上げたり下げたりする人間の話
お前は誰だ。
お前はいま何を考えている。
何を思っている。
それは本当に自分の感情か。
ずれていないか。
消えていないか。
子どものころ、わたしは繰り返し自分に問いかけていた。鏡の前で、あるいは頭の内側で、同じ言葉を転がす。答えを出すためではない。現在地を確かめるためだった。いま怒っているのか、いま冷えているのか、いま誰かに合わせていないか。確認を怠ると、自分が薄くなる気がした。
その癖は残った。
出来事が起きると、持ち上げる。意味にする。構造にする。怒りを倫理へ、嫉妬を因果へ、痛みを思想へ。形而下のものを形而上へ上げる。
だがそこで止まらない。持ち上げたものを、また地面に戻す。倫理を体温へ、思想をただの重みへ、構造を空気へ。形而上のものを形而下へ下げる。
上げたり、下げたり。下げたり、上げたり。その往復を観察するのが好きだ。
猫の雄が持つ腹のたぷたぷは、戦うための装備だという。内臓を守る余白。わたしはそれを幸せ袋と呼ぶ。防御構造を幸福へ持ち上げる。しかし同時に、それはただの柔らかい脂肪であり、ただの体温だと知っている。思想を下げる。
わたしは相対評価が苦手だ。善悪や優劣で即断される場は、階層を固定する。位置取りの争奪は、意味を単純化する。レスバは思想の交換ではなく、勝敗の確認になる。
だからSNSを卒業した。
値踏みの土俵から降りる。その代わり、階層を動かす。出来事を持ち上げ、意味にし、また地面に戻す。プラスにもマイナスにも固定しない。
お前は誰だ。
いまの答えはこうだ。
世界を上げたり下げたりしながら、固定されることを拒む人間だ。
