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抜き書きの功罪――北村匡平『観る技術、読む技術、書く技術。』を読んで

 ビジネス書とはいえ、全体的には研究者向けの「インプット/アウトプット環境」の紹介で、資料の保管や整理など一般的な感覚からかけ離れたものもあったが、ただ「観る/読む/書く」のではなく環境や形式を工夫することで、より深く豊かに向き合えるということだった。

 「読む」「観る」「書く」の三本立ての章で共通して言えるのは、一つに「偶然性」を意図的に組み込むこと。また「習慣化」する環境をつくること。そして「アウトプット」すること。「読む」に関して言えば、著者は「3回読書法」を勧めており、読み終えることが目的ではなく、より深くじっくり味わって読んで、そして書評というアウトプットの形にすることがより良く「読む」ことに繋がるとしている。

 ここからは個人的な感想である。読書法については色々変遷を経て、しばらくの間は「抜き書きノート」を作成してきた。確かに後からそれらを読み返しても、名文には違いないし、その本の良さがギュッと詰め込まれているのだが、ただそれだけなのだ。優れた文章を苦労して手書きしたノートを読んで、悦に浸りたいわけではない。なのに抜き書きは、読んだ気にさせる。その本を読むことができたのだろうかという不安を打ち消す効用がある。本を読むたびに抜き書きノートが埋まっていく心地よさが、読書の意欲を高めることに繋がっているかもしれない。しかしその時に「考えたこと」はまったくと言っていいほど残っていないのだ。

 では抜き書きに自分の感想を加えた、いわゆる「ねぎま式」で書けば万事解決なのだろうか。個人的に一定期間やってみたことがあるが、確かに感想は書きやすいものの、本全体に対する感想としてはまとまりが欠けることと、抜き書きしたいとは思わない文章に対して感想や考えが浮かんだ時にどうするかという問題があった。

 それはそれでいいのだろうし、また例えば大きな付箋に感想を書いて貼るという方法もあるだろう。だがもう一つ、気付いた欠点がある。それは、抜き書きする前提でいると、抜き書きするような名文を探すモードになってしまい、本全体を理解することが難しく感じたことだ。現に今回、本書を2回読んでからこの文を書いているのだが、1回目は抜き書きする文が幾つかあったのに、今回は全体を理解することに比重を置いてメモを取りながら読んでいたら、抜き書きする文は一つもなかったのだ。いや、抜き書きする間もなかったと言うべきかもしれない。今回の2回目はアウトプットすることを前提にして読んだので、個人的には最後まで軸がブレずに読み終えたという印象を持った。

 もちろん個人差はあるだろうし、これまで同様に容易に考えは変化する。著者が勧める「3回読書法」までできるかは分からないが、少なくとも今回は今までと違う読書法に気付くことができたし、より良く「読む」ことに繋がったのではないかと思う。
 また、しばらく「書く」ことをしていなかったのだが、それに比例して「読む」もなんだか手応えのようなものを感じていなかった。著者が言うように、完璧な文章は諦めて書き終える、すなわちアウトプットしていこうと思うし、「読む」と「書く」は切り離せない関係なのだなぁと改めて考えた。

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