「最近の若者」が映しているもの
「最近の若者」は、いつの時代にもいる
「最近の若者は何を考えているのか分からない」
職場でも、飲み会でも、SNSでも、昔から繰り返し聞く言葉だ。
でも、不思議ではないだろうか。
今の50代や60代も、かつては「最近の若者」と呼ばれていた。
そのまた前の世代も、きっと同じだった。
つまり、「最近の若者」は、いつの時代にも存在する。
では、本当に毎回、若者に問題があったのだろうか。
もしそうなら、人類は何世代も続けて若者の育成に失敗してきたことになる。
それは、少し考えにくい。
私は長い間、この現象の主役は若者だと思っていた。
でも今は違う。
変わったのは若者ではない。
私たちが世界を見る物差しなのである。
若者批判の正体
人は、自分が育った時代を基準に世界を見る。
新人の頃は厳しく叱られた。
残業も当たり前だった。
その経験は、いつしか「社会の常識」になる。
しかし、社会は少しずつ変わっていく。
終身雇用は揺らぎ、リモートワークが広がり、生成AIが仕事を支援するようになった。
連絡手段も、電話やメールからチャットへ変わった。
若い世代は、その環境の中で育っている。
価値観が違うのは自然なことだ。
それなのに私たちは、
「時代が変わった」
ではなく、
「若者がおかしくなった」
と考えてしまう。
変わったのは環境なのに、その変化を相手の問題として受け止めてしまうのである。
「考える」の意味も変わる
ある会議で、20代の部下がこう提案した。
「まずAIで骨子を作り、それを自分の言葉で磨きませんか」
すると50代の課長が言った。
「それは、自分で考えたことにならないんじゃないか」
私は、そのやり取りが印象に残った。
課長にとって「考える」とは、白紙から生み出すことだった。
部下にとっては、AIを材料に判断し、磨き上げることだった。
どちらも考えている。
違っていたのは能力ではない。
「考える」という言葉の意味だった。
認知のクセと、感情のクセ
「最近の若者は理解できない」
その言葉の裏には、2つのクセがある。
1つは、頭のクセだ。
経験は財産になる。
しかし同時に、「こうするのが正しい」という物差しも作る。
私たちは、その物差しで世界を見るようになる。
もう1つは、心のクセだ。
自分の当たり前が通用しなくなると、人は少し不安になる。
その不安を認める代わりに、
「最近の若者は」
という言葉で片づけてしまうことがある。
だから、この言葉は若者を説明しているようで、実は自分の現在地を映しているのかもしれない。
本当に必要なのは「翻訳」
世代が違えば、価値観も違う。
問題は、どちらが正しいかではない。
なぜ相手はそう考えるのか。
そこに関心を持てるかどうかである。
私は、この作業を「翻訳」だと思っている。
相手の言葉を、自分の常識だけで判断しない。
その人が育った時代や環境まで含めて受け取る。
そのために一番簡単なのは、質問することだ。
「AIで骨子を作ったあと、どこを自分で考えたの?」
「なぜ電話がいいと思うのですか?」
たった一つ質問するだけで、「理解できない」は「なるほど」に変わることがある。
翻訳は、年長者から若者への一方通行ではない。
若者から年長者へも、同じように必要だ。
世代間に必要なのは、説得ではない。
翻訳なのである。
おわりに
もしこれから、
「最近の若者は何を考えているのか分からない」
と言いたくなったら、一度だけ立ち止まってみてほしい。
その言葉は、若者について語っているようで、実は自分自身について語っているのかもしれない。
相手を評価する前に、理由を一つ尋ねてみる。
そのあとに出てくる言葉が、批判ではなく質問だったなら。
世代は、私たちが思っているより近い存在になる。
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