生きていく上での土台づくりとは
どうもうまく事を進められない。
パートナーを見ていてもどかしい。
判断するのにいろんなものがくっついてきて
うまくできない。
本人をみていても苦しそう。
何かを始めようとしても進まない。
やる気がないわけではない。
能力がないとも思わない。
それなのに、なぜか前に進まない。
横で見ている私は、
何かにこだわっているようにも見えたし、
何か重たいものを抱えているようにも見えた。
以前の私は、
「もっとこうしたらいいのに」
と思っていた。
行動したらいい。
考えすぎなければいい。
手放せばいい。
そんなふうに。
でも最近は少し違う見方をしている。
問題は行動力ではなかったのかもしれない。
家を建てるとき、
土台が不安定な場所に柱を立てても揺れる。
どれだけ立派な柱でも、
どれだけ良い材料でも、
土台が落ち着いていなければ不安定になる。
人間も同じなのかもしれない。
発達特性の話になると
感覚統合が大切だと言われる。
身体の感覚が整うこと。
安心して身体を使えること。
それが土台になるという考え方。
私はそれを聞きながら、
これは発達特性のあるなしに関係なく、
みんなに必要なことなのではないかと思った。
どれだけ知識があっても。
どれだけ経験があっても。
どれだけ努力しても。
土台が揺れていたら苦しくなる。
では、その土台とは何だろう。
最近の私は、
能力でも自己肯定感でもない気がしている。
もっと手前にある何か。
もっと根っこの方にある何か。
種は、
自分が芽を出していいかどうかを考えない。
田んぼの稲も、
庭の草も、
山の木も、
自分の存在を疑わない。
ただそこにいる。
人間だけが、
「私はここにいていいのだろうか」
と問い続ける。
だから土台とは、
自分を信じることでも、
自分を好きになることでもなく、
自分が存在していることを疑わなくてすむこと
なのかもしれない。
能力があるからではない。
役に立つからでもない。
誰かに認められたからでもない。
ただ、
今日も息をして、
ご飯を食べて、
畑に出て、
空を見上げている。
そんな自分を、
特に理由もなく存在させておけること。
私たちはつい、
何を積み上げるかを考える。
知識。
経験。
資格。
お金。
けれど本当に大切なのは、
その下で支えているものが
どんな状態なのか。
生きていく上での土台とは何だろう。
最近の私は、
それは能力でも根性でもなく、
「自分の存在を疑わなくてすむこと」
なのではないかと思っている。
そんなことを、
パートナーを見ながら考えている。
