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固定費のような「友だち」なんていらない。変動費の「友情」でいい

「ほぼ日の學校」アドベントカレンダーです。

今回視聴した授業

私は昔、親友と思ってた人に裏切られたように感じ、しばらく「友だち」という言葉を使わない時期が数年ありました。そんな姿勢を貫いていたある時、「知り合い」と呼んでいた友達から「さみしいこと言うなよ」と言われて、「友だち」と呼ぶだけで喜んでくれる人間がいることを知り、そこから気楽に「友だち」という言葉を使うようになりました。「友だち」という言葉に重みを持たせなくなっただけなんですが…。仕事でも、地域でも、趣味でも、一緒にはならないのに、時々会う関係がある人に対して(飲み会で一緒になるなど)、「友だち」とラベリングするまではいいですが、いざ、その相手に嫌な思いを感じる時になって初めて、その関係に戸惑うことになります。「友だち」って何なんでしょうね?

大切だけど、ときにしんどい、「友だち」ってなに?
石田光規 (社会学者)

「友だち」は大切で、かけがえのない存在。そう思っていますよね?その一方で「友だち」とは何なのかがよくわからなくなるときもあって、SNSのやりとりに息苦しさを感じたりもします。でも「友情は人類が社会を構成するために発明されたもの」だと知っていましたか? そう聞くと肩の力が抜けて楽になる気がします。楽になるということは、やっぱりちょっと苦しかったんだと再認識したり。そんな「友情」とか「友だち」について、社会学者の石田光規さんにいろいろ教えていただきます。大切だけど、ちょっとつらくなるときもある、あいまいで不思議な「友だち」についての授業です。

昔の私がそうしたように、石田さんは、今でも知人とは「知り合い」という言葉で通すそうです。

「友だち」という言葉があると、
逆に「友だちじゃない」人もいる。
人を選別しているようだし、さらに「親友」なんて言葉を聞くと
序列があるように感じる、
そういう理由もあって苦手だった。

授業で学んだこと

社会学的に見た「友だち」についての考察です。

「友だち」は親子、上司部下とも違う関係

お互い「友達だ」と
思ってる限りで成り立つ関係なので
実はとても不安定な繋がりではある
会社のように辞表を書かなくても
夫婦のように離婚届を出さなくても
友達関係は簡単に解消されちゃう

そうそう、関係を定義することがそもそも難しいんですよね。だから、お互いちょっとしたことで、関係が壊れる。

昔から言葉はあったが、重要視されてこなかった「友だち」

ギリシャ哲学の頃から、「友愛」という言葉はあって、お互いの徳を高める、理想的な関係とされていたそうです。しかし実際の社会では、「友だち」という概念が生活にあったか疑わしいと言います。

例えば日本の農村共同体で言うと
同じ集落の人である
という感覚の方がよっぽど大事で
その中で この人は友達で
あの人は友達じゃないなんてことは
全然言ってないわけなんですよね
もうとにかく
「一緒に生きていく人」
外の人が入ってくることは
ほとんどないので
その中で繋がりを築いていった
誰の親族だとか
どの地域に住んでるかだとかの方が
よっぽど大事だったわけですね

本来は、生活上のつながりだけでいいんじゃないかと思いますが、次に見るように、今の時代はそう簡単にはいかないようです。

変わってきた「友だち」の関係

1990年代くらいまでは、「友だち」と言えば、対立や衝突をしても、関係を育んで、気づいたら「こいつ、友だちなんじゃね?」というものでした。現代は、SNSなどでも見られるように、出会った時点で「友だち」からスタートします。関係が壊れる「衝突」や「対立」なんてもってのほかです。関係を維持する必要があるものに変化しています。結果、LINEの返信やリアクション、インスタのいいねをするために、常時、アプリを立ち上げておく必要もあります。そこに乗っかれなければ、「友だち」を失うことになります。

今の友達関係というのは
みんな居合わせた人同士が
お互い友達だと選び合うことで
成り立ってくるとなると
選んでもらうためにがんばろう
という感じになったり
選ぶ側になると のび太みたいな
どんくさい人とは付き合わない
みたいな話が出てきてしまう
自分にとって 付き合う時間
お金をかけるようなメリットの
ある人とは付き合うようにするし
そういう会合にも行くようにするし
そうじゃないものには
行かないようにする

自分に利する「友だち」の対応の仕方

1970年代、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」をベースにした、アクセルロッド(米)さんの研究の話が紹介されていました。結論としては、「しっぺ返し」の戦略を取るとゲームとして勝ちやすいとのこと。

例えば、相手が裏切りを選択した
自分の人間関係に照らすと
相手がすごい嫌なことをやってきた
失礼なことを言ったりだとか
酷いことをやってきたという時には
もう相手に合わせて
もう自分もあの人には付き合わない
というようなことをやる
ただ普通の人間関係だと
もうそれで一切関係終わりに
なりがちなんですけども
相手が改心しましたとなると
しっぺ返しの戦略は
協力に転じるので
それなら別にいいよと
相手の反応にすぐに対応できる
相手に嫌なことをされたんだけども
ずっと笑顔でい続けて
しょうがないよ…と言いながら
ずるずると付き合って
ずっと嫌なことされ続ける
ということもないですし
相手が反省したら反省したで
あの人またやらかすんじゃないの
ではなくて
普通に接することができるように
なるという意味では なるほど
そういう風にやっていた方が
実は人付き合いは
結構うまくいくのかなと
思ったりもしましたね

感想

「友だち」なんて、自分で決めつけなくていいよ。ともう中年になってしまった自分としては、そう思います。生活をしていく上で、必要な時に、すごしやすい相手がいればいい。で、どうしても接点が多い人で、進んで協力したくないと思えば、「しっぺ返し」の戦略を取ればいい。相手が嫌な態度で接してくるなら、同じように返せばいい。

もちろんそんな中で、より深く、相手のことを考えて、思いやる関係ができれば、その人と、その時に「友情」という関係が育まれればいいだけです。そんな相手であっても、「友だち」というラベルをつけてしまえば、その関係を維持するコスト(固定費)を計上しなくちゃいけなくなります。例に示されていたニーチェが語るように、協力体勢の必要がなくなれば、その後は、目的の異なる二艘の舟になって、お互いの人生を歩めばいいわけです。

中年の自分には、それでいいと思えるようになりましたが、今、11歳の息子から、今後、友だち関係で悩む相談があったら、「必要な時に、友情という関係を結ぶだけで大丈夫だよ」「友だちの数自慢なんて、クソだよ」と言ってあげたいと思います。

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のーどみたかひろ いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。

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