上野なりの思考の下敷きが、実は暴力極左集団のそれであることを、令和の現代にわざわざさらけ出す必要もあるまいにと思ってしまうから
